寝太郎ブログ

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「無農薬」の難しさ  


「無農薬」を手放しで喜ぶことはできない。

植物は生き物であり、生存競争の強大な勢力のひとつである。動かない植物は、動物に対して圧倒的に不利である。だから、ほとんどの植物は、代わりに強い毒を持っている。だから、動物に食べられにくく、虫もつきにくく、病気にもかかりにくい。だから、自然界では農薬なしでも生きてゆける。

その中でも比較的毒性の弱いものを人間が選び、かくまい、さらに毒性が弱く可食部が多くなるよう改良してきた。それが、野菜や果物である。だから、野菜や果物は生き物として非常に弱い。だから、農薬が必要。

病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解『病気はなぜ、あるのか』に印象的な例が載っていた。
ジャガイモは毒が無ければ単なる栄養の塊であり、ありとあらゆる動物に食い散らかされる。そのため、野生のジャガイモは猛毒である。
現在の食用のジャガイモは、アンデスの先住民が、人為的な選択を重ね、より毒性の弱い品種へと改良してきたおかげである。
20世紀末に「病気に抵抗力があって、農薬を使う必要が無い」というジャガイモの新種が導入され、市場に出回るまでしたが、それは人間を病気にさせるものであった。その病気の原因は、アンデスの農民たちが何百年もかけて取り除いてきた野生ジャガイモの毒素であった。
・・・笑えない話である。
サイロでは、虫やネズミから穀物を守るために、有毒な蒸気がまき散らされる。硝酸塩のような明らかに有毒な化学薬品が、私たちの食料の貯蔵寿命を延ばすために使われている。・・・現代は、私たちが口にする食べ物という点で、特別に危険である。その通りか?いや、実は、そうではない。・・・私たちは今や、石器時代や初期の農耕時代以来、多くの自然の毒素にさらされる機会はずっと少なくなった。
つまり、自然毒と農薬は二者択一の関係にあるのであって、無農薬が無条件に良いわけではない。

もしも、自然毒もなく、農薬も使わないとすれば、人が原始的な方法で手をかけてやるしかない。虫がいたら手でつまんで潰してやるしかない。
無農薬で、かつ毒性の低い品種で、かつ人の手がかかっている、三拍子揃って初めて意味がある。

ところが、これをしようとすると、高速回転の現代社会では、採算が合わない。大量生産するためには、何らかの毒のリスクを負わなければならない。
ここで初めて、スローとか、スモールといった志向の価値が出てくる。


強く元気な植物は、誰に対して強く元気なのか?僕らを含むそれ以外の生物に対してである。
あるがままの自然は、恵みでもなんでもない、「敵」である。無口な野菜でも、僕らに食べられないよう最大限の抵抗をしてくる。それでも僕らは、なんとか妥協点を見出して毒を口にしてきた。
私たち全ての祖先の食事は、現代の食事と同じように、利益と損失のあいだの妥協であった。
そんな僕の夕飯は・・・

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モツ・豚汁とチャーハン。
豪華ですみません。



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category: 家庭菜園

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