寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

買ったんス  


今朝、パンとコーヒーで朝食をとってから、玄関(堤防!)から外出しようとすると、地元の釣りのおっちゃんに「兄ちゃん!」と話しかけられた。

「いつからいるん?」
「お盆のときにゃいなかったよなぁ」
「この辺、漁協の人がよく来るで」
手に持った釣りの荷物を見せながら「ワシも前はいつも、そこに荷物置いといたんよ。でもAさんに言われてな。だから今は持ってくるんよ」

少なくとも感じの悪い説教ではなかったのだが、ニュアンス的には確かに説教で、つまり、自分は荷物を置いておけなくなったのに、堂々とテントなんて張ってるこの若造はちょっと許し難い、そういう雰囲気だった。

もっと端的に言うと、他人の土地に勝手に荷物を置いていたおっちゃんに注意されたというわけである。

もちろん、他人の土地云々はどうでもいい。僕だって勝手に野宿したりする。それにこの状況で諸々の勘違いが生ずるのも仕方のないことである。

しかしだ。こういう輩に対する予防策として、プレートにわざわざ「私有地」と書いて、名前と、住所と、電話番号まで書いてある。
そして彼はそのプレートをちゃんと読んでいるのだ。それでも、彼の中に流れているストーリー、つまり「この若造は勝手に住みついているのだ」というストーリーは覆らないのである。プレートを読んだ上で「私有地って書いてあるけど、このへん県有地だで」と言うのである。
落語か何かだろうか。まさにディスコミュニケーション、不思議な話である。

こういうとき、たとえ自分が正しかったとしても、相手に説教し返すのは何の意味もない。個人対個人で相手にわからせてやろうとしたり、相手に反省させようとしたりすることほど不毛なことはない。

それはわかっているのだが、それでも後になってから「確認してから言ってください」くらいは言ってもよかったのだろうかとか、どうして「釣り道具くらいなら置いといていいですよ」と言わなかったのかとか、ぐだぐだと考えてしまう始末である。

結局、僕が最後に発した言葉は「買ったんス」という一言だけだった。
それに対する反応も「そうか?」という一言だけだった。
なんというマヌケな会話!

ともかく、人は自分の描いたストーリーに引き摺られやすい。
それは仕方がないのだが、本人に対して面と向かって自分の描いたストーリーを安易にぶつけてしまうのは、僕には理解できない。
僕はもう、ありとあらゆることについて、自分は間違っているのではないかと神経質になる。殊、ストーリーや解釈に関しては、批判も賛同も、自分の人間性の少なくとも一部を暴露してしまうものだし、もし間違ってたら、土下座しそうになるくらい恥ずかしいやら申し訳ないやらで・・・。他人に何か注意するなんて逆立ちしたってできない。

今回だって、相手がいろいろ言っている間、だいたい何を言いたいのかは把握できたけれども、もしかしたら、万が一、億に一つでも、自分に落ち度があるのではないかと、そういう疑念が完全に払拭されず、ずっと相手に喋らせてしまったのだ。


まぁ、少なくとも「買った」という言葉がジョーカー並みに強いカードとしてちゃんと機能するような緩い世界に生きていることに感謝しつつ・・・。

せっかくなので「釣り道具とかこの辺に置いといていいですよ」的な看板を掲げておこうかと思う。

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「人間ってバカねぇ。付き合いきれないわ。さよなら~」



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category: 小屋の日常

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