寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

『コミューンを生きる若者たち』今防人  


commune.jpg僕自身は、古風でシリアスなコミューンの中でも、現代風で緩いコミューンの中でも、おそらくうまく長くやってゆくことはできないだろうと想像する。しかし、そうであるがゆえに、コミューン的なるものと真逆の心性を持っていると自覚するがゆえに、この本は本当におもしろかった。

発行は1987年と古いが、シリアスな意味でのコミューン運動が一通り沈静化した後であって、それらを総括するにはさほど問題ではない。ちなみに、古い本なのでアマゾンでも取り扱いが無い。

冒頭はカウンターカルチュア全般についての概観である。いわく、搾取や疎外の廃絶や平等の実現などの社会変革について容器(構造)の問題として論議するのではなく、カウンターカルチュアは

まずなによりも窮極の目標をいま、ここで生きようとする試みである。・・・彼らは自分の生を尊重する。・・・彼らは自己犠牲とは無縁である。(p.14)

また、

カウンターカルチュアにおける自然崇拝は、屈折した心性の持ち主、骨の髄まで近代文化に浸ったのちに、生活のすべての局面においてそれらを退ぞけようとする人々が深い絶望から這いあがろうとする営為なのである。(p.13)

ところが、

野性のライフスタイルを押し通そうとするならば、必ずや支配的なスタイルと衝突して抑圧を受けるにちがいない。現代社会を根底から支える科学・技術信仰や実行原則などのタブーに触れるからである。(p.13)

そして、文明の恩恵をどの程度受けるべきかという問題、人為的に肥大化された欲求の変革の問題、労働倫理の問題などが語られる。

ここで繰り返し述べられる「全体性」への欲求に、それを実際に選択するかどうかは別として、僕は強く共感する。

ライフという生は優れて全体的なものなのだ。小ぎれいに生活を分けて生きる生き方は、まず否定されるのである。この意味で彼らは原理主義者なのである。(p.23)

自己を抑圧し疎外する外なる大社会からのドロップアウトは、いわば意識面でのウィークエンド・ヒッピーを許さなくなるのである。非日常的意識が中心となり、分断され断片化した意識生活が統合されなければならないのだ。(p.44)

ヒッピーに代表される彼らは、ドラッグによる自己変革からネオオリエンタリズムへと推移し、やがて共同体を形成するようになる。コミューン主義の勃興ないしは復活である。

コミューンについては、前史として新井奥邃や江渡狄嶺、およびトルストイズムを扱ったのちに、新しき村、山岸会、心境部落、厚木振出塾、弥栄之郷共同体、グループもぐら等々について、「コミューンを構成する一人一人の生に密着しつつ、人間がコミューンを形成していく過程をアクチュアルにとらえ(p.166)」ようとする視点から語られている。

「彼らが、自分たちが抱えていると考えている問題は、実に多い(p.219)」とあるように問題は山積しているようだが、最も印象に残った部分だけ一つピックアップ。以下の問題は登場するほとんどのケーススタディに出てくる。

共同体建設において、モノの非所有というのは、それほど難しいことではない。(もっとも個的所有が、集合的所有にすり替えられている場合が多いが)それに対して、男女関係や親子関係の愛情の問題において<非所有>はより困難である。とりわけ、子供や異性のパートナーに対する愛着は血縁の神話や家族という制度によって支えられた根深いものであり、容易に排他的なものとなり、さまざまな差別、嫉妬、怒り、憎悪、争いの源となりがちなものである。(p.150)

ちなみに、僕が「あったらいいな」と考えていたコミュニティは「厚木振出塾」が近い。

第一にまったくの出入り自由が挙げられる。誰が何時に来てもこばまないし、何日間滞在しようが本人の自由とされた。(p.155)

第二は労働を強制しないことであった。タダ飯結構というのである。この場は<人とともに繁栄する>ことを目指すところではない。(p.156)

『アジールとしての東京―日常のなかの聖域』の中で、歴史学としてよりも社会学としてのアジールを、奥井智之が簡単に「不特定多数の人々が集う聖域」として定義しているが、察するに「厚木振出塾」は、コミューンというよりもアジールの色が強いのかもしれない。




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「無縁の原理」で人生をやり直す―『無縁所の中世』伊藤正敏  


日本の中世には「無縁所」と呼ばれる場所があった。そこは、主従関係・親族関係を断ち切って、財産権も借財も放棄し、国の支配さえ逃れて避難できる場所であり、貧窮者、難民、移民、奴隷、罪人など、世俗と縁を切って、ゼロからスタートしようとする有名無名の人々が集った。

合戦の際、負けの見えた大名が無縁所に避難することも多々あった。関が原の戦いでは東軍の多くの城主が説得され高野山に入った。後醍醐天皇は足利尊氏に敗れ、二度にわたって比叡山に駆け込んで窮地を逃れた。義経を匿ったのも寺社である。その際、和平の使者となったのも、中立の立場にある「無縁の人」であった。

代表的な無縁所は寺社勢力であった。寺社の論理は仏教思想に源流を為す「無縁の原理」である。

主従の縁、親族関係などの世俗との縁は、仏教の原理からすれば最初から切れている。また僧侶は個人では何一つ所有しない建前であり、その裏返しとして、借財も納税義務もないことになっている。(p.87)

『無縁・公界・楽』を著した網野義彦に拠れば、「無縁所」の特徴は以下の八項目である。

1.検断(警察)不入
2.諸役(税金)免除
3.自由通行権の保証(無縁所の外でも身柄を拘束されたり徴税されたりしない)
4.平和領域
5.私的隷属(奴隷)からの解放
6.賃借関係の消滅
7.連座制の否定(家族に累が及ばない)
8.年功序列

いわゆる「アジール」(無縁所に似た避難所)の一種であるが、ヨーロッパの「アジール」では、原則として、国家的犯罪者は駆け込みを許されない。日本の無縁所は、謀反人にさえ保護を与えるものであった。

中世の無縁所は、江戸時代の駆込寺・縁切寺などとは比較にならないほど大きかった。また、駆込寺は「すべての権利を剥奪される刑務所を思わせる施設(『寺社勢力の中世』p.28)」だった。

「武士の家」も、外界からの遮断、不可侵性、不入の権という意味では、寺社と同じであった。しかし、「武士の家」に駆け込んだ人間は、絶対的な保護下に置かれると同時に、絶対的な束縛の下にはいる。その境遇は奴隷であった。

一方、寺社の無縁所に入った者は自由の身となった。ただし、無縁所はあくまで一時的な保護であって、「奴隷の境遇を甘受することとは正反対(p.140)」であり、「無縁世界に飛び込んで生き延びた後は、自力によってなりふりかまわず生きる必死の努力が必要(p.140)」であった。そうして「無縁の人」の自力再生の努力によって展開したのが境内都市である。

無縁世界は永遠の保護を与える楽園ではない。(p.211)


日本におけるアジール論の先鞭をとった平泉澄や網野義彦らが挙げている例は「あまりに弱体すぎ(p.189)」て、「こんな頼りない所に駆け込む気にはならない(p.197)」ものばかりであり、本書の著者はこれを有縁の権力の下で承認されていた「相対無縁所」と呼び、自立的な「絶対無縁所」と分けている。

その上で、絶対無縁所は確かに存在したとして、それは何より寺社勢力であったと言う。

無縁の場を確保するための力・・・は武力だけではない。経済力・宗教的権威・文化力・・・そこにつちかわれたすべてである。寺社勢力を除いて、このような資格と力量を持つものはない。(p.200)




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