寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

徒然なるままに(ゴミ袋窓、STAP、甘え)  


残雪がしぶとい。気温が上がってきたのにH2Oの塊が地面にこびり付いているというただそれだけの理由で何一つ作業ができないで悶々としている。たとえば、窓。

以前、透明なゴミ袋を使って内窓をつけたのだが、その後(いや、その前だったか、忘れた)、うすっぺらいアクリル板で作ってあった外窓を雑に扱っていたらベリッと壊してしまい、結局、内窓も外窓も両方ゴミ袋で越冬してしまった。実は、造りが雑で隙間のあった前のアクリル窓よりゴミ袋窓のほうがよほどうまく機能していて、建築途中の仮工作としてはオススメなのだが、ずっとこのままというわけにもいかない。

「固くて透明な何か」が欲しいのだが、「固くて透明な何か」は値段が高い。小屋を建てた時なら金銭感覚が多少麻痺していて、数千円の出費も許せただろうが、建てて落ち着いてしまうと「窓ごときに数千円・・・」と貧乏根性が鎌首をもたげてきて、財布の紐はこま結びで三回くらい結ばれてしまう。

それで、何としても無料で手に入れるべく、バイクでその辺をうろちょろしようと思っていたところに、大雪が降ったのだった。どうやって無料で手に入れるか?ガラス窓くらい絶対どこかに投げ捨てられているはず。今春は、山菜採りのエリアを大きく広げたいのもあって、外出が増えそうだ。しかしまずは雪が完全に溶けてくれなければ話にならない。


そういうわけで、今はゴミ袋の館でおとなしくSTAP細胞の事件を追ったりしている。

疑惑そのものはともかく、マスコミもメディアも、またそれを受け取る側も、世の中どうしてこんなに、他人のことを評価したり、解釈したり、それだけならまだしも、それを無闇に表明したり、広めようとしたり、挙句、説教したり、断罪したりする人間がうようよしているのだろうか。そっちのほうがよほど気持ちが悪い。自分のことだけして、自分の言葉だけ吐いていればいいのだ。

評価したがる人間はまた、他人の評価をも聞きたがり、評価の渦の中で生きたがるものだから、そういう人間が多ければ多いほど、評価という行為自体に金が流れ、金もまたひとつの評価基準である限り、評価が評価されることになり、虚実不明の肥大化を起こし、それで社会が回ってしまう。

結局、甘えているのだと思う。知識や考え方、判断や行動を他人に委ね、他人に依存したいと思っている人間は、それらのものを他人から享受する際の指標あるいは「器」となる評価や解釈という仕組みにとことん依存しているがために、逆に単なる「器」であるはずの評価や解釈に呑まれてしまう。

疑惑の的となっている人がどんな悪行をしたのか、あるいはしていないのか知らないが、知りもしない他人を断罪するような人間よりは数倍マシである。



このエントリーをはてなブックマークに追加

category: ■未分類

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

プロフィール

最新記事

著書

カレンダー

カテゴリ