寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

東京行3 宣教旅行  


10万円で家を建てて生活する寝太郎のブログ


彼は、広島出身、横浜を拠点として、関東甲信越全体を宣教して歩いているらしい。

横浜の拠点がちゃんとした家なのかどうかは聞きそびれた。

髪はボサボサ、髭はボウボウ、肌は黒ずんでいて服と一体化して、いわゆる路上生活者然としていた。

ここまで汚くなると、下手にタオルで拭いたりすると、大人しくしていた垢が浮き出てきてとんでもないことになる。


移動は全て徒歩、バックパックではなく、写真のようなキャリーを引いて歩いているという。

私はキャリーって使ったことないんだけど、空港内を転がすならまだしも、外を歩くときにも使えるのかな?

やっぱりGがかからない分、背負うより楽なんだろうか。


寝袋を持たない代わりに、厚手のダウンジャケットを着ている。

もちろん寝るには寝袋のほうが暖かいが、野宿旅行のひとつの選択肢ではあると思う。

ちなみに彼は毛布に包まって寝ているのだが、毛布は重くて汚れやすいし、包まって寝てもあまり暖かくない。モコモコよりも、体の熱を溜め込んでおけるような通気性のないもの、つまり薄手の寝袋のようなもののほうが、毛布よりずっと暖かいし小さくなるし軽いし。

あとはブルーシートを一枚持っているようだった。


野宿場所は主として各地の公園。

都会だったらまだしも、地方では警察が飛んでくるでしょう?と聞いたら、その通りだと言っていた。


どうやって食っているのかと聞いたら「いろいろ探してきて」というのが答えだった。

つまり、廃棄商品、空き瓶、空き缶、雑誌拾いのことだ。

でもこれらは、ある程度定住してその地域の事情を熟知しないとできないはずで、各地を歩きながらできるとは思えなかったのだが、あまり深く聞けなかった。


毎日苦労して100円稼ぐより、日雇いの仕事で一気に10000円くらい稼いだら数ヶ月は楽できるんじゃないか、と提案したら、日雇いの仕事は自分の理想に合う仕事がなかなか無いと言っていた。理想というのは、地球を汚さないとか、そういうことらしい。


たまに泊めてくれる親切な人がいるが、泊めてもらったりすると強く宣教できなくなってしまうために、本当に共感して申し出てくれる人以外はお断りしている、ということだった。その辺のこだわりは、なんとなく分かる気がした。


彼は、ギリシャ語を自分で勉強して、聖書の原典を読みこなしているらしく、日本語訳はいいのが無い、微妙にニュアンスが違ったりする、と愚痴っていた。

「自分の訳本を作っちゃえば、どうです?」と提案したら、すごく喜んで、そのつもりだと言っていた。



彼がその信念のために野宿徒歩旅行のリスクが見えなくなっていると言えばそれまでだが、まぁやろうと思えば誰にでも今すぐにでも(十分な所持金がある人はもっとずっと楽に)、バック一つで放浪できる国だってわけだ。


過酷な宣教旅行が、彼の信心をより昂ぶらせているような気がした。

彼はそういう、目に見えるわかりやすい目的とか、大きな使命感のようなものに夢中になっている気がした。

海賊は、宝が欲しいんじゃなくて、宝を求めて自由に荒海を彷徨いたいのだ。


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エノキともやしと鶏のささみ。

全部白だから見た目は冴えないけど、うまかった。


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スティックチョコと、玄米茶




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東京行2 主の教えに従えば救われます  


やっぱりフトンは気持ちがいいなぁ。


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9月27日、朝7時頃目が覚めて、少し寒くて寝足りない感があったので二度寝、8時頃に再び目が覚めて、寝袋その他を片付けていると、隣で寝ていた方が徐に近づいてきて、


「キリストについてお話したいんです」


普通の人間なら、せめて、「・・・ですが、少しお時間ありますか」くらいは言うはずだけど、そのまま延々といわゆる説教をし始めた。彼ら(つまり何らかの宗教の信者たち)が相手の都合を気にしているところを見たことがない。街頭演説にしろ、訪問勧誘にしろ、相手の都合を気にしないことが、自分の信念の強さの証であると勘違いしているみたい。


私は半袖にハーフパンツ、彼はダウンジャケットに長ズボン(これは、私が寝袋で、彼が毛布一枚で寝ていたという事情もある)、私は痩身で寒がりなので震えながら聞いていたが、それを気にかける様子もなく「困っている隣人を助け、云々」と、テープレコーダーで録音したような説教が続いた。たぶん30分くらい続いたんじゃないかな。内容は全く覚えてない。


途中で僅かに声色が変わった瞬間があった。それは、彼が自分に関することを話したとき。
「私は心が満たされなくて、本や音楽などいろいろなものを探しました。そこで出会ったのが聖書の教えでした。・・・私はまだ完全に主の教えを実行しきれていなくて、修行中の身なんです。」
唐突だったので、誰のことを話しているのか気になって、「あなたのことですか」と確認したら、「私のことです」という。

それ以外は全部、カセットテープの再生だった。


私は、宗教勧誘というやつが結構好きで、よほど忙しくなければ付き合うことにしている。カセットテープの中身には興味はないけど、宗教勧誘そのものに興味がある。


彼らにとっては「信じる」ことが最初で最後の武器だ。彼らにとっては、正しいから信じるのではなく、信じるから正しいのだ。

先日出会った彼は、「自分は人生経験に照らし合わせて信じるようになった」と言っていた。

確かに聖書を部分的に見ればハッとするようなことが書かれてるんだろう。しかし言うまでもなく、死後の天国と地獄を見たわけじゃない。


彼らは、テープの中身の矛盾を指摘されたり、根拠のなさを指摘されたりしても決して怒らないが、実は信じてないんじゃないか、不純な動機で信じているんじゃないか、と言われると烈火の如く否定する。

一方、私は自分がどうして何かを信じるようになったのか、それを考えることに命をかけている。

彼らは他人に話しかけることを躊躇しないが、一方、私は他人に話しかけられることが大嫌いである。

そういう二人の人間が交わるだけで面白いのだが、圧倒的に不利な状況だというマゾヒスティックな楽しみもある。

つまり、内容がお粗末だろうとなんだろうと何かを信じている人間と、自分の考えに自信が持てないでいる人間と、どちらが強いか?圧倒的に前者だろう。

加えて、私のこれまでの経験は全て創○学会であったから、今回はキリスト教とあって、ますます垂涎モノだった。


テープの再生が終わって、生の声で話し出すと、目つきも表情も変わって、ものすごく温和で親しみやすく、いい人だった。よくいる熱心な宗教者のように、心がどこにあるのかわからないような感じでもなく、目はちゃんと私を見ていたし、この人からキリスト教の部分だけざっくり取り除いたらすごく素敵な人なのにと思ったけど、そうスマートにはいかないのかな。

ちなみに彼の歳は40未満だったと思う。


「キリスト云々には興味がないけど、あなたがどういう生活をしているのかには興味があります。どうやって食ってるのか、いつも野宿なのか、とか」

と明言して、宣教旅行の話をいろいろ聞かせてもらった。


またまとめたら書きます


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八王子あたりで撮影した、段ボール回収トラック。

俺にくれ!




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