寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

病気は無くならない  


抗生物質の発明により、アメリカの公衆衛生局が「感染症に関する本を閉じてもよいとき」と宣言したのが1969年。その後も、細菌たちは着々と抗生物質に対する耐性を進化させてきた。
1994年の時点で、二種類以上の抗生物質に耐性のある結核菌に感染した場合の致死率は50%。これは抗生物質が発明される前の結核の致死率と同じである。

細菌の「耐性」は実に様々な方法で獲得される。
敵の攻撃装置の中に隠れたり、無害な細胞に擬態したり、宿主の攻撃を逆に利用したり、もう何でもアリである。
一時代を局所的に見れば、勝った負けたというビッグニュースに聞こえるが、巨視的に見れば、それは「終わりなき軍拡競争」の一幕でしかない。

人間よりも圧倒的に早い細菌の繁殖サイクルがもたらす進化に対抗するため、人間は「薬」を発明してきたが、皮肉にもそれは競争を激化させた。
本来数百年先にあったかもしれない人間そのものの進化による結核への対応を、薬の発明により一足早く手に入れ、それに伴って細菌の耐性進化も早まった。全てが早まっただけである。ただ、薬が発明された直後の人間には幸福がもたらされた。

進化のメカニズムからの帰結として、病気は無くならない。
進化とは、突然変異の中からたまたま適応できた遺伝子が繁殖して残り広まる、ということの繰り返しである。
このメカニズム自体には、健康、調和、安定といった方向性や計画性は全く無く、いわば盲目である。遺伝子はただひたすら自分のコピーが広まることを望むが、いくら画一的になっても変異は無くならず、生物界は永遠に凪ぐことはなく、荒波であり続ける。
僕ら個体の病気は、その荒波の水しぶきであって、波全体から見たらあってもなくてもよい副産物に過ぎない。
自然淘汰は、私たちの幸福にはみじんも関心が無く、遺伝子の利益になるときだけ健康を促進するものである。もし、不安、心臓病、近視、通風や癌が、繁殖成功度を高めることになんらかのかたちで関与しているならば(実際にそうである)、それらは自然淘汰によって残され、私たちは純粋に進化的な意味では「成功」するにもかかわらず、それらの病気で苦しむことになるだろう。―『病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解』
その極めつけが、単細胞生物から多細胞生物へと進化するのとほぼ同時期に獲得された、老化や死である。
老化や死という個体にとっての絶対的な不幸は、遺伝子にとって「とるにたらないもの」、あるいは、より大きな利益を得るための「妥協の産物」にすぎないという、たったそれだけの理由によって、高等生物のメカニズムとして残されている。




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category: 科学
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コメント


2 ■Re:小屋暮らしの病気について

>あかさん
喉が痛くなったことはあったような無かったような。
そういうときは、贅沢な食事して、一番食いたいもの食って、寝ます。

毎年寝太郎 #79D/WHSg | URL
2013/01/30 11:58 | edit



1 ■小屋暮らしの病気について

インフルエンザで出勤できない最中であります。もっとも、解熱後の、移す可能性が残っている期間なので、サボりモードみたいなものですが。
ところで、寝太郎さんは、今の生活を初めてから、大小問わず病気にかかりましたか。そして、どう対処されましたか。
人に変なものをもらったり、もらわれたりしにくい生活であり、万が一でも養生期間が長く取れるのはうらやましい。

あか #79D/WHSg | URL
2013/01/28 12:55 | edit



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