寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

年金の収支  


これは国民年金の個人単位での収支です。たぶん合ってると思います。手書きでごめんなさい。


10万円で家を建てて生活する寝太郎のブログ


月額15000円納付の、受け取りは65歳からの満額月66000円で計算しています。

青線が真っ当に支払った場合、赤線が年収122万以上(独身)で支払わなかった場合、緑線が年収122万未満(独身)で免除申請した場合です。

ちゃんと支払った場合にペイするのは約74歳。

一方、免除の場合(緑線)は月額7500円支払ってきたと見なされ、支給額は月33000円になります。

したがって、「ちゃんと働いて払っておけばよかった」となるのは約83歳です。


さて、年金は本来、「経済の変動に耐えうるように」するための仕組みらしいので、個人の収支で考えるのは間違ってますし、そもそも一次関数で表せるようなものではないかもしれません。たとえば、老後のために蓄えておいたけど、物価が上がっちゃったとか、壁と屋根さえあれば十分だと思っていたのに、生活水準が上がって豪華なマンションしかなくなってしまったとか、そんなふうに困ることが無いように、経済状況を反映した現役世代の稼ぎによって生きることができるように、というものらしい。

ですから、リスクと見合わないと思ったら、入らなければいい(というか、加入はすることになるけど支払わなければいい。)。日本の年金は高度経済成長期にできたので、みんな納得して入ったんでしょうけど、例えば、物価がどんどん下がっているときとか、生活がシンプル志向に向かいつつあるときとかだったら、果たして機能したかどうか。もちろん、加入せずにそのぶんタンスに入れといたとしたら、それが紙切れ同然になっても知りませんよ、ということ。それが赤線。


よくわからないのは、緑線。つまり免除制度。言ってしまえば、「自分は高齢者を支えませんけど、将来は他人の半分くらいでいいので支えてくださいね」ということになる。免除申請の判断にいちいち個人の人生は問われないので、「支えられるけど支えない」のか「支えられない」のか、つまり「働けるけど働かない」のか「働けない」のかは関係がない。確かに、免除制度でももらえる「半額」は、国庫支出分に当たるらしい。払ってる人も払ってない人も、国庫支出分くらいは同等に保障しようってことらしい。でも免除が通るような人はそもそも税金も払ってないわけで・・・。この「抜け道」は酷すぎないでしょうか?


もし、小屋でも建ててあまり働かないで生活していこうと割り切っちゃった人がいたとして、そんな奴の存在が認められるとしたら、考えられる理由としてはいくつかしかないような気がする。


1.法律が悪い。

2.プラマイ収支ゼロになるはずだという考えが間違っている。個人間・国家間の無駄な争いや肥大化した社会システムが無くなれば、人々が暮らしていけるだけの資源と技術は十分にある。あるいは現時点でも十分にある。

3.「個人の選択の自由」など存在しない。本人は「自分の自由で働かないんだ」と思っていたとしても、実はそのような判断をするような環境に育ったというだけのことで、本人に責任はない。

4.逆に、本人に責任が無く働けない人、「本当の弱者」など一握りしかいない。職がないのは、ファミコンばかりやっていた本人が悪い。よって、働けないのか働かないのかを区別する必要はない。

5.法律として許されている以上、あとは、どう生きるか、個人の選択に委ねられていて、ちゃんと働いている人はそれなりの理由があって働くことを選択した以上、文句を言えない。心底免除制度が羨ましいと思うなら、そういう生き方をすればいい。


どれも苦しいですね・・・。実際、2は真剣に考えられつつあると思うのですが、何が「無駄」で「肥大しすぎた部分」なのかを判断するのがものすごく難しいと思う。例えば誰もが車に乗ることや、キャバクラや戦争は、本当に科学技術が発展し維持され人々にその恩恵が行き渡るのに必要ないのだろうか。そもそも2は、低所得者優遇、つまり赤線と緑線の違いを説明する理由にはならない・・・かな?




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車上生活 その23 (?日目@道の駅)  


もう何日目かわからんです。


マクドナルドで電源を繋いでパソコンを使っていたら、変なお兄さんに絡まれました。

正確には覚えていませんが、「電気窃盗」が云々かんぬん。

こういうときは完全に無視するに限ります。何を語りかけても、意思疎通をしてもらえる、何か説明を受けられる、レスポンスを受けられると勘違いしている人が多いと思う。

頭ごなしに注意してくるような人間に、「断わって使っていますよ」という一言でも与えてやる親切さは自分には無い。

しばらくごにょごにょ言って去っていきました。


ところが世の中には無視しきれない状況というのがあって、

・胸ぐらを掴んで話しかける

・頭に残りやすいメロディに乗せて垂れ流す

・数の力に訴えて包囲網をつくる

・会議や授業のような、返事をしないとモノゴトが進まない状況に追い込む

・雑音として消しきれないような大きな声で話す


ちなみに、マクドナルドは「ご自由にお使いください」というコンセントがある店以外は、店員に一言確認したほうがいいですね。経験上、「どうぞ」「長時間でなければどうぞ」「1、2時間くらいまででしたらどうぞ」というような返答が9割です。



深夜2時、夢の世界にいたところを警察2人に起こされました。

聞き取れた限りでは「ごめんくださーい」「こりゃ朝だな」「家みたいになっとるんかな」

返事をしたのに声が小さかったのか、どっか行ってしまいました。

職質するならしろよ・・・また朝来るのか・・・


そして翌朝7:30、再び登場。

話してみると結構いい人たちで、中をチラチラ見て笑いながら、「いやーすみませんね、珍しいものがあったもんで」とか言って、去っていきました。職質なのか興味なのか、特にお咎めはありませんでした。


そんなこんなで、やっぱりこのスタイルは「生活」ではなくあくまで「旅行」の範疇にとどまるかな。けして不可能ではない。1年やったら1000万もらえるとしたら、余裕でやる。けれど、ゆっくり定住するには向かない。せいぜい、何ヶ所かよさげな所を見つけておいてローテーションするくらい。


お留守番してもらうときはこんな感じ。だんだんかわいく見えてくるでしょう?


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