寝太郎ブログ

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人と関わるということ -三種類のディスコミュニケーション  


人の意識が開けるところ、関心や目的ができ、そこに意味や価値が生まれ、無数の物語が走り出す。そうして初めて、世界は像を結び、人生は明確な姿を現す。

人間が生きるということは、物語を生み出すということである。関心や目的が強ければ強いほど、物語も肥沃になり広大に展開してゆく。物語の密度が濃ければ濃いほど、「今」という時間の流れもまたはっきりと意識のうちに表れてくる。

他人とは、自分と異なる一つの意識存在であり、そこには僕の知らない物語が開けている。他人と関わるということは、他人の物語と自分の物語とが響き合い、絡み合うということである。

いわゆる「人間関係」の99.9%は、情報や知識の伝達ではなく、物語の響き合いによって為される。目的や思い出を共有しない人同士が関わり合うことは不可能である。

人に対する恐怖心、支配欲、羞恥心、媚び諂いなどがあれば、物語はアンバランスとなり、あるいは物語同士の戦いとなり、自然な調和ではなく、不協和音となる。これが一つ目のディスコミュニケーション。

物語の響き合いに飢え、物語の響き合いそのものを求めると、最も響き合いやすい最大公約数的な定型物語(愛、欲求、力、金、etc...)に訴えるようになったり、既に確立された大きな物語(宗教、文化、社会、仕事、学業、etc...)に自ら巻き込まれてゆくようになる。そして自分固有の内発的な人生は失われる。これが二つ目のディスコミュニケーション。

一方、死の観念がもたらす虚無と匿名性は、創造と生産のエネルギーを枯渇させ、関心や興味の感情を殺ぎ、あらゆる意味や価値を無効化すると共に、生きようとする意志が描き出すはずの物語を消失させる。パースペクティヴは失われ、世界は像を結ばなくなり、断片化する。

自分の物語が無くなれば、他人の物語と響き合わなくなる。響き合わなくなると、他人の存在そのものが消えてゆく。これが三つ目のディスコミュニケーション。




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category: 彼岸

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