寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

小屋暮らしの毒  


日本ソロー学会の全国大会で、これまでの経験や、勉強したことなどを、かいつまんで話してきた。

http://blog.goo.ne.jp/thoreau-society/e/7717ca8b77cf66e9117a948a9bb73576


あと、ソロー学会誌に、エッセイを掲載させていただいた。


10万円で家を建てて生活する寝太郎のブログ


これを機に、「小屋」そのものに関して考えたり発信したりするのはとりあえず一区切りと思っている。


小屋暮らしには、麻薬のようなところがある。
声も音も聞こえず、情報や用事が入ってくることも無く、言葉やメロディや記憶を反芻することもなく、頭が空っぽになった状態で、木々のざわめきと、小鳥のさえずりと、たまに聞こえてくる飛行機の音以外、静まり返った空間。
自由を謳歌するとか、好きなものに囲まれるとかいう以前に、「無」というのは、本当に心が安らぐ。

しかし、僕の場合は、一人だと本当に一人になってしまって、一時的な「癒し」とか「リフレッシュ」なんかではなく、「一人」がどんどん加速していくのが分かる。

それは、僕が本当に一人が好きだからだと思う。

好きなことをしているときはあっという間に時間が過ぎていくように、僕はいくらでも一人でいられる。

何か趣味に没頭しているわけじゃない。ただ単に、やることがなくても、延々と一人でいられる。
寂しいと思うのが正常だと思うのだけど、僕は1ミリも思わない。

退屈だと思って時間の流れが遅く感じるのが正常だと思うけど、僕は1ミリもそう感じない。

どんどん時間が過ぎていく。加速していく。気が付けば何十年も経過していそう。

小屋暮らしは、僕にとっては、麻薬のような存在。


小屋暮らしと、自分の思想や世界観とが直結しすぎていて、何をどこまで開示すべきなのか、迷いがある。

今日の発表の質疑応答でも「どうして今の生活を始めたのか」と問われて、

「一人でいろいろ考えたくて、そのためにこれが一番合理的だと判断した」

「小屋暮らしをしない理由をひとつひとつ思い浮かべても納得できなかった」

「不特定多数とのコミュニケーションが苦手で、どうせ普通には生きていけないと思っていた」

くらいの無難な答えしかできなくて、自分では全然説明しきれていなくて、中途半端で辛い。


今年に入って、小屋にいる時間と、シェアハウスにいる時間が半々くらいになったと思う。

もちろん小屋は使い続けるけど、僕が小屋にいない間や、ネットを見ていない間も、結構たくさんの方が「小屋ブログ」だと思って見に来てくれているみたいで、一応、ブログをやっている以上、宣言の意味も込めて「一区切り」です。



主夫の悩み:相棒が夕食前にビスケットをポリポリやっているとちょっと悲しくなる


10万円で家を建てて生活する寝太郎のブログ


これが本当の闇なべ。




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白昼夢の隠れ家  


とある友人から『雑食動物のジレンマ』という本を紹介してもらった。


雑食動物のジレンマ 上──ある4つの食事の自然史
マイケル・ポーラン
東洋経済新報社
売り上げランキング: 178627

「何を食べるべきか」という問いに対する答を書いた本で、それに答えるために「私たちを支える食物連鎖を大地から食卓まで追跡」したという。


始まりはこんな感じ。


ユーカリの葉の外見と香りと味が遺伝子に刻み込まれているコアラと違って、人間やネズミなどの雑食動物は、いちいち何を食べるか迷わなければならない(雑食動物のジレンマ)。このうちネズミは、「この重大な分類作業を大体自分だけで行わなければならない。つまり一匹一匹が、どれが食べ物でどれが毒なのか実際に試して記憶する」。それで、「一方人間は」ときて、次にさらりとこう書いてある。


自らの感覚と記憶に加えて、いままで数え切れない人々が構築してきた知恵と経験という、文化のはかりしれないメリットを持っている。・・・人間の文化は、タブーや儀礼、レシピ、マナー、料理の伝統など、賢い食べ方についてのルールをつくり、食事のたびに雑食動物のジレンマを再現しなくてもいいようにしているのだ。

話はこの後、ところが現代では(主として「工業化した食品」のせいで)スーパーに並んでいるもののうち何を食べたらいいのかわからず立ち尽くしてしまう、優れた食品である可能性もあるし、毒物である可能性もある、この意味で雑食動物のジレンマが再来しているのだ、と続く。


私もよく、スーパーで立ち尽くしてしまうことがあるのだけど、私の場合はそもそも、文化によって先人の食の経験を受け継ぐという人間特有の機能にどこか欠陥があって、何を食べたらいいのか分からずに立ち尽くしてしまうという、初歩の初歩で右往左往している。

この本の問題設定は私には高度すぎて、私はネズミレベルだと言われているに等しい。

ネズミ人間からすると、この本の主題の悩める人間とは、他人を信じる力に溢れた「豊かな」人間で、人類全体を一人の中に詰め込んだような現人神であって、本人も気付かないままにいとも簡単に最善の答に辿りつくことができる超能力者である。一方、ネズミ人間は、食べ物と毒を分類しているうちに一生を終える。


この本の著者、マイケル・ポラン氏は、食に関するジャーナリストなんだけど、実は小屋に関する本も出している。


A Place of My Own: The Architecture of Daydreams
Michael Pollan
Penguin (Non-Classics)
売り上げランキング: 318471

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この本の大部分は小屋作りの記録で、英語を読むのもしんどいので私は読んでないのだけど、最初のほうだけ読んだことがあって、第一章のタイトルが「自分だけの部屋」(A room of one's own)なんですね。

これは、イギリスの女性小説家ヴァージニア・ウルフの同名の著書から来ていて、これがまたおもしろい。いわく、


小説を書くためには、年に五百ポンドの収入と、ドアに鍵のかかる部屋を持つ必要があります。
本当は「女性が」という主語がつくんだけど、男とか女とか関係なく読めると思う。「ドアの鍵」は「自分で思考する力」を意味し、

作家が彼の経験を余すところなく伝えていると私たちに感じさせるには、精神全体が広く開かれていなければなりません。自由がなければならず、静穏がなければならないのです。・・・カーテンはぴったりと引かれていなければなりません。


自分だけの部屋 (ヴァージニア・ウルフ・コレクション)
ヴァージニア ウルフ
みすず書房
売り上げランキング: 49817



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