寝太郎ブログ

2018年12月6日雑誌発売→『kotoba(コトバ) 2019年 冬号』特集・孤独のレッスン

0円シャワー  


・室内シャワー

昨年屋外シャワーを作った時、どうしてそれまでたったそれだけの造作をしなかったのだろうと思ったが、最近室内にシャワーを作って、再び全く同じことを思っている。どうしてこれまでたったこれだけのことをしなかったのだろう。

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ロフトに水タンクを載せれば済む話だった。あとは適当に細工してブルーシート(厚手のものより薄くて安いもののほうが便利)で囲えばよいだけ。

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シャワー使用時は棒をスライドさせて引っ張り出して、ブルーシートを洗濯ばさみで留める。使い終わったらまたスライドさせて収納。

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下は発泡スチロール。コメリでトロ舟をチェックしたところ1480円であった。フラフラしてフチを踏み割ったりしない限り、発泡スチロールでいいだろう。

僕は頭も体も石鹸一個で洗う(これは東京にいてもそうである)。ちなみに、他に石鹸を使うのは、汚れがひどいときの食器や衣類くらい。食器は、石鹸を使ってしまうと石鹸自体を洗い流すのに大量の水が必要になるので油もの以外には使わない。これらの排水を「垂れ流し」と言われないためにも、敷地内に畑が必要である(たとえ育たなくても、食べなくても)。石鹸が合成洗剤に比べて生分解的にどうなのか、前から気になっていたが(環境のためにというより、オフグリッドで生活をまわしてゆくために)、定量的な結論はあまりよくわかっていない。石鹸についてはよくまとめてくれてある記事がある→「小屋暮らしで石鹸は使えるのか?」

冬は試していないが、部屋を暖めてお湯を追加すれば、寒いということもないだろう。これで事実上、24時間365日、シャワーが浴びられる。いよいよ無敵の小屋になってしまった。


・手信号でバイクを運転している

スーパーカブ(新聞配達用のプレスカブ50cc)を2000kmの中古で買ってから9年近くになる。本格的な整備をしたことは一度もないが、大きな故障もなく、本当によく働いてくれている。天下のスーパーカブゆえに心臓部は半永久的に使えるらしいが、劣化消耗する部分は順当にガタが来ている。

まずはマフラー。いつだったかかなり前にバイク屋へ行ったときに、「ヒッヒッヒ、穴ァ空いちょる」と言われた。交換の見積もりを出してもらったところ、純正品と工賃で20000円オーバーということだったので修理せずにそのまま乗っていたが、明らかな爆音、そしてマフラーのせいか知らないがスピードも出ない。仕方がないので、意を決してアマゾンで3000円ちょっとの社外品を購入、9年来の錆を溜め込んで車体と同化したナットとダイソーの100円スパナとの死闘を制し、無事交換完了。マフラー換えて、全く別の乗り物になった。トルクは滑らかだし、静かだし、初めて乗った頃の昂揚感が蘇ってくる。

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それから、ウィンカーも壊れている、計器ランプやホーンなども使えない。電気系統がおかしいらしい。ヘッドライトはついているが、たまにエンジンの回転とは無関係にチラチラしたり消えそうになったりする。特にウィンカーは、使えないと危ないし、違反にもなる。ウィンカーリレーの交換や、バッテリーチェックなど、簡単にできそうなことはだいたいやった。バイク屋に見てもらったら、最長で一週間のお預かりだという。バイクが無いと生活できないし、そもそもバイク屋からどうやって帰ってくればいいのだろう。いっそのことマニュアル本を購入して分解してみるか?一人で?などと考えながら調べていると、どうやら手信号でとりあえず違反にはならないらしいことが判明。ウィンカー自体が備わっていないのは整備不良だが、故障時は手信号でOKということ。そういえば自動車学校でそんなことやったかな。当面の楽な解決策が見つかってしまったので、他の選択肢を考える気力が失せた。ちなみにバイクの場合は左手なので、水平が左折、直角が右折。フルフェイスでカブに乗って左手で後続車に中指立てながら右へ曲がってゆく(ように見える)のがいたら、僕です。


・AERAの取材

今週(2018年9/3号)のAERAで「孤独特集」の取材を受けた。ものすごくたくさん話したものを短いスペースに詰めてくださったので、はっきり言って記事を読んでもなんのこっちゃわからないと思う。

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孤独、というか、頭の中から抜け出すにはどうしたらいいのか。「逃げ場」をどこに求めたらいいのか。たとえば、アパートで蛇口を捻ると水が出てくる。それを大勢の人がやっている。そうすると、同時代の人間と共に生きているのだなという実感がほんの少し湧いてくる。理屈ではなく実感として感じている限り、それはきっと自分一人の思考を超越しているということ。おそらく幼い頃、誰かの真似をして水道の蛇口を捻った時、無意識に同じことを感じていたはずである。それが、自分で水を抱えて持ってきて、自分で水タンクを設えると、何もかもが自分の思考の内部に留まってしまい、結果、生活の全体が「脳内」にあるように感じられる。そうするとやっぱり、おかしくなるんですよね、頭が。だから、この時代この国に当たり前の生活をすることは大切なことかも知れない。そんなようなことも話した。


・ネット回線は楽天スーパーホーダイに

家電量販店でネット回線プランについて説明を聞くという、大変苦手なイベントをこなした。有利な情報も不利な情報も全て包み隠さず他社・他サービスと比べながら開示してくれている保証がない中で、相手側が売り込もうとしているものの説明を聞くことの難しさ。今回もワイモバイルの説明を聞いて、「僻地で使う」「無制限がよい」と言ってあるのに、アドバンスモードの説明が一切なかった。後で調べて分かったことだが、無制限に使うためにはアドバンスモードにする必要があり、アドバンスモードはエリアが狭く、案の定自分の小屋はエリア外であった。そんなんで契約してしまっていたらどうするつもりなのだろう。

結局、自分でネットで調べることに。これはこれで骨が折れる。幸い、GoodなSIMを発見。月額1480円で、データは1Mbpsが無制限で使える。10分以内の国内通話かけ放題。バースト機能や高速LTE2GBのON/OFFもついている。こういうSIMカードが欲しかった。通信容量制限があると気になるし、だからといってWiMAXのような高速通信も要らない。無制限で1Mbps(ベストエフォートだが)というのは理想的である。(注意点。3年目は月額2980円、2年で解約すると解約手数料9800円。12:00-13:00、18:00-19:00は300kbps制限)


・畑

枝豆の豆が大きくならない。食べられるものもあるにはあるが、少なすぎる。昨年も最初は膨らんだものから摘み取っていた覚えがあるが、こんなに少なかったかな・・・。もし失敗だとすると、一つの原因は、豆を密に播き過ぎたかもしれない。というのは、覆土もしないのにこんなに発芽率がいいとは思わなかったからだ。もう少し様子を見て、あまり豆の数が少ないようであれば、今年は諦めるかもしれない。膨らんだ豆だけを見極めて摘み取ってゆくのは本当に大変なのだ。しばらく収穫に勤しむつもりだったが、予定が狂ってしまった。なんだか中途半端になってしまったな、畑も。

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・嘘でもいいから純粋な小説を読みたい

ある年齢になると、小説ってつまらなくなるじゃないですか。作り話を読むことに意義を感じなくなるというか。書き手の全人格が反映されているわけでもないし、書き手にとってはいくらでも言い逃れができるし。鼻をつまみたくなるような人間関係の機微の描写や、小説家が中途半端に学び散らかした哲学・思想を読まされた日には、時間を無駄にしたという感想しか残らない。何か言いたいことがあるのなら、どうして直球で勝負せずに小説という形を取るのだろう。自分の言葉にリスクと責任を負って何かを言っていた人が、ある日突然小説書き出すの、あれはなんなのだろう。これが長い間感じてきたことであり、読書の趣向は専ら、学術書(専門向け・一般向け)、マニュアル本、自伝、最低でもノンフィクションだった。

けれども、最近はなんだか違う感じ。嘘でもいいから、作り話でいいから、美しい文体でただひたすら純粋な世界を描いた小説を読みたい。頭が弱るってこういうことなのかな。




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category: セルフビルド、DIY
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流浪の民に戻りたい  


・初めて読む人へ

最近メディアで紹介されたりしてこのブログを初めて読む人が多いようなので、改めて書いておく。僕ががっつり小屋で暮らしていたのは最初の3年間くらいで、そのあとは小屋を留守にして海外で旅をしていたり、国内のゲストハウスに泊まっていたり、河川敷でテント暮らししたり、また小屋にしばらくいたり、春夏は畑をやったりなど、諸方をふらふらしてきた。それでも昨年(2017年)までは「拠点は小屋」という意識があったが、今年に入って東京にアパートを借りてからはその意識も薄れ、現在は都会人として暮らしながら月に一度くらい小屋へ戻って何日間か滞在しながら畑の世話をしたりする、ただの無職である。


・アパート出たい

ただ、正直、アパートはもう出たい。アパートにいると意識が朦朧としてくる。アパートに入ったのはいくつか理由があったのだが、今は何ひとついいことがない。思考が同じ所をグルグル、いやグルグルさえしていない、考えてすらいない、こんなのは「思考」とは呼べない。頭の中の「モジャモジャ」である。「モジャモジャ」のせいで魂が濁ってくる。この便利で快適なアパートのせいだ。同じ温度、同じ景色、同じ食事。これらと一緒に自分の「モジャモジャ」はアパートにぐるぐる巻きにされている。ってこれ、10年前にも全く同じことを考えた。それでアパートを飛び出して路上で生活し始めたんだった。ひとつも学習していない。けれども、アパート出たい。また流浪の民に戻りたい。




・8月の小屋

記憶にないほどの熱帯夜。昨年夏はずっと小屋にいたがこんなに暑いことはなかった。といっても28度だが、じっとしていると汗ばむ夜は自分の小屋では珍しい。そういう時はまずは裸になる。濡れタオルで全身を濡らして、そのまま肩にかけておく。必要なものは本当に少量の水だけだし、これが多分一番冷却効率がいい。気化熱を吸われてかなり冷える。さらに、もう使うことはないと思っていた扇風機を久々に出動(昨年夏は一度も使わなかった)。濡らした体に扇風機をあてると、風邪ひくくらい冷える。東京で暮らしていると最適気温から少しでもズレるとエアコンをつけたくなる。小屋にいてエアコンが無いとわかっていると、体も覚悟するらしく、意外となんとでもなる。


・電力不足

うっかり油断して湯水のごとく電気を使っていて、インバーターに低電圧警報ブザーでどやされた。湯水のごとく、というのは、①外の白熱電球を一晩つけっぱなし(クワガタ誘引のため)、②室内のLED電球をつけっぱなし、③扇風機、④スマホとパソコンを特に用もないのに充電しながら使用。少なく見積もって全部で50Wだとしても、うちのソーラーシステムでこれをやると二晩で電力が尽きる計算。電力が尽きるとどうするか。特にどうもしないが、スマホとパソコンのバッテリー、乾電池式のライトでしのいで、お天道様の再来を待つ。


・羽音で虫の種類を聞き分ける

小屋で生活していると、小屋の中にいながらにして、小屋の明かりを目がけて飛んでくる虫の羽音からその種類をあてるという特殊能力が身に付く。カブトムシ、クワガタ、カミキリ、トンボ、カナブンなど、だいたいわかる。ところが今回、ノコギリかミヤマクワガタのオスだろうと思って外へ出ていったところ、カミキリムシであった。もとよりカミキリムシは手ごわい。カナブンは陳腐な羽音がするので簡単なのだが、カミキリの羽音はBassが効いており、クワガタのオスと聞き分けにくい。何が違うかというと、クワガタの場合は基本的にあまり飛行が得意ではないので、ブォーンと飛んできてバチンとぶつかって、それでとまるか落ちるかして終わりである。しかしカミキリの場合は、バチンバチンと何度も窓に衝突してきたり、一度飛行停止してもまたすぐに飛び立ってぶつかってきたりする。何が言いたいかというと、小屋をしばらく離れているといろいろ忘れるし感覚が鈍る。

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・「嘘に決まってる!」

小屋暮らしに対してはやけに好意的な反応ばかりでこわい。いくら良い解釈であろうと、自分の知っている自分の輪郭と他の人の認識とのあいだにズレが生じると、気持ち悪いものである。一方で、「嘘に決まってる!」という人が定期的に必ず出てくる。こればっかりは永劫回帰である。食料をスーパーに依存した小屋暮らしなんてたいしたことないと思うのだが、どうしても嘘だと考えないと納得できない人がいるらしい。やはり僕の小屋が生活できるとは思えないくらいボロすぎるのがいけないのかね…。ちなみに動画に関しては、動画を撮ったその日に限って言えば半分嘘で、短期間の帰宅では本来やる予定が無かったこと(ロケスト炊飯とか)をわざわざやったりしている。そもそも、カメラを設置して何かするあほらしさを思い浮かべればわかることだろう。僕だってカメラが邪魔でしょうがない。ただ、動画に映っている類のことは、僕がカメラなしで何百回もやってきたことである。


・小屋暮らしはミニマリストではない

どうがんばっても小屋で暮らしているとモノは増えてゆく傾向にある。道具を買って保管。道具をメンテナンスするための道具。板切れ使って余れば保管。保管するための物置。何をもってミニマリストと呼ぶかによるのだが、モノがあるかないかということだけで言えば、小屋暮らしはミニマリストには程遠い。どうしてミニマリストと関連づけられることが多いかというと、多少モノを増やしてなるべく自分でやるようにする代わりに、仕事や人間関係をミニマルにするからだろう。反対に、お金を稼いで全ての物事を外注すれば、どこかにしわ寄せがいっている可能性はあるが、少なくとも自分自身はミニマルになる。モノを減らしたければ小屋など自作せずに早急にそうすべきである。


・生真面目な自分とチャランポランな家

個人の個別的なストーリーで小屋暮らしについて語ることは限界がある。しばしば「この人は○○だから」で小屋暮らしが片付けられてしまうのは本当にもったいないと思う。たとえば「この人は頭がいいから」は全くの勘違いである。僕のやっていることがどんなに拙いか、まるでわかっていない。この小屋がどうして未だに雨漏り一つせずにちゃんと機能しているのか、不思議でしょうがない。長くこのブログを読んでくれている人は、「巧いことをやっている」というよりも「こんなに拙くても生活できる」くらいの認識なのではないだろうか。しかし初めての人にはそれが伝わらない。そもそも僕は本来、明文化されたルールや知識や約束に関してすごく真面目で、真面目すぎるゆえに疲れてしまうところがある。その反動で、自分がチャランポランでいられる素人自作小屋暮らしが好きだ。だからちゃんと勉強した上で完璧なものを建てるなんてことはしたくもない。そういう自分の生真面目さから逃れて、ボロでも暮らせること、完璧でなくてもいいことを確認している。


・ブログや本の収入

「この人は本やブログの収入があるから」もよくある。確かにブログを頻繁に書いていた頃はブログから月に10万円~15万円の収入があったが、現状は大した収入はない。本の収入だって、かけた労力や世間一般の給与を考えれば、雀の涙である。別の小屋暮らしの人(@garassan)も書いていたが、「本を書いているから小屋暮らしできる」のではなくて、「小屋暮らしだからこそ本なんぞ書いていられる」のほうが正しい。まあ仮に自分が多くの収入を得るようになったとしても、それを生活費に充てることに何のためらいもないが。前は一時期、一般的でない収入(何をもって一般的というか不明だが)は口座を分けて計算を別にしておこうとかやっていたが、別に捨てるわけではないし、いったい誰に対して何を守っているのかわからなくなり、また、そんなことをしたところで僕個人の特異性など消えるわけもなくライフスタイルの一般性など証明できないと思い、すぐにやめた。


・畑

さて、畑である。枝豆である。葉や茎が太く大きく育ってしまっているにもかかわらず、豆が未だにペタンコなので心配だが、そういえば昨年も同じ時期に全く同じ心配をしていたなと思い出した。これがあと半月もすれば膨らんでくる(はず)。ジャガイモは通販でも都会のスーパーでもタダみたいな値段で売っていて、素人が対抗するのは難しそうである。一方、枝豆は一束298円とか398円とかで、野菜の中では結構高級品の部類に入る。スーパーをうろうろしながら「やっぱり枝豆だな」と独り再確認。なにしろ自分が枝豆好きでいくらでも食べられる。昨年の採れたての枝豆が忘れられず、そのあともよくスーパーで冷凍枝豆を買ったものだが、自分で作ったもののほうが香りと食感が圧倒的に良い。

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