寝太郎ブログ

2018年4月11日文庫本発売→『スモールハウス 3坪で手に入れるシンプルで自由な生き方 (ちくま文庫)』

流浪の民に戻りたい  


・初めて読む人へ

最近メディアで紹介されたりしてこのブログを初めて読む人が多いようなので、改めて書いておく。僕ががっつり小屋で暮らしていたのは最初の3年間くらいで、そのあとは小屋を留守にして海外で旅をしていたり、国内のゲストハウスに泊まっていたり、河川敷でテント暮らししたり、また小屋にしばらくいたり、春夏は畑をやったりなど、諸方をふらふらしてきた。それでも昨年(2017年)までは「拠点は小屋」という意識があったが、今年に入って東京にアパートを借りてからはその意識も薄れ、現在は都会人として暮らしながら月に一度くらい小屋へ戻って何日間か滞在しながら畑の世話をしたりする、ただの無職である。


・アパート出たい

ただ、正直、アパートはもう出たい。アパートにいると意識が朦朧としてくる。アパートに入ったのはいくつか理由があったのだが、今は何ひとついいことがない。思考が同じ所をグルグル、いやグルグルさえしていない、考えてすらいない、こんなのは「思考」とは呼べない。頭の中の「モジャモジャ」である。「モジャモジャ」のせいで魂が濁ってくる。この便利で快適なアパートのせいだ。同じ温度、同じ景色、同じ食事。これらと一緒に自分の「モジャモジャ」はアパートにぐるぐる巻きにされている。ってこれ、10年前にも全く同じことを考えた。それでアパートを飛び出して路上で生活し始めたんだった。ひとつも学習していない。けれども、アパート出たい。また流浪の民に戻りたい。




・8月の小屋

記憶にないほどの熱帯夜。昨年夏はずっと小屋にいたがこんなに暑いことはなかった。といっても28度だが、じっとしていると汗ばむ夜は自分の小屋では珍しい。そういう時はまずは裸になる。濡れタオルで全身を濡らして、そのまま肩にかけておく。必要なものは本当に少量の水だけだし、これが多分一番冷却効率がいい。気化熱を吸われてかなり冷える。さらに、もう使うことはないと思っていた扇風機を久々に出動(昨年夏は一度も使わなかった)。濡らした体に扇風機をあてると、風邪ひくくらい冷える。東京で暮らしていると最適気温から少しでもズレるとエアコンをつけたくなる。小屋にいてエアコンが無いとわかっていると、体も覚悟するらしく、意外となんとでもなる。


・電力不足

うっかり油断して湯水のごとく電気を使っていて、インバーターに低電圧警報ブザーでどやされた。湯水のごとく、というのは、①外の白熱電球を一晩つけっぱなし(クワガタ誘引のため)、②室内のLED電球をつけっぱなし、③扇風機、④スマホとパソコンを特に用もないのに充電しながら使用。少なく見積もって全部で50Wだとしても、うちのソーラーシステムでこれをやると二晩で電力が尽きる計算。電力が尽きるとどうするか。特にどうもしないが、スマホとパソコンのバッテリー、乾電池式のライトでしのいで、お天道様の再来を待つ。


・羽音で虫の種類を聞き分ける

小屋で生活していると、小屋の中にいながらにして、小屋の明かりを目がけて飛んでくる虫の羽音からその種類をあてるという特殊能力が身に付く。カブトムシ、クワガタ、カミキリ、トンボ、カナブンなど、だいたいわかる。ところが今回、ノコギリかミヤマクワガタのオスだろうと思って外へ出ていったところ、カミキリムシであった。もとよりカミキリムシは手ごわい。カナブンは陳腐な羽音がするので簡単なのだが、カミキリの羽音はBassが効いており、クワガタのオスと聞き分けにくい。何が違うかというと、クワガタの場合は基本的にあまり飛行が得意ではないので、ブォーンと飛んできてバチンとぶつかって、それでとまるか落ちるかして終わりである。しかしカミキリの場合は、バチンバチンと何度も窓に衝突してきたり、一度飛行停止してもまたすぐに飛び立ってぶつかってきたりする。何が言いたいかというと、小屋をしばらく離れているといろいろ忘れるし感覚が鈍る。

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・「嘘に決まってる!」

小屋暮らしに対してはやけに好意的な反応ばかりでこわい。いくら良い解釈であろうと、自分の知っている自分の輪郭と他の人の認識とのあいだにズレが生じると、気持ち悪いものである。一方で、「嘘に決まってる!」という人が定期的に必ず出てくる。こればっかりは永劫回帰である。食料をスーパーに依存した小屋暮らしなんてたいしたことないと思うのだが、どうしても嘘だと考えないと納得できない人がいるらしい。やはり僕の小屋が生活できるとは思えないくらいボロすぎるのがいけないのかね…。ちなみに動画に関しては、動画を撮ったその日に限って言えば半分嘘で、短期間の帰宅では本来やる予定が無かったこと(ロケスト炊飯とか)をわざわざやったりしている。そもそも、カメラを設置して何かするあほらしさを思い浮かべればわかることだろう。僕だってカメラが邪魔でしょうがない。ただ、動画に映っている類のことは、僕がカメラなしで何百回もやってきたことである。


・小屋暮らしはミニマリストではない

どうがんばっても小屋で暮らしているとモノは増えてゆく傾向にある。道具を買って保管。道具をメンテナンスするための道具。板切れ使って余れば保管。保管するための物置。何をもってミニマリストと呼ぶかによるのだが、モノがあるかないかということだけで言えば、小屋暮らしはミニマリストには程遠い。どうしてミニマリストと関連づけられることが多いかというと、多少モノを増やしてなるべく自分でやるようにする代わりに、仕事や人間関係をミニマルにするからだろう。反対に、お金を稼いで全ての物事を外注すれば、どこかにしわ寄せがいっている可能性はあるが、少なくとも自分自身はミニマルになる。モノを減らしたければ小屋など自作せずに早急にそうすべきである。


・生真面目な自分とチャランポランな家

個人の個別的なストーリーで小屋暮らしについて語ることは限界がある。しばしば「この人は○○だから」で小屋暮らしが片付けられてしまうのは本当にもったいないと思う。たとえば「この人は頭がいいから」は全くの勘違いである。僕のやっていることがどんなに拙いか、まるでわかっていない。この小屋がどうして未だに雨漏り一つせずにちゃんと機能しているのか、不思議でしょうがない。長くこのブログを読んでくれている人は、「巧いことをやっている」というよりも「こんなに拙くても生活できる」くらいの認識なのではないだろうか。しかし初めての人にはそれが伝わらない。そもそも僕は本来、明文化されたルールや知識や約束に関してすごく真面目で、真面目すぎるゆえに疲れてしまうところがある。その反動で、自分がチャランポランでいられる素人自作小屋暮らしが好きだ。だからちゃんと勉強した上で完璧なものを建てるなんてことはしたくもない。そういう自分の生真面目さから逃れて、ボロでも暮らせること、完璧でなくてもいいことを確認している。


・ブログや本の収入

「この人は本やブログの収入があるから」もよくある。確かにブログを頻繁に書いていた頃はブログから月に10万円~15万円の収入があったが、現状は大した収入はない。本の収入だって、かけた労力や世間一般の給与を考えれば、雀の涙である。別の小屋暮らしの人(@garassan)も書いていたが、「本を書いているから小屋暮らしできる」のではなくて、「小屋暮らしだからこそ本なんぞ書いていられる」のほうが正しい。まあ仮に自分が多くの収入を得るようになったとしても、それを生活費に充てることに何のためらいもないが。前は一時期、一般的でない収入(何をもって一般的というか不明だが)は口座を分けて計算を別にしておこうとかやっていたが、別に捨てるわけではないし、いったい誰に対して何を守っているのかわからなくなり、また、そんなことをしたところで僕個人の特異性など消えるわけもなくライフスタイルの一般性など証明できないと思い、すぐにやめた。


・畑

さて、畑である。枝豆である。葉や茎が太く大きく育ってしまっているにもかかわらず、豆が未だにペタンコなので心配だが、そういえば昨年も同じ時期に全く同じ心配をしていたなと思い出した。これがあと半月もすれば膨らんでくる(はず)。ジャガイモは通販でも都会のスーパーでもタダみたいな値段で売っていて、素人が対抗するのは難しそうである。一方、枝豆は一束298円とか398円とかで、野菜の中では結構高級品の部類に入る。スーパーをうろうろしながら「やっぱり枝豆だな」と独り再確認。なにしろ自分が枝豆好きでいくらでも食べられる。昨年の採れたての枝豆が忘れられず、そのあともよくスーパーで冷凍枝豆を買ったものだが、自分で作ったもののほうが香りと食感が圧倒的に良い。

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category: 小屋の日常
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