寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

とりあえず、小屋でも建てよう  


もう長い間、時間が止まっている。「止まっている」と言いつつ「長い間」だと認識しているわけだが、それはカレンダーを見ればわかることだ。本当に、ここ十数年間の時間があったのかどうか、疑わしく思える。

時間感覚と共に、目的意識や、そこに至るまでの物語、他人の存在の感覚、生きているという実感、今、ここ、私、そういうものが全て消え去ってしまった。

「消え去ってしまった」ことを知っているのだから、当然、時間や物語の感覚が生まれつき備わっていないわけではない。自分には物語的な人格もあるし、非物語的な人格もある。時間的な人格もあるし、非時間的な人格もある。その二重性は少なくとも自分にとっては原理的なものだと思う。どちらが正しいというようなものではない。

時間や物語の感覚は、恋や愛、仕事や社会参加、宗教などによって、安易に取り戻されるべきものではない。そもそも「取り戻したい」わけではない。ただ、たまに寂しさを感じることはあるが、その寂しさとて、直後に、あくまで自分の一部の人格(生の人格)が感じているに過ぎないものとして相対化されてしまう。

だからと言って、絶対的な孤独や非物語的な観想生活の中に閉じ篭るのも違う。それは今度は、また別の極(死の人格)に引き篭もることに過ぎない。

僕がしばしば孤独や匿名性や非物語的側面を強調するのは、世の中の流れが物語的に過ぎるので、「そうではない」ということを言いたくなるのだと思う。これが逆だったら、僕は、人間の持つパースペクティヴの不思議さについて強調していたような気がする。

重要なのは、二重性である。正しい生き方があるとすれば、それは、物語と非物語の彼岸でなければならない。と言って、具体的にはそれが何を意味するのかよくわからない。

だからとりあえず、小屋でも建てよう。




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category: 彼岸
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