寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

短期バイトですら長すぎる  


リゾートバイトを検索したり、応募したりしている。今年はレストランではなく、リフトのほうやってみようかなと。リフトのほうが楽だし、男は歳いってからもリフトで雇ってもらえるし。

年末年始、一番忙しいとき2週間くらいを駆け抜けようと思っている。

まともにフルタイムで働くのは、2~3週間が限度。

まず最初は覚えるのがつらい。明らかに頭は覚えることを拒否しているのだが、覚えなきゃ叱られるわけで、そこで真っ二つに引き裂かれてつらい。ところが、覚えて慣れてしまうと、それもやっぱりつらい。退屈で退屈で退屈で、本当につらい。

倉庫バイトのときもリゾートバイトのときもそうだったが、あと3日働けば3週間の期間満了なのに、その3日がとてつもなく苦痛で、期間満了を目前にしてなんだかんだ理由をつけて辞めてしまおうかと真剣に悩む羽目になる。

一人で小屋で暮らしているときには、することがなくても退屈で苦痛だなんて全然思わない。妄想するのも自由、意識飛ばすのも自由、寝るのも自由、散歩するのも自由、ご飯も自由。この小屋は本当にありがたい、自分に最適な、自分の分身のような存在なのだ。

一方、やるべきことを抱えており、それでいてそのやるべきことに慣れてしまって余裕があるとき、つまり、バイトを始めてしばらくした頃のような状況は、もうとてつもなくつらい。

つらいつらいと言っていると精神的な問題だと思われるかもしれないが、それがそのまま肉体的なつらさに直結する。後頭部から変な物質がガンガン出てきて、それに全身が冒されて、本当に屍のようになる。一分一秒が永遠に感じられて、気持ちが悪くなってくる。

薪を集めたり切ったりするような単純作業と、アルバイトでやるような単純作業とはわけがちがう。薪を集めているときは、気持ちが解放され、自ら時間の流れを創っていると感じる。アルバイトをしているときは指示され、拘束され、休めもせず、誰かが造った時間の中で動いてるだけで、そういうときは自分の内部に流れている時間は停止してしまう。それがとてもつらい。

他人のことはよくわからないが、普通の人は多分、見ている限り、覚えていく過程で自分の成長や人との結びつきを感じ、そして一丁前に働けるようになったらそれはそれでテキパキとできるようになって必要とされて承認欲求を満たしたり、仲間と駄弁ったりして心地良さを感じるんじゃないだろうか。僕にはそういうのがない。アルバイトだからではない。どんな職業でもたぶん同じ。

面倒くさい。短期ですら長すぎる。どんなに効率悪くてもいいので、小屋でできる仕事が欲しい。一人で現金を得る仕事。この自由な生活を壊すことなく、この土地に縛られることもなく、他人の情によって束縛されたりすることもなく、価値の無いものを売りつけることなく、媚びへつらうことなく、騙すことなく、付け込むことなく、つらくなく、義務を感じず、時間の流れを感じられるような方法で、月2万円を安定的に稼ぎ、生活のベースを完全に自由かつ独立的にまわしてゆけるようになりたい。短期バイトが今のところ、その欠けているピースを埋めてくれているわけだが、本当はとてつもなくやりたくない。

どんぐり拾っても何しても、月2万円の現金が無いときつい。実際はもっと切り詰められるが、そうすると今度は生活自体が苦痛になってくる。2万円あれば、全く無理なく苦痛なく、食べたいものを食べたいだけ食べて、それでやっていける。

怠け者だろうが乞食だろうが我が侭だろうが甘えだろうがレッテルはどう貼られてもかまわないが、とにかく表現以外の手段で、つまりブログや著作以外の手段で、月2万円を稼げるようになりたい。ベースはそれでまわしてゆきたい。当面は短期でバイトするしかない。



このエントリーをはてなブックマークに追加

category: ■短期バイト

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

プロフィール

最新記事

著書

カレンダー

カテゴリ