寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

やかん事件  


なんだか不穏な空気が漂い始めてる。

年末で忙しいのは分かるんだけど、リーダーが爆発した。
直接の原因は、僕がやかんの位置を30cmくらいずらしたことにある。
「動かさないで、ここに置いたんだから!」で、叩きつけるようにやかんを戻して、核爆発を起こした。

プレイバックしてくと、「やかん3つ用意して」と言われ、なんのこっちゃわからないので4つあったやかんのうち3つをテーブルに置いておいた。
リーダーが戻ってきて、そのチョイスがまずかったらしく、4つ目のやかんを「これもやかんね」と言って台車の上に置いた。
なんだ、こっちを使うのかと思って、そのやかんをテーブルの上の3つのやかんの横に並べたら、超新星爆発を起こしたというわけ。

さらにプレイバックしていくと、僕が水や御飯のおひつのセッティングの方法を知らなくて、少し時間が押していて、ピリピリしていた。

リーダー、まじめだし、仕事一生懸命だし、悪い人じゃないし、たとえ爆発しても後々までネチネチと引き摺らないんだけど、なんかズレてるんだよね・・・。
忙しくなってくると頭のネジが外れてしまうらしくて、忙しいときの鬱憤が、新人バイトやお客さんに向かう。
前なんて、食事中のお客さんが空の水ジョッキを持ってきて「お水ありますか」って聞いてるのに、「わたしコチラの準備で手一杯で、把握しておりませんので」と、自分の忙しい状況を懸命にお客さんに伝えようとするのだけど、お客さんはそんなこと知ったこっちゃ無いわけで。

そもそも、リーダー、声が大きすぎて、僕は大きな声ってあんまりよく聞こえなくて、その点で既に相性が悪い。
大きな声って、頭の中でゴワンゴワン響くだけで、何言ってるかわからない。
たぶん、声の大きさで発言の重要度を示そうとすることが好きではないので、不必要に声が大きい人の前では感度を下げて自分の感受性を鈍麻させてしまうような気がする。

声の大きさだけじゃなくて、物理的暴力はもちろんのこと、数の力、雰囲気の力、感情の垂れ流し、これらによって情報や知識を伝達しようとする人の前では、自分の感度のボリュームを思いきり下げて防御態勢に入る。
デモにも反対、歌にも反対、映画や漫画にも反対、ファッションにも反対、儀式やパフォーマンスやイベントにも反対、同じことを繰り返し言うのにも反対、ついでに言うなら民主主義にも反対。
デモの現場に遭遇すると、その内容以前に、恐さと恥ずかしさでいたたまれなくなる。

確かに、自然や社会、文化・文明、ホテルの内部構造や仕事の手順まで、どうしてそうなっているのか、個人が本質的に理解することは不可能であって、だからこそ、知識や情報は、感情や共感によって宗教的に周囲の人間や子孫へと伝わり、個々人の中でも感情によって整理されている。
それはわかってるけど、それに対する羞恥心が皆無で、ただ単に自分の感情を垂れ流すだけの人とは、表面的な付き合いはできても、どこかで根本的にすれ違ってしまう。
内的世界が感情によって整理されている人に限って、雄弁多弁である。自信に溢れ、己を疑うことが無い。感情によって伝達・整理されていることにすら気付かず、それが全うな理解であると信じている。朗々と語れることこそが正しさの証明だと思っている。発言も滅多に矛盾しない。そんな無矛盾性なら僕は要らないが。

世の中、恐い人が多すぎる。
だから、なるべくお布団の中にいよう。




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category: リゾートバイト

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