寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

無分別食について  


一週間、東京へ行ってきた。
東京から帰ってくるときはいつもこんな感じ。

P1020907.jpg

前カゴに寝袋、リヤボックスには大学図書館の本、その他荷物諸々。
ハンドルにはガソリンスタンドでもらってきたペール缶もぶら下がっている。


東京滞在時、超ボヘミアン体質の人と話をする機会があった。加工していない食べ物(基本的に果物)しか食べないという。
彼については詳しく書きたいのだが、まだ了承を得られておらず、またの機会に。

そういう直接のきっかけがあって、また前々からぼんやりと考えてもいたのだが、食事について少し意識的にやっていきたいと思う。
まぁ、あまり意識して考えなくても、安くて栄養のあるものに目を光らせながらスーパーを一周すれば、だいたい決まってくる。
副菜を質素にすれば、主食も自然と、味のある玄米を選びたくなる。
白米がこれほどまでに行き渡った理由・経緯、これも興味があって調べているのだが、結局のところなんなのかよくわからない。断片的な理由はいくつかあって、たとえば国民の半数が白米にするというのなら、まぁわからないでもないが、一体どうして白米がこんなにも圧倒しているのだろうか?
ちなみに米は安いと思っていたが、国の農業政策を考えるとやはり他の食品に比べて高いのかもしれない。その辺はもう少し要勉強である。
完全には無理だが、加工食品は避けて、基本的な食材と、基本的な調味料とを使う。
嗜好品はコーヒーくらいに。

調理に関しては、薪を使えるので、屋外調理用のロケットストーブを自作して、それでまわしていきたい。もう材料は揃っている。
ロケットストーブに関しては、屋外で使う分にはかなり雑に(施工、煤煙、薪の種類など)使えそうなので、カセットガスコンロと併用していきたい。


『わら一本の革命』が気になって、再読した。基本的なものの考え方にはかなり共感できる。

前は、アインシュタインに関するむちゃくちゃな記述のあたりで引いてしまって、その後をちゃんと読んでなかったのだけど、最後のほうの食に関するまとめが大変しっくりきた。

 一昔前のこの附近の百姓の食事は、麦飯に醤油のもろみ、漬け物で、結構美味しくて、それで長寿で体力もあった。月一回の野菜の煮ものがついた小豆飯は最高の御馳走であった。
 それで栄養がとれていたということはどういうことか。

と始まって、食事だけを切り離して考えることはできなくて、それを受け入れる心と体と生活が必要なのだと主張している。

著者は物事を分けて考える「分別知」を否定しているのだが、以下は、皮肉にも実に明快な分別。

一、外界の条件に左右され、邪欲、嗜好に合わせた放漫な食事で、いわば頭の先で食べる観念食、虚食
二、生物的生命維持に過ぎない肉体本位の栄養食、科学食
三、東洋の哲理を心として、食物を制限する、精神的な理法の食、自然食
四、健康な心身から無分別で正しい食物を選びとる、無為無策の理想の食、無分別食

「頭の先で食べる」とはうまい表現だと思った。三と四の違いについて曰く、

問題は、ああすればよい、こうすればよいという自然食を説くよりも、何がなくてもよいという自然人を造れば、万事が氷解する。

僕はだいたい、二と三はなくて、虚食か無分別食だと思う。虚食をしているときは「あぁ俺は今、虚食をしているな」という感覚を楽しむ。
大事なのは、虚食に食われず、虚食を楽しみ、ベースを無分別食でまわしていくことだと思う。




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今日の食事

朝:パン一枚(ジャム)
昼:ゆで卵2個
夕:玄米、味噌汁(玉ねぎ、もやし、しめじ、豚肉)
夜:コーヒー



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category: 食事

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