寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

dosさんの焼き芋を食べてきた  


歩きまくった12月、1月であった。

昨日も歩いて、散歩がてらdosさん(黙認!This is dosB69)の石焼き芋屋に立ち寄った。散歩がてら、というような短い距離でもないが。

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・・・こんな焼き芋食べたことがない・・・。と思ったのは僕が自分で焼いた焼き芋しか食べたことがないからかもしれないが、柔らかいし、下から蜜が滴り落ちてるし、途中で何を食べてるのかわからなくなってきた。カスタードシュークリームに似ている何かを食べていた気がする。

自作小屋暮らしをしつつブログを書いている人が何人もいる中で、dosさんについて特筆すべきはもみあげ彼女の存在。話題は必然的に、カップルでの小屋暮らしの話に。

男一人で作るとどうしても機能的な事ばかり考えてしまい、「誰かに見られる」という観点が全く無く、殺風景でお洒落とは程遠い感じになってしまうのだが(ああ耳が痛い)、その点カップルでやると違ってくるようである。

小屋暮らしいいなぁと思っても踏み出せない理由の一つはやはり結婚というか、家族や子供の問題だろうと思われるので、その点非常にシリアスな話題なのだが、まあ男二人で話したところでどうなるわけでもなく、壁をピンク色にしとけば女性からの評判も良いのではないかと、そんなことを言っていたらあっという間に一時間過ぎた。

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お母さまからお茶もいただきまして、ごちそうさまでした。




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ゲストハウスのひとこま  


薪拾いも水汲みもなく、エアコンの効いた部屋で半額弁当を食べる毎日。大殺界が明けるまであと5日。

もし僕が、全く知らない相手のことを知るために十の質問を作るとしたら、やはり「神(ないしはそれに相当する存在や概念)を信じるか否か」は必ず入るだろうと思う。けれども、神は、信じるか信じないか、それだけでいいと思うのだ。ロジックを以って誰かに納得させようとするようなものではない。

今いるゲストハウス、外国人のゲストがほとんどで、特に多いのがマレーシア人とオーストラリア人。理由はよくわからない。

夜明け前に僕が寝ようとすると、家族で来ていたマレーシア人のパパのアラームが鳴って、暗がりでよく見えなかったのだが、彼は体を起こして、そのままベッドの上で座っていた。翌日僕が、「朝は瞑想でもしているんですか」と聞くと、例のムスリムの一日五回のお祈りだという。たとえドミトリーでも欠かさないらしい。そうか、なぜ思いつかなかったのだろう。

それで、「あなたは何か特定の宗教を信仰してる?」「いや、何も。日本人はだいたいそうだよ」というようなお決まりの展開になって、まあボーっと話していたところ、「テーブルやパソコンは人間が作ったでしょう。じゃあ人間は誰が作ったの?」と一歩踏み込まれた。

率直、嫌だなあ、と思った。

もちろん彼は「神」という答えを持っているし、おそらく僕以前にも多くの人に投げかけてきたクエスチョンを軽い気持ちで繰り返しているだけなのだろうが、そこにほんの少し、「自分はただ信じているだけじゃない、ロジックを携えているんだ」という自負のようなものを感じた。実際はロジックなんてものとは程遠いのだが。そしてそれを目の前で披露されるということは、多かれ少なかれ論争を仕掛けられているに等しい。

僕だって人間や生命が物理化学の偶然的な反応から生まれたとは思っていない。それはどうしても無理がある。だからと言って、「この世に作れないものがあったら、どうして神が作ったことになるの」とか「そもそも神ってなんなの」とかいうような、不毛な、哲学や宗教学を一からなぞるような論争は誰も望んでいない。旅行者同士の会話において、踏み込んではいけない一歩だと思う。

こういうときは一体、どうすればいいのだろうか。そんなこと考えたこともないよというような顔で「I don't know.」と言うのが大人なのだろうか。




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