寝太郎ブログ

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「無縁の原理」で人生をやり直す―『無縁所の中世』伊藤正敏  


日本の中世には「無縁所」と呼ばれる場所があった。そこは、主従関係・親族関係を断ち切って、財産権も借財も放棄し、国の支配さえ逃れて避難できる場所であり、貧窮者、難民、移民、奴隷、罪人など、世俗と縁を切って、ゼロからスタートしようとする有名無名の人々が集った。

合戦の際、負けの見えた大名が無縁所に避難することも多々あった。関が原の戦いでは東軍の多くの城主が説得され高野山に入った。後醍醐天皇は足利尊氏に敗れ、二度にわたって比叡山に駆け込んで窮地を逃れた。義経を匿ったのも寺社である。その際、和平の使者となったのも、中立の立場にある「無縁の人」であった。

代表的な無縁所は寺社勢力であった。寺社の論理は仏教思想に源流を為す「無縁の原理」である。

主従の縁、親族関係などの世俗との縁は、仏教の原理からすれば最初から切れている。また僧侶は個人では何一つ所有しない建前であり、その裏返しとして、借財も納税義務もないことになっている。(p.87)

『無縁・公界・楽』を著した網野義彦に拠れば、「無縁所」の特徴は以下の八項目である。

1.検断(警察)不入
2.諸役(税金)免除
3.自由通行権の保証(無縁所の外でも身柄を拘束されたり徴税されたりしない)
4.平和領域
5.私的隷属(奴隷)からの解放
6.賃借関係の消滅
7.連座制の否定(家族に累が及ばない)
8.年功序列

いわゆる「アジール」(無縁所に似た避難所)の一種であるが、ヨーロッパの「アジール」では、原則として、国家的犯罪者は駆け込みを許されない。日本の無縁所は、謀反人にさえ保護を与えるものであった。

中世の無縁所は、江戸時代の駆込寺・縁切寺などとは比較にならないほど大きかった。また、駆込寺は「すべての権利を剥奪される刑務所を思わせる施設(『寺社勢力の中世』p.28)」だった。

「武士の家」も、外界からの遮断、不可侵性、不入の権という意味では、寺社と同じであった。しかし、「武士の家」に駆け込んだ人間は、絶対的な保護下に置かれると同時に、絶対的な束縛の下にはいる。その境遇は奴隷であった。

一方、寺社の無縁所に入った者は自由の身となった。ただし、無縁所はあくまで一時的な保護であって、「奴隷の境遇を甘受することとは正反対(p.140)」であり、「無縁世界に飛び込んで生き延びた後は、自力によってなりふりかまわず生きる必死の努力が必要(p.140)」であった。そうして「無縁の人」の自力再生の努力によって展開したのが境内都市である。

無縁世界は永遠の保護を与える楽園ではない。(p.211)


日本におけるアジール論の先鞭をとった平泉澄や網野義彦らが挙げている例は「あまりに弱体すぎ(p.189)」て、「こんな頼りない所に駆け込む気にはならない(p.197)」ものばかりであり、本書の著者はこれを有縁の権力の下で承認されていた「相対無縁所」と呼び、自立的な「絶対無縁所」と分けている。

その上で、絶対無縁所は確かに存在したとして、それは何より寺社勢力であったと言う。

無縁の場を確保するための力・・・は武力だけではない。経済力・宗教的権威・文化力・・・そこにつちかわれたすべてである。寺社勢力を除いて、このような資格と力量を持つものはない。(p.200)




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category: 生き方

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