寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

純粋な快楽  


明朝はさぞかし寒かろう。目が醒めて、おお寒い、やはりテントなんてやってられん、山小屋を建てといてよかった、早く薪ストーブで暖まろう、そう思うだろう。よし明日帰ろう。・・・などという予定で寝たのだが、早朝五時半に目が醒めるも全く問題なくヌクヌクだったので即二度寝した。

前日の夜予定を決めて、さらに当日それを覆す。これぞ求めていた柔軟性である。

さて、コメントで「金の話ばかり」とご指摘いただいたので、今日も金の話をしようと思う。


先日の記事でルソーの『告白』から一部を引用したが、その中に、

私の欲しいのは純粋な快楽だけで、金はそれを台無しにする。

という文言があった。

これは一つには(そしておそらくルソーの意味では)、金や交換によって「損得」や「等価性」、「計算的なもの」が加わってくると、信頼は不信へと変わり、隣人愛や相互扶助の精神が途絶え、最近の言葉で言うなら「きずな」が断絶し、中沢新一的に言うなら「贈与の霊」が鳴りを潜めてしまうということである。

高級レストランの丁重なサービスを楽しめるかどうか、あるいは下品な例で悪いが、風俗での性的行為に快楽を感じるかどうか、ということである。ルソーに言わせればそれらは「純粋な快楽ではない」ということになる。

売買か心の絆かという二元論において安易に、かつ必要以上に後者を強調する人を僕はあまり信用していないが、少なくとも、この意味での「金のつまらなさ」はわかりやすい。


金のもたらす等価性が台無しにするものは他にもいろいろあって、とりわけ最近感じているのは「冒険の快楽」である。

一体、冒険はどこにあるのだろうか。

人類にとっての「未開の地」への冒険は、金と科学技術によって勝負が決まる。深海に潜り、山の頂を目指すのは、金がある人間がトップに決まっている。金がない人間がこれに対抗するとすれば、せいぜい自分なりの縛りを作って「素潜りで何メートル潜れるか」みたいな限定されたルールの中で競うくらいだろう。突き詰めると「竹馬で日本一周」みたいなことである。それではつまらない。「登山」だって、荷物を背負って自分の足で登るという一つの縛りである。

僕のテントサイトからはエンジン付きのパラグライダーが空を飛んでるのが見える。あれは金を払えば手に入る遊びである。
どんな趣味も、「どれだけいい装備を整えられるか」「どれだけ最先端の技術を手に入れられるか」という金による競争に参加した途端につまらなくなる。それはお札が1枚か10枚かという違いでしかない。果ては、金持ちはなるべくいいロケットに乗って競って宇宙へ行くようになるかもしれない。それに乗って月まで行って帰ってきた投資家や社長さんが「素晴らしい経験をした」と言うのだろうか。
野宿をするのにあれこれの道具に目が行って車が買えてしまうような装備を整え、野宿をしたいんだか商品を使いたいんだかわからないような人に疑問を感じるのもそういうところだ。

一方、無一文でその辺に放り出されたと想像してみよう。とりあえず今日明日を生きていかなければならない。不安だが・・・健康な男子なら誰でもワクワクするだろう。

無一文は極端だが、つまるところ、純粋な冒険は日常生活にしかない。しかも、日常生活の一部ではなく、その全体にしかない。ただ単に生きること、それが一番の冒険である。
装備を整えてエベレストに登るよりも、その辺の森や河原や街中で単に生きるほうがずっと冒険欲を掻き立てられる。それは、マネーゲームよりも直接的で、かつ、全体性を持ち、そして固有なものだからである。

自分の日常生活という冒険は、決して等価交換されない固有なものである。
「未開の地への冒険」は、冒険である前に競争なのだ。山なんて誰が登ったっていいし、海なんて誰が潜ったっていい、そういう競争なのだ。
自分の人生は自分で送ることしかできない。だから競争できない。

ルールは与えられている。自然と、社会である。
そしてそのルールの中で、自分が偶然得た知識、偶然得た情報、偶然会った人、偶然その辺にあったもの、それらを駆使して固有の冒険をする。自分自身の人生という文脈の中で、冒険をする。僕らが生まれたときそうであったように。

僕自身も純粋な冒険者ではないし、「贈与」と同様に、「純粋な冒険の快楽」も二元論のうちの一つの極であることはわかっている。つまり、「自分の人生」というこの不思議な存在に安寧する極と、それが実はone of them、70億分の一であるという匿名性の極のうちの、前者である。
しかし、札束でも数えるように自分の人生を計量しようとしてしまうとすれば、それもまた二元論のうちのもう一つの極に陥っていることになる。どっちが正しいわけでもないのだ。



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category: お金の話
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コメント


Re: いつから純粋の冒険が在ることに気付いたのですか?

>  禅で言うところの即今の説明が正に純粋な快楽なのです。
> その純粋な快楽は何時から感じられたのでしょうか?
> 本を読んでいて?歩いていて?あるいは子供の時からそう感じていた?
>  返答不可能であることを承知で質問します。
> 理解ではなく、純粋な快楽を「快楽」と感じるにはどうしたのよいのでしょうか?
>
>                                    敬具

「即今」というのはよく知りません。
僕は純粋な快楽者ではありません。子供の頃はそうだったと自分では思ってます。
いろいろと物事を外側から理解するようになったら誰だって純粋ではいられなくなります。
「純粋な快楽が在る」と気付いたということはつまり、純粋ではなくなったということじゃないでしょうか。

毎年寝太郎 #098mQ.iE | URL
2013/11/18 14:45 | edit



Re: タイトルなし

> 寝たろうさん
>
> こんばんは。
>
> 最近、あなたの事を知り、親近感を持って見ています。
>
> 質問なのですが。
>
> 淋しくはないですか?
>
> 私は、人と付き合うのが苦手な癖に、世間から離れているとやはり淋しいです。
> どれだけそんなでも、やはり・・人との繋がりの中で、喜びや満足や安心を感じているのだと、独りでいる時ほど確認します。
>
> その当たりはどのように感じているのでしょうか。

淋しいという気持ちはないです

毎年寝太郎 #098mQ.iE | URL
2013/11/18 14:30 | edit



お金?

 インカム(お金)に比してライフの質と量を増大化させる、これがBライフの肝かと。
 インカムの方法としての著述なんて割に合いません。著述される生活と計画とその挫折がライフの質。そして生活が充実して冒険になるのが、そんなBライフの狙いなのでしょう。
 出費を抑えるために勉強する、それも猛勉強する、たぶん文明が不要にしたり不可能にしたりしている勉強(体験)をやってのける。
 これはなかなか常人にはやれないことだから、それなりの数の見物人が情報やちょっとしたお金(アフィリエイトやギフト)を提供して応援したくなる。これを見物料という「消費」のタームで語っても良いのですが、見ていて思わずワクワクしてくるこの気持ちとは、やはりちょっと違うかな、と思う。ワクワクは量より質に関係してるようだ。蘇る「贈与の霊」。

 他のBライフな方々のブログも興味深いし、ブログをやってなくてBライフしている人も多いのだろうな、と思っています。たぶんアフィリエイト収入より、「贈与の霊」のような交換される「気持ち」が、双方を駆動しているように感じられます。ときに交換の相手は交歓の相手になって、社会や文明でなく自然(天気とか冬の訪れとか)そのものであったりして。文明が忘れ去らせたものだったり。

文太 #cciLdnBs | URL
2013/11/16 17:05 | edit



◇このまま生活していけばあと10年くらいは寝てようが徘徊してようが生きられるお金がある。
◇広告収入や印税を使わずに貯蓄している
◇一言で言うとお金がない。そもそも1年前に年末年始のリゾートバイトで稼いだ150,000円とその他僅かな日銭でやっている
◇また年末年始に3週間くらいリゾートバイトでご飯もらいながら150,000円稼ぐ予定

今のところアフィや印税の金は使わずに、”時間と引き換え”のインカムで生活するようにしているようですけど・・・

No Name #- | URL
2013/11/14 23:17 | edit



盛り上がってますね。

私なりにBライフを解釈しましたところ、Bライフといえども、まったくのお金なしでは駄目だというふうに理解しました。
インカムが少なくても出て行くお金を少なく暮らす。というのがBライフですよね。

この豊かな日本においては、たとえば一日分の賃金で1ヶ月の食料が確保できる。
というスーパーの裏の宇宙人からの搾取があまねく通用するところがみそです。

インカムは普通に働いても、アフィリエイトでも、利息や配当、無心でもいい。
もちろんうんと敷居は高くなりますが、ネタロウさんのように本を出されるのもひとつの手です。

時間と引き換えでない、インカムを確保できるかどうか。
それがBライフのパスポートです。
これが難しい。
Bライフの肝はこれに尽きると見ますが、いかがでしょう。
普通に、時間を引き換えに働き賃金を得るという一般的な生き方がどれだけたやすいか。

ネタロウさんにあこがれている人たちは、まず、自分とネタロウさんの能力の違いをわきまえないと、挫折するでしょう。
ネタロウさんは本を2冊出しておられます。
自費出版ではない。
出版社が金を出して本を書いてくれと言ってくる。というレベルの才能がどれだけのものか。

Bライフ哲学は、いわばパチンコで生計を立てることが出来ている「パチプロ」レベルの人がパチンコ指南を体系的に説くようなものだと思います。
理論は紛れもなく正しい、教えのとおりに実践すれば、うまくいく。
教えのとおりに実践できれば。

時間と引き換えでない、インカムを確保しましょう。
Bライフはそれから。

No Name #- | URL
2013/11/14 22:37 | edit



いつから純粋の冒険が在ることに気付いたのですか?

 禅で言うところの即今の説明が正に純粋な快楽なのです。
その純粋な快楽は何時から感じられたのでしょうか?
本を読んでいて?歩いていて?あるいは子供の時からそう感じていた?
 返答不可能であることを承知で質問します。
理解ではなく、純粋な快楽を「快楽」と感じるにはどうしたのよいのでしょうか?

                                   敬具

勘太郎 #- | URL
2013/11/14 21:30 | edit



>前日の夜予定を決めて、さらに当日それを覆す。これぞ求めていた柔軟性である。

予想し予定を立てるのは大脳新皮質が発達した人間のさがだけど、それより深い体からの欲求に従い「やっぱりやーめた」と覆すことに快感を感じる。これも人間ならでは。

>さて、コメントで「金の話ばかり」とご指摘いただいたので、今日も金の話をしようと思う。

あくまで空気を読まない。観念にがんじがらめの言葉や行動を排除しようとする寝太郎さん。

なんかとってもお話したいけど近寄りがたいです。

タダシ #- | URL
2013/11/14 17:20 | edit



>あんまり危険なことはしたことがないので、よくわからないですねぇ。
>恐怖というのならバイクに乗るほうがよっぽど恐怖です。

言葉足らずだったと思いますが、僕が質問したかったのは、身体的な恐怖というよりはもっと精神的なものでして、不快を逃れる快楽とでもいうのでしょうか。

最近の例で言うのであれば、「朝寒くてどうしようもなくなったら小屋に帰る」という様な事を言っていますが、普通ならその寒さの不快を避けるよう寒くなりそうなら帰るといった行動をとると思います。(そもそもそんな急に寒くなるところに普通はいないとも思いますが)

それをあえてしないのは、寒さの不快さを感じたうえで小屋行き、その温かみを強く感じてより強い快楽を得たいがゆえなのでは無いかと。

寝太郎さんの冒険にはそういった要素があるのかなと思い、質問した次第です。
最低限の生活から必要なものを足していく生活の中には、簡素に自由にそいった考えの他、そういった精神性が自らを楽しませる側面があるのかなと思ったもので。

kinmuku #- | URL
2013/11/14 09:16 | edit



寝太郎くん
オナニーは毎日しているの?

No Name #- | URL
2013/11/14 01:11 | edit



寝たろうさん

こんばんは。

最近、あなたの事を知り、親近感を持って見ています。

質問なのですが。

淋しくはないですか?

私は、人と付き合うのが苦手な癖に、世間から離れているとやはり淋しいです。
どれだけそんなでも、やはり・・人との繋がりの中で、喜びや満足や安心を感じているのだと、独りでいる時ほど確認します。

その当たりはどのように感じているのでしょうか。


shin #- | URL
2013/11/14 01:10 | edit



申し訳ない。
不正な投稿と出たので文面を変えて
何度か投稿したら多重になってしまった。

kei #- | URL
2013/11/13 23:42 | edit



アフィ収入もアマゾンチケットも
寝太郎さんが一種の芸人だからなんでしょうね。
Bライフ?面白ーい でもまあ俺はやらないけどね^^
みたいなエンタメ消費感覚。(アオりじゃないよ)
なんでも金金カネに向かう現代は空しい。

kei #- | URL
2013/11/13 23:41 | edit



アフィに収入があるのもアマゾンチケットが送られてくるのも
寝太郎さんが一種の芸人だからなんでしょうね。
Bライフ?面白ーい でもまあ俺はやらないけどね
みたいなエンタメ消費感覚。(煽ってるわけじゃないよ)
なんでも金金カネに向かう現代は空しい。

kei #- | URL
2013/11/13 23:39 | edit



アフィに収入があるのもアマゾンチケットが送られてくるのも
寝太郎さんが一種の芸人だからなんでしょうね。
Bライフ?面白ーい でもまあ俺はやらないけどね^^
みたいなエンタメ消費感覚。(煽ってるわけじゃないよ)
なんでも金金カネに向かう現代は空しい。

kei #- | URL
2013/11/13 23:39 | edit



結局はおねだりですね。

No Name #- | URL
2013/11/13 19:54 | edit



Re: タイトルなし

> >Bライフが哲学として完成する
>  長野県に行ってヒッピーの生き残りと呼ばれる人たちに会ってきましたが、その人が言うには「主義? 思想? 適当でいいんじゃないそういうの」とのこと。
>
>  生き方に主義主張があるように見えるのは、それが第三者視点だからではないでしょうか。
>  他人が当人を見た時に、自分の生き方とあまりにも違うから「きっと深い何かがあるにちがいない」と思いこむ。その時に勝手に主義や主張を想像してしまう。だから本人と離れたところで「哲学」が独り歩きしてしまう。
>  そういう明文化された第三者視点の主義や主張をうのみにして、自分もやってみようとガチガチにルールを縛って第二の人生をスタートさせると、大体その人は不幸になる法則がある気がします。
>  革マル派しかり、ヒッピーしかり、新興宗教しかり。
>
>  少なくともヒッピーの人は自分をヒッピーと思ってはいませんでしたよ。私は私で、自然に生きてきただけだと。傍から見ると間違いなくヒッピーなんですけどね。

「後から言語化されるものを、言語が先にあったと勘違いして、その言語に従おうとすると変なことになる。」という考え方もわかるが、人間にはそうじゃない部分もある。時には精神が言語によって豊かになったり、言語が導いてくれたりすることだってある。
純粋なヒッピーのような人とは分かり合えないと思うのは、そういうところかもしれない。彼らはロゴスを軽視しすぎていて、ロゴスによる幸福や苦悩を分かち合えそうにない。

毎年寝太郎 #098mQ.iE | URL
2013/11/13 11:23 | edit



Re: タイトルなし

> 次は食い物の話だな、もしくは薪ストーブでぬくぬく。天気の話をすれば「たいしたことなかった」

もしかしたら悪口のつもりなのかもしれませんが、究極、そういうことです。衣食住と天気の話以外に、競争を求めたり、ドラマチックな出来事を求めるのは、誤った冒険中毒なのです。

毎年寝太郎 #098mQ.iE | URL
2013/11/13 11:03 | edit



Re: タイトルなし

> 無一文を想像とか言いつつ、ちゃっかり印税とかアフィを溜め込んでそれを使わずギフト券おねだりとか。

torサーバーからのアクセスは丸ごとブラックリスト入りしました。

毎年寝太郎 #098mQ.iE | URL
2013/11/13 10:58 | edit



Re: タイトルなし

> >野宿をしたいんだか商品を使いたいんだかわからないような人
>
> 道具は必要だから使うんですよね。
> 必要ないのに道具を揃えることが目的になってしまう。
>
> 本当は揃えた道具が必要な場面に臨みたいのだけれども、遠出する時間も無いし、危険を冒す気にもなれない。
>
> そういう幻想を夢見て道具を揃えるんです。
>
> はたして、冒険をして自己満足以外の何が得られるか。
> あらゆる行為が金に換算されることを知ると、無駄な行為が億劫になる。
>
> ネタロウさんは客観的に見る力があるから、文章に現すことが出来る能力があるから、冒険や時間の投入を表現として回収出来るから、こういう生活が出来るんです。
>
> 読者は、ネタロウさんの書く物を読んで、冒険に夢をはせるのです。
>
> ネタロウさんにあこがれて実践される方がたくさんいらっしゃることでしょう。
> しかし、リンクの先のブログを見ますと悲壮感が漂っています。
>
> 自身を客観的に、傍観して、文章に表現して意味を見出す。
> このことが出来ないと、モチベーションを保つことは出来ないのだと思いました。
>
> まったりした雰囲気が素敵だったいけしかさんは街に戻ったんですかね・・・?
>
> ネタロウさんは、ネタロウさんの著書をバイブルとしてBライフを志す人たちに幸福を示すことが出来るのでしょうか。
>
> Bライフが現代の生き方として有意であることは間違いないと思います。
> Bライフが哲学として完成することを目撃したくて、毎日見てます。

一般性なんて言い始めたらキリが無いと思うのです。
一般性のあるライフスタイルってなんでしょう?
ちゃんとした自給自足的な生活や、あるいは地域に溶け込んだ生活なんて、僕にとっては全然一般的じゃない。
どんなアルバイトでも首尾よくこなせる人は、僕にとっては特殊技能を持っている人。
だいたい日本に生まれてる時点で・・・
ライフスタイルに一般性があるかどうかという問題については、またちゃんと書きたいです。

毎年寝太郎 #098mQ.iE | URL
2013/11/13 10:57 | edit



>Bライフが哲学として完成する
 長野県に行ってヒッピーの生き残りと呼ばれる人たちに会ってきましたが、その人が言うには「主義? 思想? 適当でいいんじゃないそういうの」とのこと。

 生き方に主義主張があるように見えるのは、それが第三者視点だからではないでしょうか。
 他人が当人を見た時に、自分の生き方とあまりにも違うから「きっと深い何かがあるにちがいない」と思いこむ。その時に勝手に主義や主張を想像してしまう。だから本人と離れたところで「哲学」が独り歩きしてしまう。
 そういう明文化された第三者視点の主義や主張をうのみにして、自分もやってみようとガチガチにルールを縛って第二の人生をスタートさせると、大体その人は不幸になる法則がある気がします。
 革マル派しかり、ヒッピーしかり、新興宗教しかり。

 少なくともヒッピーの人は自分をヒッピーと思ってはいませんでしたよ。私は私で、自然に生きてきただけだと。傍から見ると間違いなくヒッピーなんですけどね。

青井 硝子(がらす) #- | URL
2013/11/13 00:13 | edit



次は食い物の話だな、もしくは薪ストーブでぬくぬく。天気の話をすれば「たいしたことなかった」

No Name #- | URL
2013/11/12 23:57 | edit



未開の地、ということでは内側の世界、心や意識の世界を連想しました。
そして心理学(精神分析)とか初期仏教とか、それらがウエイトをおいているのもやっぱり日常生活(一部ではなく、その全体)のように感じます。

お金とか余分なものはむしろ邪魔になることを考えると、「富めるものが神の王国へ入るよりも、駱駝が針の穴を通る方が簡単」っていうのとルソーの言葉は似たような意味なのかもしれませんね(ちょっとちがうかいな・・・?)

ashibi #aH54ur02 | URL
2013/11/12 23:43 | edit



冒険について

仕事という冒険に毎日行っています。
休みの日に登山という冒険に行っています。
前者はお金が貰える。
後者はお金が消える。もしかしたら命が消える。

楽しいのは後者です。
しかし、ふたつの冒険の比率が逆転した時、きっと前者が楽しくなるのかもしれません。自分の場合は・・・ですがね

yama #- | URL
2013/11/12 23:29 | edit



仕事という冒険に毎日行っています。
休みの日に登山という冒険に行っています。
前者はお金が貰える。
後者はお金が消える。もしかしたら命が消える。

楽しいのは後者です。
しかし、ふたつの冒険の比率が逆転した時、きっと前者が楽しくなるのかもしれません。自分の場合は・・・ですがね

yama #- | URL
2013/11/12 23:29 | edit



無一文を想像とか言いつつ、ちゃっかり印税とかアフィを溜め込んでそれを使わずギフト券おねだりとか。

No Name #- | URL
2013/11/12 21:29 | edit



>野宿をしたいんだか商品を使いたいんだかわからないような人

道具は必要だから使うんですよね。
必要ないのに道具を揃えることが目的になってしまう。

本当は揃えた道具が必要な場面に臨みたいのだけれども、遠出する時間も無いし、危険を冒す気にもなれない。

そういう幻想を夢見て道具を揃えるんです。

はたして、冒険をして自己満足以外の何が得られるか。
あらゆる行為が金に換算されることを知ると、無駄な行為が億劫になる。

ネタロウさんは客観的に見る力があるから、文章に現すことが出来る能力があるから、冒険や時間の投入を表現として回収出来るから、こういう生活が出来るんです。

読者は、ネタロウさんの書く物を読んで、冒険に夢をはせるのです。

ネタロウさんにあこがれて実践される方がたくさんいらっしゃることでしょう。
しかし、リンクの先のブログを見ますと悲壮感が漂っています。

自身を客観的に、傍観して、文章に表現して意味を見出す。
このことが出来ないと、モチベーションを保つことは出来ないのだと思いました。

まったりした雰囲気が素敵だったいけしかさんは街に戻ったんですかね・・・?

ネタロウさんは、ネタロウさんの著書をバイブルとしてBライフを志す人たちに幸福を示すことが出来るのでしょうか。

Bライフが現代の生き方として有意であることは間違いないと思います。
Bライフが哲学として完成することを目撃したくて、毎日見てます。

No Name #- | URL
2013/11/12 20:29 | edit



Re: タイトルなし

> 純粋な冒険者でないと言いながらも、寝太郎さんは日々冒険して、日々快楽を感じていると、ブログの端々から伝わってきます。
>
> そんな寝太郎さんに教えていただきたいのですが「冒険の恐怖」に関しては、どのように考えているのでしょうか?
>
> 冒険は快楽と恐怖が密接に結びついているように思うので。

あんまり危険なことはしたことがないので、よくわからないですねぇ。
恐怖というのならバイクに乗るほうがよっぽど恐怖です。

毎年寝太郎 #098mQ.iE | URL
2013/11/12 19:51 | edit



>ただ単に生きること、それが一番の冒険である
>僕自身も純粋な冒険者ではないし

純粋な冒険者でないと言いながらも、寝太郎さんは日々冒険して、日々快楽を感じていると、ブログの端々から伝わってきます。

そんな寝太郎さんに教えていただきたいのですが「冒険の恐怖」に関しては、どのように考えているのでしょうか?

冒険は快楽と恐怖が密接に結びついているように思うので。



kinmuku #- | URL
2013/11/12 18:06 | edit



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