寝太郎ブログ

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『自立社会への道-収奪の五〇〇年を超えて』筧次郎(後半)  


自立社会への道―収奪の五〇〇年を超えて
本書の前半では、一般に「豊かさ」と呼ばれているものが、文明・文化の発展ではなく、ひとえに「収奪」によるものであるという理解のもとで、欧米諸国の収奪の歴史が語られた。後半では、そのような近代世界史の文脈における「日本」の再解釈が試みられる。

日本の大東亜戦争は、軍国主義が起こした「愚かな戦い」ではなく、帝国主義・植民地主義を終わらせる解放者としての戦いであった。近代世界の文脈を紐解けば、日本が戦っていなければもっと酷いことになっていたであろうことがわかる。

一方、日本は解放者であると同時に、白人以外で唯一の支配者としての顔も持っていた。この二面性が近代日本を貫いている。しかし、支配者としての振る舞いとて、「強制的な収奪の時代」において不平等な貿易を強要された日本の苦渋の決断であった。

少なくとも、戦前の軍国主義と戦後の民主主義、「戦争の悲惨」と「平和の繁栄」を対置して、自ら「戦前」を裁くのは間違いである。この間違いは、戦後GHQに強制された歴史教育のせいのみならず、「構造的な収奪の時代」における経済戦争の支配者の一員となった日本人が、己の収奪行為に目を瞑るのに都合が良いからであった。

日本は戦争に敗れながら、豊かになった。なぜか。「勤勉で努力家の日本人」だったからだろうか。そういう側面もあるかもしれない。しかし、筆者が指摘するのはもっと外的な要因である。第一に、GHQが日本を無力化しようとする当初の政策から一転して「防共の砦」にしようとしたこと。第二に、東西陣営間の戦争における特需があったこと。第三に、アメリカの軍事力の傘のもと経済発展のみに尽力できたこと。

背後に控えている強大な軍事力のおかげで繁栄していることを知りながら、日本人は平和憲法を楯にして安全地帯におり、平和を自慢している。その代償として自立性の無い国になってしまった。筆者はこれを「偽善」と形容している。

敗戦後、アメリカの武力の傘の下で高度成長を成し遂げ、ヨーロッパ人とともに支配者の一員となった現代日本人は、戦前の日本人を批判し、現在の収奪に目をつぶり、平和と繁栄を自慢してきた。これは恥ずかしいことではないのか。(p.219)

収奪が常態化すると、大量消費が当たり前になり、昔の質素な暮らしを「不幸」と感じるようになる。また、人口は増え、社会システムも収奪した富を前提として、それに依存した形になる。そして、経済成長なしでは維持できなくなる。

今日では、自由競争の名のもとに、収奪は企業の手に委ねられている。そこでは、企業間の競争に勝たなければ没落するために、気違いじみた競争が行われている。コストを下げるためには手段を問わない。欲望を商品化することで無限の市場を開拓する。原発が必要なのも、収奪経済において物やエネルギーを回してゆかなければならないからである。

国も、社会も、企業も、個人の生活も、奪い続けなければ破綻する。これが支配者になるということである。筆者は本書の前半で、「これは独立的であると言えるのだろうか」と疑問を投げかけている。

変革のために最も難しいのは、社会システムと相互依存的に成立している個人の心性の反発が予想される点である。だからこそ、収奪経済から自立経済へ転換するためには、現在の社会についての冷徹な認識を通じて、各個人が自己変革しなければならない。つまり、勉強しよう、ということである。



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category: 社会・経済
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コメント


おはようございます

とてもいい記事ですね
最近、資本主義の発展に関して筧次郎さんと同様の
見解を示す方が多いこともあり
この本は非常に興味深いと思いました
今度読んでみますね
紹介ありがとうございました

消費しないピノキオ #0bEIyvWM | URL
2014/01/09 09:45 | edit



僕は難しく語ることは馬鹿なのでできないですが、
こうやって今見てるPCや隣のLEDライトもどっかで誰かが辛い思いを
して、出来たものなんですよね
そう考えると感謝の心を持っていたいと思いました
本文の趣旨とずれているかもしれませんがすいません

internet jet set #- | URL
2014/01/09 01:28 | edit



個人としてどう生きるか?

でも、現日本国憲法が米国によってもたらされたとすれば、
この個人という概念も、戦前にはなかったのではないか?
憲法十三条はこう書かれている。

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

憲法では唯一最大という文言でかかれており、国政よりも上に置かれるくらいの権利を個人は持てる尊重される。ただし、別の個人の権利と対立した場合はその限りではないけれど。

ゆた #- | URL
2014/01/09 01:12 | edit



ポリタンクの水を大切に使い、食器の拭き取り後洗ったり。静かに暮らすなら電気もミニソーラシステムだけでいけそうだし。風呂毎日入るなんて罪悪に感じる。落ちている木を拾い、燃料としてか細い火をおこす。わずかな湯とかすかなぬくもり、たまーに毛布とかコインランドリーにもっていかないと臭いがすごいですが。エネルギーと食い物 踊らされてるんでしょうねメディアに。薬草の知識 予防摂取で 身を鍛える必要がありますが。山での暮らしを 町で実行して 生活費浮かしてます。
愉快さと おおらかさを もって 生きて生きたい。

 いろんなチャレンジ 擬似ヤクを お祈りいたしておりますですよ。

でるでる #- | URL
2014/01/08 21:27 | edit



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# | 
2014/01/08 18:43 | edit



軍事力

>第三に、アメリカの軍事力の傘のもと経済発展のみに尽力できたこと。

これはよく言われる言い方ですが、軍事にお金を使わずに済んだという意味ではないので注意が必要です。
お金の面で言えば、軍事費は金額で2013年世界で5位の支出をしています。高度成長の時代でもほぼ同じような順位でしたので国民の負担としては軽いほうではありません。GDP費で言えば30位ぐらいになりますが、経済発展した結果で順位が下がっただけです。
アメリカの軍事力の傘のもと戦争せずに済んだという意味ならばそのとおりだと思います。

不戦派 #- | URL
2014/01/08 18:38 | edit



そうなんですよね。
結局は個人としてどう生きるかということが一番大事なんだけど、でもそれを思考するための能力を教育や常識といったもっともらしく仕立てられたうその仕組みに奪い取られていると思うんですよね。

このブログには似合わないかもしれないけど寝太郎さんはフリーメーソンやイルミナティについて調べたりはしてませんか?

僕がよく見るブログです。
面白いのでひまだったらどうぞ。
知っていたらごめんなさい。


http://golden-tamatama.com/
http://nueq.exblog.jp/

タダシ #- | URL
2014/01/08 12:09 | edit



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