寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

『糧は野に在り 現代に息づく縄文的生活技術』かくまつとむ  


僕みたいな普通の現代人が、自分自身の閉塞感からアンチテーゼとして思い浮かべ、憧れ、導き出すまさに「カウンター」であるところのカルチャーを、あたりまえにやっている人たちの話。

六人の子供を一人前に育ててからすぐに奥さんと別れ、奄美に建てた小屋にひとりで住んでいる元武光さん(1941年生まれ)。村で一番貧しい家の長男に生まれた元さんは、子供の頃から毎日、兄弟を食わすために野山を駆け巡り、それが仕事であり、遊びであったという。

今でも、森や川、海で採れる自然の幸で自給生活している。シイの実、若芽、タケノコ、木の実、キノコ、カニ、魚、ウナギ、ハブ、イノシシ、etc...。河口では、4mの竹竿と現地調達のエサで、クロダイまで釣ってしまう。

裸足で歩きまわり、グミやタラの木を煎じて飲む元さんは、薬知らず、医者知らず、病気知らずだという。

畑で野菜と果物も作っているが、いわく、畑無しでも充分に生きてゆけるらしい。著者のかくまつとむさんは「縄文を感じた」と記している。

米や調味料などは物々交換で得る。

さらに興味深いことは、その場で交換されるわけではなく、事前に、あるいは後日あらためて持ってくる形であることだ。交換経済というよりも贈与経済に近い。(p.37)

欲しいという人に気前よく分けると、コメや調味料になって返ってくる。元さんが嗜まないビールや焼酎を持ってくる人もいるが、それを人に回せば、いつかまた別なものとなって到来する。ウナギの代金だといってお金を持ってくる人もいる。元さんは素直に受け取るが、自分から額を示すことはない。(p.93)

写真も豊富で300ページ、楽しめた。こういうのを読んでしまうと、憧憬が膨らむどころか、自分は一生こういうふうにはなれないだろうな、自分とは違う人間、自分とは違う世界だなと、何か清々した気持ちになる。




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『人間は脳で食べている』  


タイトルの「脳で」というのは多義的な言い方だが、この本の主題に沿えば「情報で」ということである。食品に関して予め得られた情報が、「おいしさ」に大きく影響する。

「おいしさ」の研究家である著者によれば、「おいしさ」には四つの構成要素がある。

1.生理的なおいしさ
 動物や人間は生理的に欠乏している栄養素や物質がわかり、それらを含む食物をおいしいと感じる。

2.中毒的なおいしさ
 油脂、甘味、塩分など、快感によって脳の報酬系が強化され、中毒症状を示すおいしさ。高度の嗜好性食品などを含む。肉体的な欠乏や充足とは無関係に食べてしまう。

3.文化的なおいしさ
 国、民族、地域、家庭などの集団の中で継承されている味付け、食べ慣れた味をおいしいと感じる。周囲を模倣することによる安心感や、記憶の反復に由来する。

4.情報的なおいしさ
 テレビCM、ネットや雑誌の広告、口コミ、店頭表示、価格、ランキング、キャッチフレーズ、解説、産地、「天然モノ」表示、他人の感想、ブランド、賞味期限、調理師、JASマーク・トクホマーク、パッケージ、健康増進・ダイエット機能、行列、接客、etc・・・

1と2が動物的な「おいしさ」であり、3と4が人間に特有の「おいしさ」である。

本書はこのうち「4.情報的なおいしさ」に関する本だということだが、特に4に関して深く掘り下げているという印象はなく、どちらかというと「2.中毒的なおいしさ」に関する解説の比率が大きかった。

いずれにしても、こうした分類によって、日本をはじめ現代先進国の人間の食事は「2.中毒的なおいしさ」と「4.情報的なおいしさ」に比重が偏りすぎているということを再確認することができる。

いずれの「おいしさ」も、元来は安全対策・栄養判断のための合理的なシステムであるが、2や4は商業的な観点から簡単に利用され、「スカスカ」の食事ができあがりやすい。

ちなみに内容とは関係ないが、この本は鍵括弧の使い方が非常に独特で、おそらく「世間の声」や「読者の反論」、「どうでもいい野次」のような意味で唐突に使われる。個人的にはかなり邪魔だった。文体に拘りのある人は要注意。

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