寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

『ヤミ市 幻のガイドブック』  


戦後、新宿、渋谷、新橋、上野、池袋など、物資(特に食料品)を供給する農業地帯や漁場、およびそれを必要とする住宅地などの後背地と結びついた鉄道駅において、広大なヤミ市が形成された。配給だけでは食べられず、ヤミ市がなければ生きてゆけなかった。

最初は全くの露店市、そしてヨシズ張り、屋台、ベニヤ板と進化し、ようやく屋根がついた。やがて長屋形式になり、住む家のない従業員は天井裏で寝た。

各店舗は三畳ほどしかない。土地は戦災の跡地(他人の所有地)であったが、当時の行政と警察は「土地使用権も帝都復興のため」としてほとんど抵抗しなかった。

水道やガスはなく、電線は来ていたが、電力も電気器具も貧しかった。店の天井に裸電球が一個ぶら下がっていた。水は遠くの共同栓から戦災孤児が運んだ。下水はバケツに貯め、空き地へ捨てた。燃料は木炭や薪であった。

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石油缶を使ったご飯の炊き方(『ヤミ市 幻のガイドブック』p.101)

桶を使って都内の糞尿を農村へ送り、その見返り品として野菜を得た。野菜と糞尿とのバーター取引である。

食い物屋・飲み物屋と同じくらいの規模で、日用雑貨が売られていた。軍需品(たとえば鉄兜)を日用品(たとえば鍋)へ加工する「荒物屋」、焼け残りの日用品、輸入品などがあった。値段は公定価格の数倍から百倍にまで達していた。

ヤミ市を仕切っていたのは主として、テキヤと呼ばれる「組」であった。公定価格と統制経済にも関わらず生活も生命も保証されていなかった中で、生活必需品を打ち出の小槌のようにつぎつぎと並べて見せた。

全く異なる位相から社会経済の仕組みに切り込んでいけるテキ屋だけが、その状況に対応する方法を知っていた(p.185)

土地に縛られず実業を為す彼らの独自の論理は、自負も存在意義も見失っていた当時の一般大衆の閉塞情況を突き破った。




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category: 昔の生活

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