寝太郎ブログ

2018年12月6日雑誌発売→『kotoba(コトバ) 2019年 冬号』特集・孤独のレッスン

死、書くこと、考えないこと  


 死ぬことが怖い。死ぬこと、つまり永遠の存在消滅。何を考えていても、結局、ここに戻ってきてしまう。もっと現実的に、どうやって生きてゆくか、という類のことを考えていても、次の瞬間には「そんなことはどうでもいいんだった」と、それまで考えていたことが死の観念によって一掃される。そして振りほどくように頭を空っぽにして、もぬけの殻のような時間を経て、また「どうやって生きてゆくか」と考え始め、ずっとこの繰り返しである。
 このことについて書いていいのか、書いていいならいつどのタイミングでどこに書いていいのか、書いたことを後悔しないのか、自分には全然わからない。けれども、この恐怖ないしは虚無という肉体的な実感を無視して何か考えたり書いたりしようとしても、なにもかもが断片的に感じられ、次の日には忘れてしまっているか、どうしてそんなことを考えていたのかわからなくなってしまっている。何かを書くときに一人称的な肉体感覚を話の糸口とすることは甘えだと思うが、そうでもしないと、些末なことも重大なことも何もかもがのっぺりと等価に感じられ、収拾がつかなくなってしまうのである。
 元来、死について考えることは、生きることを断片化してしまう。ずっと目的をもってやってきたはずの大小のことが、どこにも繋がっていないのだと知って、日常のあらゆる行為が、言葉が、バラバラになってしまう。生によって紡がれるはずの一つの物語を断片化してしまうのが死である。けれども逆に自分の場合は、まったく忌々しいことに、長く死について考え感じてきたので、少なからず死というものを幹として思考や行動が枝葉を広げてしまっており、「死について考えないようにすること」のほうが、自分の思考や記憶をバラバラにしてしまう。つまり自分は、死について考えようと考えまいと、どちらにしても、一つの整合的な存在として生きられない運命にあり、引くも地獄、進むも地獄、それがどうにも苦しい。
 書くことはひとつの救いである。なぜならそれがたとえ整合的でない、バラバラで矛盾したことでも、一枚の紙の上に、あるいは一冊の本の中に書けるからだ。それを持っていれば、いくらか安心する。
 最近ようやく少し読んだり書いたりできるようになってきたが、ずっと言葉を扱うのがしんどかった。せっかく頂いた大小の執筆の話も保留するしかなく、何か書けたら見ていただけますかと言ったきり。三冊目の本は無事に初版完売したようだが、増刷するほどの売れ方をしているわけでもなく、絶版ということになるだろうという話だった。寂しいものである。
 肉体感覚を思想的に昇華させることは、生産的な行動の一つであろう。つまり、「死が怖い」ではなく、「やがて死ぬことを知りながら生きている人間存在の矛盾」といった具合に。その矛盾は元を辿れば、人間が宇宙開闢の意識存在であると同時に、意識している自分を意識する神のような視点を持ちうることの矛盾であり、さらにその矛盾を見つめてゆくと単なる人間の認識のみに関わる(認識論的な)矛盾ではなく、世界そのものの(存在論的な)矛盾へと繋がっている。少なくとも矛盾した我々は、ただそこにありのままに存在している単一の世界というものがどういうものか想像することすらできない。古今東西の哲学はこのことを手を変え品を変え言っているものと理解している。しかしそうして思想的に遠くまで行って何か生産的なことをした気がしても、次の瞬間には、以前とまったく同じ場所ー恐怖と虚無ーに佇んでいることを見出して呆然とするのだ。
 「生産的な行動」の虚しさに打ちひしがれると、負の感情の渦に引きずり込まれる。物事を人生の内部の問題としてしか理解しない世間に対する絶望のような寂しさのような気持ち。自分の人生、あるいは他人の人生の「内容」が、良いか悪いか、恵まれているかそうでないか、幸せか不幸か、成功か失敗か、そういう物語語しか話さない世間に対して感じる孤独な気持ち。あるいは、それと相反するようではあるが、強迫的に死について考えてしまう原因はやはり自分の人生の内部にある(あった)のではないか、といった自己否定、後悔の類。大きすぎる生を戒めるために虚無が膨らみ、いくつかの要因によって生が萎んだとき虚無だけが残ったのではないか。しかし、仮にそうであったとしても、つまり、自分の生き方が間違っていたから死について考えてしまうのだとしても、それでもなお、死の問題、永遠の存在消滅の問題は、厳然として残っている。生き方が正しいかどうかなど、そんなことはどうでもいいのだ。いやしかし、この肉体的な苦痛の原因は死の問題そのものに起因してはいないだろう。何らかの現世的な理由があったはずである。いや、自分個人の人生の内容が苦痛であるか否かなんてどうでもいいのだ。やはりいつか死んでしまうのだから。いや、さしあたって生きてゆくためにはそのどうでもいいことが重要なのだ。そのどうでもいい「人生の内容」を良くしようとすることが唯一の生きる術なのだ・・・堂々巡りである。
 最近はよく東京でウーバーイーツというフードデリバリーの自転車を走らせるようになって、これが一つの逃げ場になっている。自分には、この仕事が良いか悪いか、つまり労働条件がどうとか、フードデリバリーが来るべきインフラのひとつとなるのかとか、これをすることで世界が良くなっているかとか、そういう難しいことはよくわからない。ただ、依頼を受けて自転車で走っている時は何も考えなくてよくて、それがものすごく気持ちいい。お金が増える増えない、どのくらい効率的に増える、という単純なことを考えているのも、何も考えていないのとほぼ同じで、気持ちがいい。本当に危険なくらい気持ちがいい。家に帰ってシャワーを浴びて一段落すると、また走りたくなり、明日になるのが待ち遠しいとすら思う。「何も考えない」ということをこんなにも求めていたのだなと実感する。
 「何も考えない」ことが自分の抱える問題の解決にならないのはよく知っている。むしろ「何も考えない」ことを万能薬のように称揚する仏教的なるものにはずっと反感を覚えてきた。ただ自分の場合は、解決のない中でそれでも生きてゆくための現実的な方法として、つまり対症療法として、あるいは道具として、今はなるべく何も考えない時間を作らなければならないように思う。自分は無趣味なもので、趣味に没頭するような「何も考えない」時間を作ることがとても難しかった。だから「良い趣味ができた」とも言える。頭を空にして核心的な問題を考えないようにするために、これまで様々なアルバイトや畑、歩くこと、数学といろいろ試してはやめてしまっていたが、果たして今回はどうなるだろうか。
 走っていると気持ちがいい反面、止まるのが怖い。依頼が来ないときは闇雲に走り回っても仕方が無いので止まることもあるのだが、そうするとこれまで猛スピードで動いていた風景が静止し、ずっと耳を覆っていた風切り音が止み、血の巡りの良くなった体だけがただそこにポツンと佇むことになる。そうするとまたいろいろと考えてしまう。
 自分は、日常が欲しいのだ。そして日常を見失ったとき助けになるのは、たくさんの人が同じ日常を共有しているということ。自分もその共有された日常の波に無意識に乗っているということ。自分が小屋暮らしを続けられないと思った最大の理由。自作小屋の暮らしは、自分一人の意識が、自分一人の日常が、自分一人の正常さが、すべてである。それが崩れたときにすがるものがない。これを弱さだという人は、本当に目の前がグラグラした経験や、思考そのものに吸い込まれるような危機を覚えたことが無いのだろうと思う。もちろん、他人と共有された日常も盤石ではない。けれども、生きてゆくには、「考えることをやめる」「他人の意識に身を委ねる」といったような非本質的な助けが必要なのだ。
 春も幾日か小屋へ帰った。いつも通り小屋の内外をきれいにして、湧き水でコーヒーを飲み、来し方行く末を思い、静かなロフトで深く眠って、そして東京へ戻ってきた。特筆すべきことはなにも無い。宿泊費無料の小旅行と思えば最高であるが、そこには「暮らし」としての矜持は無い。そういえば、バイクの整備マニュアルを購入し、徹底的にバイクを直すのが春のメインイベントとなる予定だったが、肝心のマニュアル本を東京に忘れてきてしまった。なんだか最近そういうのが多い。前はそういう類のミスは滅多にしない人間だったのだが。
 僕はとにかくゆっくり生きてゆきたい。「ゆっくり生きてゆくことで得られる何か」を謳うつもりは毛頭なくて、忙しくしている人は忙しくしている人で充実しているということはよくわかる。けれども、自分には向いてないと思う。自分には、節約しながらゆっくり生きてゆくのが性に合っていて、将来的にも田舎か都会かはわからないが、そういう生活をしたい、そういう生活しかできない。



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Uber Eats(ウーバーイーツ)配達員の登録方法とキャンペーンについて  


(2019年6月現在の情報です)

 アプリをオンにすれば仕事開始、オフにすれば終了、特に誰から指示されることもない。ウーバーイーツのメリットはこの気楽さに尽きる。デメリットは依頼が来なければ一銭も稼げない可能性があること。他にもアプリの不具合などいろいろと問題もあるが、僕はウーバーイーツの存在に救われているところがあり、感謝している。

・案ずるより産むが易し

 仕事自体は拍子抜けするくらい簡単で、案ずるより産むが易し、とりあえずやってみたほうが早い。オンライン登録してパートナーセンターにバックを受け取りに行けば(説明含め所要30分弱)、その日から配達可能。アプリをオンラインにして待っていると、依頼(リクエスト)が来るので、お店に行って、商品を受け取って、注文者さんに渡しに行けば終わり。

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・準備すべきもの

 自転車かバイク。一長一短だが、自転車のほうが圧倒的に多い。docomoのレンタル電動自転車(通称赤チャリ)は月額4000円。
 バックはかなり大きいので、中で商品が倒れてこぼれたりしないようにうまくスペースを埋めるような緩衝材なり梱包材なりが必要。(僕は100均の保冷バッグ2つと梱包材のプチプチを何枚か使用)
 自転車やバイクにつけるスマホホルダーもほぼ必須。スマホの着脱が容易なものがよい。
 雨の日も稼働するなら、レインコートやスマホの防水ケースなど。

・自転車保険について

 自転車配達員にはウーバーによって自動的に保険がかけられ、配達中の対人・対物事故が補償される(1億円まで)。「配達中」というのは、リクエストを受けてから配達完了するまで。それ以外の時間帯は補償されない。また自分自身の入通院保障もない。それらを補う自転車保険に入ったほうが安心。
 いくつか自転車保険について問い合わせてみたところ、自身の傷害・死亡については業務内外問わず補償可能(もちろん商品の範囲内で)ということだったが、個人賠償責任については、「待機中」すなわち「依頼を待ちながら自転車に乗っているとき」の事故に関して補償されるという回答と補償されないという回答があった。

<個人賠償責任保険の適用範囲内か否か?>
楽天自転車保険:配達中×、待機中×、オフライン〇
LINE自転車ライフ安心保険:配達中×、待機中〇、オフライン〇
au損保自転車向け保険:配達中×、待機中〇、オフライン〇

 ただしいずれも、実際の保険金の支払いについては事故報告の後に個別に案内する、ということであった。

 傷害保険のために入っておいて間違いはないのだが、賠償責任を補うことができるかどうかは要注意である。また、ウーバーが提供している保険制度も、払い渋りなどあまり良い噂を聞かないので、本格的にやる人はもっとちゃんとした業務用の保険に自分で入っておくべきかもしれない。

 ちなみに僕は、LINEの100円保険に入っています。実際に適用された経験があるわけではないので、自己責任でどうぞ。

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・カロリー消費とハンガーノック対策

 ごく普通の自転車を普通のスピードで漕ぎ続けたとして、一時間あたり300~400kcalを消費する。ダイエットしたい人にはいいが、ハンガーノック対策は万全に。(僕は砂糖とクエン酸でエネルギードリンクを自作)

・トラブル対応

 料理をこぼしてしまった、商品が間違っている、注文者が不在、などの予期せぬトラブルについては、パートナーセンターにバックを受け取りに行くときにもらえるガイドブックに全て対応方法が書かれているので心配不要。

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・いつ稼働するのが稼ぎやすいか

 いつどこで注文の数が増えるのかを予測することはある程度できるが、自分以外に無数にいる配達員もそうした予測を織り込み済みで動くので(効率的市場仮説のようなもの)、自分に依頼(リクエスト)が来るかどうか(いわゆる「鳴る」かどうか)を予測することはかなり困難。ただ、大まかには平日より休日が鳴りやすく(ただし平日昼はオフィス街が吉)、昼食と夕食時も鳴りやすいので、一日二~三時間の人は休日やピーク時間帯に稼働すると効率的。
 その他、(1)都心と僻地。都心というのはウーバーイーツ加盟店が多く集まっている地域、僻地というのはそうでない地域。僻地でも鳴るときは鳴る(加盟店の数より住宅の数が重要だから)。しかし、お店も配達員も疎らであるため、リクエストを受けた場所からお店までの距離が遠くなる傾向にある。その区間に関しては報酬は支払われないので、僻地は敬遠される。一方、僻地は人通りも少なく、配達に時間がかかるタワマンもないため、他に配達員がいないマクドナルドに張り付くなどすれば、テンポよく稼げることもある。ただやはり、安定しているのは都心。(2)昼間と夜間。昼間はファストフードの近距離ドロップ、夜間は個人経営レストランなどの遠距離ドロップが増える傾向にある。平日夜は本業を終えた副業配達員が稼働するため、昼のほうが鳴りやすい印象。

・最初の30日間の戦略(報酬保証キャンペーン)

 現在ウーバーイーツは新規配達員の報酬保証キャンペーンを行っており、最初の30日間は配達回数によって下記のように最低報酬が保証される(東京・横浜)。

10回 5000円(1回あたり500円)
30回 15000円(1回あたり500円)
50回 30000円(1回あたり600円)
80回 50000円(1回あたり625円)
120回 80000円(1回あたり666円)
150回 100000円(1回あたり666円)
 
 都心で自転車でやっていると、平均単価は500円弱くらいである(ブーストを含む)。従って、ほぼ確実にこのキャンペーンのご厄介になる。150回までの配達では長い距離で単価を上げても意味が無く、単価はいくら安くてもよい(安いほうが近距離なのでよい)ので回数をこなすこと。そのために、遠距離になりやすい僻地は避ける、夜間より昼間、ブースト(報酬が倍増するボーナス)で単価が上がって配達員が増える日よりブーストなしで配達員が不足している日が狙い目、などの戦略が考えられる。いずれにしても、平均単価666円もらえることはその先ありえないので、30日間はがんばるべし。以下、注意点。(1)キャンペーン登録などは必要なく、該当者全員に適用され、初回配達時に案内メールが来る。(2)最低報酬額は純収入で計算され、ブーストは含むがクエスト(何回配達したらいくら加算というボーナス)は含まれないので、クエストは積極的にこなすべし。(3)明示されているわけではないが、個人的に確認した結果、二件同時配達は二回として計算されているようである。(4)登録日ではなく初回配達日より30日間。

・登録前に知っておいたほうがいいこと(紹介キャンペーン)

 現在ウーバーイーツでは紹介キャンペーンをやっていて、新規配達員を紹介すると紹介者に結構な額の紹介料が支払われる(金額は登録地による)。キャンペーン自体は紹介者のためのキャンペーンで、新規登録者には特にメリットはないが、紹介料の一部を登録者に(個人的に)キャッシュバックするということが広く行われている。(僕自身も同様にキャッシュバックを受けた)
 僕の招待コードを使ってもらえれば、紹介料の5/6を登録者にキャッシュバックします(東京なら紹介料60000円なのでキャッシュバック50000円)。招待コードをSNSで公開することは禁止されているので(サポートに確認済み)、detailsuber@gmail.comに空メールを送っていただければ、招待コードとキャッシュバック受け取り手続きの詳細を自動返信します(自動返信がうまくいかない場合は直接メッセージください)。

・新規配達員はとにかく稼げる

 上記の報酬保証キャンペーンと紹介キャンペーンにより、最初は都心で時給3000円程度、クエスト報酬も含めるとそれ以上で働けることになる。新人は優先的に鳴るという真偽不明の噂も含め、新規配達員はとにかく優遇されている。最初30日間はボーナス期間だと思ってがんばるべし。



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category: UberEats
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0円シャワー  


・室内シャワー

昨年屋外シャワーを作った時、どうしてそれまでたったそれだけの造作をしなかったのだろうと思ったが、最近室内にシャワーを作って、再び全く同じことを思っている。どうしてこれまでたったこれだけのことをしなかったのだろう。

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ロフトに水タンクを載せれば済む話だった。あとは適当に細工してブルーシート(厚手のものより薄くて安いもののほうが便利)で囲えばよいだけ。

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シャワー使用時は棒をスライドさせて引っ張り出して、ブルーシートを洗濯ばさみで留める。使い終わったらまたスライドさせて収納。

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下は発泡スチロール。コメリでトロ舟をチェックしたところ1480円であった。フラフラしてフチを踏み割ったりしない限り、発泡スチロールでいいだろう。

僕は頭も体も石鹸一個で洗う(これは東京にいてもそうである)。ちなみに、他に石鹸を使うのは、汚れがひどいときの食器や衣類くらい。食器は、石鹸を使ってしまうと石鹸自体を洗い流すのに大量の水が必要になるので油もの以外には使わない。これらの排水を「垂れ流し」と言われないためにも、敷地内に畑が必要である(たとえ育たなくても、食べなくても)。石鹸が合成洗剤に比べて生分解的にどうなのか、前から気になっていたが(環境のためにというより、オフグリッドで生活をまわしてゆくために)、定量的な結論はあまりよくわかっていない。石鹸についてはよくまとめてくれてある記事がある→「小屋暮らしで石鹸は使えるのか?」

冬は試していないが、部屋を暖めてお湯を追加すれば、寒いということもないだろう。これで事実上、24時間365日、シャワーが浴びられる。いよいよ無敵の小屋になってしまった。


・手信号でバイクを運転している

スーパーカブ(新聞配達用のプレスカブ50cc)を2000kmの中古で買ってから9年近くになる。本格的な整備をしたことは一度もないが、大きな故障もなく、本当によく働いてくれている。天下のスーパーカブゆえに心臓部は半永久的に使えるらしいが、劣化消耗する部分は順当にガタが来ている。

まずはマフラー。いつだったかかなり前にバイク屋へ行ったときに、「ヒッヒッヒ、穴ァ空いちょる」と言われた。交換の見積もりを出してもらったところ、純正品と工賃で20000円オーバーということだったので修理せずにそのまま乗っていたが、明らかな爆音、そしてマフラーのせいか知らないがスピードも出ない。仕方がないので、意を決してアマゾンで3000円ちょっとの社外品を購入、9年来の錆を溜め込んで車体と同化したナットとダイソーの100円スパナとの死闘を制し、無事交換完了。マフラー換えて、全く別の乗り物になった。トルクは滑らかだし、静かだし、初めて乗った頃の昂揚感が蘇ってくる。

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それから、ウィンカーも壊れている、計器ランプやホーンなども使えない。電気系統がおかしいらしい。ヘッドライトはついているが、たまにエンジンの回転とは無関係にチラチラしたり消えそうになったりする。特にウィンカーは、使えないと危ないし、違反にもなる。ウィンカーリレーの交換や、バッテリーチェックなど、簡単にできそうなことはだいたいやった。バイク屋に見てもらったら、最長で一週間のお預かりだという。バイクが無いと生活できないし、そもそもバイク屋からどうやって帰ってくればいいのだろう。いっそのことマニュアル本を購入して分解してみるか?一人で?などと考えながら調べていると、どうやら手信号でとりあえず違反にはならないらしいことが判明。ウィンカー自体が備わっていないのは整備不良だが、故障時は手信号でOKということ。そういえば自動車学校でそんなことやったかな。当面の楽な解決策が見つかってしまったので、他の選択肢を考える気力が失せた。ちなみにバイクの場合は左手なので、水平が左折、直角が右折。フルフェイスでカブに乗って左手で後続車に中指立てながら右へ曲がってゆく(ように見える)のがいたら、僕です。


・AERAの取材

今週(2018年9/3号)のAERAで「孤独特集」の取材を受けた。ものすごくたくさん話したものを短いスペースに詰めてくださったので、はっきり言って記事を読んでもなんのこっちゃわからないと思う。

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孤独、というか、頭の中から抜け出すにはどうしたらいいのか。「逃げ場」をどこに求めたらいいのか。たとえば、アパートで蛇口を捻ると水が出てくる。それを大勢の人がやっている。そうすると、同時代の人間と共に生きているのだなという実感がほんの少し湧いてくる。理屈ではなく実感として感じている限り、それはきっと自分一人の思考を超越しているということ。おそらく幼い頃、誰かの真似をして水道の蛇口を捻った時、無意識に同じことを感じていたはずである。それが、自分で水を抱えて持ってきて、自分で水タンクを設えると、何もかもが自分の思考の内部に留まってしまい、結果、生活の全体が「脳内」にあるように感じられる。そうするとやっぱり、おかしくなるんですよね、頭が。だから、この時代この国に当たり前の生活をすることは大切なことかも知れない。そんなようなことも話した。


・ネット回線は楽天スーパーホーダイに

家電量販店でネット回線プランについて説明を聞くという、大変苦手なイベントをこなした。有利な情報も不利な情報も全て包み隠さず他社・他サービスと比べながら開示してくれている保証がない中で、相手側が売り込もうとしているものの説明を聞くことの難しさ。今回もワイモバイルの説明を聞いて、「僻地で使う」「無制限がよい」と言ってあるのに、アドバンスモードの説明が一切なかった。後で調べて分かったことだが、無制限に使うためにはアドバンスモードにする必要があり、アドバンスモードはエリアが狭く、案の定自分の小屋はエリア外であった。そんなんで契約してしまっていたらどうするつもりなのだろう。

結局、自分でネットで調べることに。これはこれで骨が折れる。幸い、GoodなSIMを発見。月額1480円で、データは1Mbpsが無制限で使える。10分以内の国内通話かけ放題。バースト機能や高速LTE2GBのON/OFFもついている。こういうSIMカードが欲しかった。通信容量制限があると気になるし、だからといってWiMAXのような高速通信も要らない。無制限で1Mbps(ベストエフォートだが)というのは理想的である。(注意点。3年目は月額2980円、2年で解約すると解約手数料9800円。12:00-13:00、18:00-19:00は300kbps制限)


・畑

枝豆の豆が大きくならない。食べられるものもあるにはあるが、少なすぎる。昨年も最初は膨らんだものから摘み取っていた覚えがあるが、こんなに少なかったかな・・・。もし失敗だとすると、一つの原因は、豆を密に播き過ぎたかもしれない。というのは、覆土もしないのにこんなに発芽率がいいとは思わなかったからだ。もう少し様子を見て、あまり豆の数が少ないようであれば、今年は諦めるかもしれない。膨らんだ豆だけを見極めて摘み取ってゆくのは本当に大変なのだ。しばらく収穫に勤しむつもりだったが、予定が狂ってしまった。なんだか中途半端になってしまったな、畑も。

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・嘘でもいいから純粋な小説を読みたい

ある年齢になると、小説ってつまらなくなるじゃないですか。作り話を読むことに意義を感じなくなるというか。書き手の全人格が反映されているわけでもないし、書き手にとってはいくらでも言い逃れができるし。鼻をつまみたくなるような人間関係の機微の描写や、小説家が中途半端に学び散らかした哲学・思想を読まされた日には、時間を無駄にしたという感想しか残らない。何か言いたいことがあるのなら、どうして直球で勝負せずに小説という形を取るのだろう。自分の言葉にリスクと責任を負って何かを言っていた人が、ある日突然小説書き出すの、あれはなんなのだろう。これが長い間感じてきたことであり、読書の趣向は専ら、学術書(専門向け・一般向け)、マニュアル本、自伝、最低でもノンフィクションだった。

けれども、最近はなんだか違う感じ。嘘でもいいから、作り話でいいから、美しい文体でただひたすら純粋な世界を描いた小説を読みたい。頭が弱るってこういうことなのかな。




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category: セルフビルド、DIY
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流浪の民に戻りたい  


・初めて読む人へ

最近メディアで紹介されたりしてこのブログを初めて読む人が多いようなので、改めて書いておく。僕ががっつり小屋で暮らしていたのは最初の3年間くらいで、そのあとは小屋を留守にして海外で旅をしていたり、国内のゲストハウスに泊まっていたり、河川敷でテント暮らししたり、また小屋にしばらくいたり、春夏は畑をやったりなど、諸方をふらふらしてきた。それでも昨年(2017年)までは「拠点は小屋」という意識があったが、今年に入って東京にアパートを借りてからはその意識も薄れ、現在は都会人として暮らしながら月に一度くらい小屋へ戻って何日間か滞在しながら畑の世話をしたりする、ただの無職である。


・アパート出たい

ただ、正直、アパートはもう出たい。アパートにいると意識が朦朧としてくる。アパートに入ったのはいくつか理由があったのだが、今は何ひとついいことがない。思考が同じ所をグルグル、いやグルグルさえしていない、考えてすらいない、こんなのは「思考」とは呼べない。頭の中の「モジャモジャ」である。「モジャモジャ」のせいで魂が濁ってくる。この便利で快適なアパートのせいだ。同じ温度、同じ景色、同じ食事。これらと一緒に自分の「モジャモジャ」はアパートにぐるぐる巻きにされている。ってこれ、10年前にも全く同じことを考えた。それでアパートを飛び出して路上で生活し始めたんだった。ひとつも学習していない。けれども、アパート出たい。また流浪の民に戻りたい。




・8月の小屋

記憶にないほどの熱帯夜。昨年夏はずっと小屋にいたがこんなに暑いことはなかった。といっても28度だが、じっとしていると汗ばむ夜は自分の小屋では珍しい。そういう時はまずは裸になる。濡れタオルで全身を濡らして、そのまま肩にかけておく。必要なものは本当に少量の水だけだし、これが多分一番冷却効率がいい。気化熱を吸われてかなり冷える。さらに、もう使うことはないと思っていた扇風機を久々に出動(昨年夏は一度も使わなかった)。濡らした体に扇風機をあてると、風邪ひくくらい冷える。東京で暮らしていると最適気温から少しでもズレるとエアコンをつけたくなる。小屋にいてエアコンが無いとわかっていると、体も覚悟するらしく、意外となんとでもなる。


・電力不足

うっかり油断して湯水のごとく電気を使っていて、インバーターに低電圧警報ブザーでどやされた。湯水のごとく、というのは、①外の白熱電球を一晩つけっぱなし(クワガタ誘引のため)、②室内のLED電球をつけっぱなし、③扇風機、④スマホとパソコンを特に用もないのに充電しながら使用。少なく見積もって全部で50Wだとしても、うちのソーラーシステムでこれをやると二晩で電力が尽きる計算。電力が尽きるとどうするか。特にどうもしないが、スマホとパソコンのバッテリー、乾電池式のライトでしのいで、お天道様の再来を待つ。


・羽音で虫の種類を聞き分ける

小屋で生活していると、小屋の中にいながらにして、小屋の明かりを目がけて飛んでくる虫の羽音からその種類をあてるという特殊能力が身に付く。カブトムシ、クワガタ、カミキリ、トンボ、カナブンなど、だいたいわかる。ところが今回、ノコギリかミヤマクワガタのオスだろうと思って外へ出ていったところ、カミキリムシであった。もとよりカミキリムシは手ごわい。カナブンは陳腐な羽音がするので簡単なのだが、カミキリの羽音はBassが効いており、クワガタのオスと聞き分けにくい。何が違うかというと、クワガタの場合は基本的にあまり飛行が得意ではないので、ブォーンと飛んできてバチンとぶつかって、それでとまるか落ちるかして終わりである。しかしカミキリの場合は、バチンバチンと何度も窓に衝突してきたり、一度飛行停止してもまたすぐに飛び立ってぶつかってきたりする。何が言いたいかというと、小屋をしばらく離れているといろいろ忘れるし感覚が鈍る。

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・「嘘に決まってる!」

小屋暮らしに対してはやけに好意的な反応ばかりでこわい。いくら良い解釈であろうと、自分の知っている自分の輪郭と他の人の認識とのあいだにズレが生じると、気持ち悪いものである。一方で、「嘘に決まってる!」という人が定期的に必ず出てくる。こればっかりは永劫回帰である。食料をスーパーに依存した小屋暮らしなんてたいしたことないと思うのだが、どうしても嘘だと考えないと納得できない人がいるらしい。やはり僕の小屋が生活できるとは思えないくらいボロすぎるのがいけないのかね…。ちなみに動画に関しては、動画を撮ったその日に限って言えば半分嘘で、短期間の帰宅では本来やる予定が無かったこと(ロケスト炊飯とか)をわざわざやったりしている。そもそも、カメラを設置して何かするあほらしさを思い浮かべればわかることだろう。僕だってカメラが邪魔でしょうがない。ただ、動画に映っている類のことは、僕がカメラなしで何百回もやってきたことである。


・小屋暮らしはミニマリストではない

どうがんばっても小屋で暮らしているとモノは増えてゆく傾向にある。道具を買って保管。道具をメンテナンスするための道具。板切れ使って余れば保管。保管するための物置。何をもってミニマリストと呼ぶかによるのだが、モノがあるかないかということだけで言えば、小屋暮らしはミニマリストには程遠い。どうしてミニマリストと関連づけられることが多いかというと、多少モノを増やしてなるべく自分でやるようにする代わりに、仕事や人間関係をミニマルにするからだろう。反対に、お金を稼いで全ての物事を外注すれば、どこかにしわ寄せがいっている可能性はあるが、少なくとも自分自身はミニマルになる。モノを減らしたければ小屋など自作せずに早急にそうすべきである。


・生真面目な自分とチャランポランな家

個人の個別的なストーリーで小屋暮らしについて語ることは限界がある。しばしば「この人は○○だから」で小屋暮らしが片付けられてしまうのは本当にもったいないと思う。たとえば「この人は頭がいいから」は全くの勘違いである。僕のやっていることがどんなに拙いか、まるでわかっていない。この小屋がどうして未だに雨漏り一つせずにちゃんと機能しているのか、不思議でしょうがない。長くこのブログを読んでくれている人は、「巧いことをやっている」というよりも「こんなに拙くても生活できる」くらいの認識なのではないだろうか。しかし初めての人にはそれが伝わらない。そもそも僕は本来、明文化されたルールや知識や約束に関してすごく真面目で、真面目すぎるゆえに疲れてしまうところがある。その反動で、自分がチャランポランでいられる素人自作小屋暮らしが好きだ。だからちゃんと勉強した上で完璧なものを建てるなんてことはしたくもない。そういう自分の生真面目さから逃れて、ボロでも暮らせること、完璧でなくてもいいことを確認している。


・ブログや本の収入

「この人は本やブログの収入があるから」もよくある。確かにブログを頻繁に書いていた頃はブログから月に10万円~15万円の収入があったが、現状は大した収入はない。本の収入だって、かけた労力や世間一般の給与を考えれば、雀の涙である。別の小屋暮らしの人(@garassan)も書いていたが、「本を書いているから小屋暮らしできる」のではなくて、「小屋暮らしだからこそ本なんぞ書いていられる」のほうが正しい。まあ仮に自分が多くの収入を得るようになったとしても、それを生活費に充てることに何のためらいもないが。前は一時期、一般的でない収入(何をもって一般的というか不明だが)は口座を分けて計算を別にしておこうとかやっていたが、別に捨てるわけではないし、いったい誰に対して何を守っているのかわからなくなり、また、そんなことをしたところで僕個人の特異性など消えるわけもなくライフスタイルの一般性など証明できないと思い、すぐにやめた。


・畑

さて、畑である。枝豆である。葉や茎が太く大きく育ってしまっているにもかかわらず、豆が未だにペタンコなので心配だが、そういえば昨年も同じ時期に全く同じ心配をしていたなと思い出した。これがあと半月もすれば膨らんでくる(はず)。ジャガイモは通販でも都会のスーパーでもタダみたいな値段で売っていて、素人が対抗するのは難しそうである。一方、枝豆は一束298円とか398円とかで、野菜の中では結構高級品の部類に入る。スーパーをうろうろしながら「やっぱり枝豆だな」と独り再確認。なにしろ自分が枝豆好きでいくらでも食べられる。昨年の採れたての枝豆が忘れられず、そのあともよくスーパーで冷凍枝豆を買ったものだが、自分で作ったもののほうが香りと食感が圧倒的に良い。

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