寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

Bライフの一般性について  


現代のメインストリームの生き方も嫌、人間関係の密な相互扶助的な生き方も嫌、自分で自給自足するような力も無いとなれば、シンプルに生きるしかない。

お金を稼ぐ義務も、人間関係による心の束縛も、自給自足の手間も、煩わしさは似たようなもの。「生活」があるから悪いのだ。「生活」から逃れるために、なるべく質素に暮らす。

・対人依存からの脱却

生身の人間に対する依存からの脱却。直接的な心の繋がりができてしまうことを避ける。依存対象が大きな企業や国という匿名的な存在であれば構わない。その辺で働いている人に対して依存感情を感じることはない。彼らがどんなに社会正義を振りかざしても、彼らの人生は彼らが彼ら自身のために選んできたことであって、後付けで偉そうなことを言われても何も響かない。ところが実際に働くとなると、直接的な関係が生じる。それは思考や行動を縛る。

・自己完結性

一人あるいは身内のみでやる、ということ。

・局所最適化、国内レバレッジ

よく、物価の安い国で生活しながら、物価の高い国の収入を得る、ということが言われるが、そうしたレバレッジ戦略をとるためには、わざわざ国外に出る必要はない。
土地家屋や一杯800円のラーメンは、同じペースで経済に乗っかれる人用の値段。そうしたサービス、場所代、宣伝、不必要な差別化、などなどの付加価値を買わない自由はある。云千万円の家を買わない自由はある。一方で、アルバイトの給料の数字は、経済を十全に反映している。その非対称性をうまく使う。国内レバレッジ生活。

・情報の発信、必要な情報の確保、不必要な情報の遮断

「生きることに意味なんて無いよ」「難しく考えず楽に生きようよ」などと易きに流れるのとは違う。どれだけ質素に暮らしても、知識や情報から断たれるのはつらい。しかし、これに関しては、地域の図書館もあるし、大学図書館でも一般開放されているところが結構ある。もちろんインターネットも。

以上のことは、安アパート暮らしでもある程度は実践できることばかりかもしれない。小屋やテントで暮らしているとよくわかるが、基本的なアパートがあのクオリティで(東京にこだわらなければ)20000円くらいからあって、しかも賃貸居住者は法的に相当守られているし、かなり恵まれている。それ以上のラディカルな生活をするのは、単に経済的なことよりも、精神的で非合理的な理由が多い気がする。

・ノマド志向

留守にしていてもいい。これが結構重要。一度居を構えてしまうと、賃貸であっても、荷物やら契約やら行政手続きやらで腰が重くなる。賃料が発生したまま国内外をふらふらしていてもいい気はしない。いつ自分の頭がクルクルパーになるかわからないし、いきなり明日どこか遠い国へ行きたくなるかもわからない。

・変化を求めて

同じ循環の中にいる限り、何も変わらないのではないかという恐怖。変化というか、逃避というか。

・ゆるいサバイバル志向

たとえばドングリを拾うなんてのは、誰にでもできることだが、サバイバルと言えばサバイバル。山菜も釣りもそうだが、今どきそんなのは、趣味としてやるか、あるいは漁船を得てプロとしてやるかのどっちか。しかし、生活費が低くなればなるほど、それが本当に生活の糧となりうる。山にも街にも、社会余剰は溢れかえっている。それをもらうのが難しいだけで。ペール缶一つもらうにしても、普通の人とは「ありがたみ」が違う。これもまたレバレッジ。生活の階層をずらせば競争率も下がる。

・全体性を求めて

単にどこかに引きこもるのではなく、たとえば小屋やテント暮らしならば、外界に開かれたまま孤独になれる。全体性のある孤独を得られる。ソローが『森の生活』で「まるで自分がこの星の最初で最後の人間であるかのような」(うろ覚え)と形容してるところのもの。


10万円程度の安くて便利な土地の購入は、確かに難しいが、不可能ではない。テントを使えない人はいない。年に一回、短期バイトで20~30万円を稼げない人もあまりいない。

もちろん健康であることは前提だし、日本国民であることも重要だし、だいたい人間であった時点でかなりラッキーだし、一般性を言い始めたらキリがないが、少なくとも法律や経済の観点からは、十分な一般性があるように思う。薦めているわけではなく、事実として。



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category: ライフスタイル

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