寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

悟りなんて  


6月に、ヴィパッサナー瞑想合宿(ゴエンカ式の10daysコース)に参加した。

P1050581.jpg

神奈川から千葉まで桑の実をつまみながら歩いて行ったのだが、道すがらずっと、瞑想センターに辿り着く直前まで、参加すべきかどうか迷っていた。やっぱり引き返そうかと何度も思った。

というのも、「瞑想合宿」というものは、そこに設備があって、先生がいて、一緒に瞑想する仲間がいて、日常から超越したある種の「雰囲気」がつくられている。それは一つの「他者依存」ないしは「環境依存」である。それによって得られた能力は、自分由来のものではなく他律的に得られた力であって、自分に何の矜持も自信ももたらしてくれない。またそれによってもしも何か大きく自分が変わったとすれば、それが良いことであれ、とても恥ずかしいことであると感じる。一言で言うと「他律的に変わってしまう」のが嫌だった。合宿でできることは、一人でもできるはずなのだ。

結局、参加はしたのだが、「苦悩の原因は自我である。だから自我を消せばよい」という考え方があまりに短絡的に思えた。思うに、「苦悩からの解放」に重きが置かれすぎなのだ。「幸福病」なのだ。

確かに、自我を消して嫌悪も渇望もしなければ苦悩は消えるかもしれない。それはあたりまえである。でもそれでいいのだろうか。それが人間のあるべき姿なのだろうか。苦しんでもやるべきことというのは、この世界には無いのだろうか。自我を消して心が平穏になるならば、昆虫の心はさぞかし平穏だろうと思うが、それを難しくさせている人間の性質というものの存在意義を考える必要はないのだろうか。

苦悩から逃れたい、幸せになりたい、解脱したい、だけでは、それは自分の人生と言えない。それが自分の人生でないとすれば、苦悩から逃れようが、幸せになろうが、何の意味もない。だから僕は、自分が一歩一歩自分の人生を歩むこと以外によって、自分が不連続的に変わりたいとは思わない。悟りを目的として修行することも間違っていると思う。そうした幸せになるための「奇跡的な手段」にも憧れない。そういう不連続的な過程を経て「悟った」人間も、それが表面的にどんな人格者であれ尊敬しない。

ただ、瞑想という行為それ自体には、実践的な意味において、大変感銘を受けた。ヴィパッサナー瞑想が謳っているような理論的な因果関係がそこに存在するとは未だに信じていないが(これは書くと長くなる)、とにかくとても良いものだと感じた。

ヴィパッサナー瞑想とは、実践的には「心を今この瞬間の現実にとどめる訓練」である。僕らは常日頃から、目の前の現実を越えて、いろいろと空想したり、後悔したり、不安になったり、そんなことばかりしている。だから、一切のコミュニケーションを断ち、自らの肉体的な感覚(ゴエンカ式は感覚に集中する)という現在のリアルな現実だけに頭を戻すということによって、様々な恩恵が得られる。これは事実であると思う。この瞑想の実践的な恩恵と、ヴィパッサナーの理論・思想的な背景とは別のものである。

ゴエンカ式ヴィパッサナーの理論の概略は以下のようなものである。あらゆる精神的な汚濁は、絶え間なく肉体的な感覚として表面に浮き上がってきている。それは意識的に気付くような大きな感覚から、無意識のレベルでの小さな感覚まで、多種多様である。私たちはその全ての感覚に気付くように訓練し、またそれらの感覚に対して「反応しないでただ観察する」ように訓練することで、精神的な汚濁は行き場を無くし、消滅する。通常私たちは、感覚が不快であれば嫌悪を、快であれば渇望を生み出し、将来の自分を縛ってゆく。しかし、反応をやめることで、そうして心の縛り目を増やしてゆく連鎖にストップをかける。現在のサンカーラ(反応)を根絶やしにすると、今度は過去の汚濁が表面に浮き上がってくる。過去の汚濁も同様のプロセスによって浄化される。そしてゆくゆくは、全ての汚濁が浄化され、苦悩から解放される。ただ、僕自身はこのプロセスを文字通りに信じているわけではない。

ちなみに、自分でも先生に質問したのだが、このメソッドによれば、具体的にどんな心の汚濁が浄化されたのか、自分ではわからない。インターネット上の体験談や、あるいは終了後の参加者の感想などを聞いていると、「過去の思い出が芋づる式に掘り起こされて、全てが明瞭な因果関係の下に繋がっていった」というようなのがあるが、これはヴィパッサナーとしては明らかに間違っている。僕らが処理すべきなのは肉体感覚だけで、それがどういう記憶に由来したものかは、基本的にわからない。言い方は悪いが、そういう意味では、とてもつまらない瞑想法である。自分は「心の浄化」それ自体が目的ではなく、ただ単に自分のことを知りたいだけなので、もっと記憶と直接的に対峙できるような瞑想法を好む。

来週後半から、タイのお寺で瞑想をしながら滞在する。瞑想というものを自分なりにアレンジ・解釈して、これからも付き合ってゆきたい。




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category: 瞑想
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コメント


なんか小難しいな?お日さんとともに起き、青空の下肉体労働で稼ぎ、雨天は部屋で読書、あとは飯喰って酒のんで風呂入ってセンズリこいて寝る!…これじゃいかんのかね?悩んでる自分に酔ってね?

通りすがりの三十路二ー #- | URL
2017/07/10 19:21 | edit



瞑想とは周囲に流されること

 流される事に似ていると思います。
マッチポンプさんは流されないのでしょうか?
流されまいと戦うけれども、残念ながら漂流物同然だと想像します。

 電車に乗って感じるのは、皆さん全員が制服を着てると云うことです。
好みでアレンジしてありますが、全員想定内の服装です。
これをもって、全員が流されていると感じるのです。

 自分は特別だと思いたいでしょうけれども、皆さん偏差値のカーブの中の出来事です。流されるとは偏差値カーブの点が自分になることです。

勘太郎 #- | URL
2014/08/04 21:31 | edit



>苦悩から逃れたい、幸せになりたい、解脱したい、だけでは、それは自分の人生と言えない。
う~ん、じゃあ「自分」とは何なのか、という所に話が向かうんじゃないでしょうか。

  #- | URL
2014/08/04 17:02 | edit



6月に更新が途絶えていた間の出来事ですね~。
まずは徒歩で瞑想センターに辿り着いたことに驚きです。
さすが寝太郎さんですね。

私は哲学とか宗教っぽいことにかな~り疎いので、
寝太郎さんの記事もみなさんのコメントも、
意味のわからない言葉を調べながらやっとやっと読み終えました。
検索してみたら、ヴィパッサナー瞑想合宿の体験記がけっこうありましたね。
そこでもまたわからない専門用語がたくさん出てきました~(^^;

自我を消すことで苦悩から逃れるというのは生きていくための一つの手法になりえますが、
(とくに死ぬほど辛い苦悩なら有効ですよね)
できるならそうではなく、自分で乗り越えてみたいですね。
そのためには、自分のことをよく知らないとだめでしょうし、
また他者を知ることが自分を知ることにつながると私は思います。
(これは単純に、同じ事象に対する反応の比較ができるという意味で)

そういえば、桑の実は美味しかったですかね(^^)
大きいのやら小さいのやら、丸いのやら細長いのやら、毛深いのやら
いろいろあるんですよね~。

おばちゃん #02S5XAik | URL
2014/08/04 15:29 | edit



寝太郎「悩むことはアインデティーの一部。だから僕には悩む権利がある。」

釈迦「アイデンティーなんて幻想。そんな荷物捨てちまえ。」

発作マン #- | URL
2014/08/04 13:11 | edit



私もヴィパッサナーの10日間コース行ったことがありますが、10日目のおしゃべりがキツくないですか?寝太郎さんはあんまり他人と関わり合いたくなさそうですが、あの最後の1日をどうやって乗り切ったのか…。

No Name #- | URL
2014/08/04 08:25 | edit



ヴィパッサナー瞑想合宿調べてみましたが、食事も寝床もついて
無料なんですね! よくこういうの見つけますね。 感心します。
10日間終わってから「次の参加者のために」と任意の寄付選択
タイムがあるそうですが、寝たろうさんがいくら寄付したのか、
或いはしなかったのか興味しんしんです。

ところで寝たろうさんには是非ヘミシンクをやってほしいな。
知ってると思いますが、右耳と左耳に周波数の違う音をあてて
波を生じさせ、物質界と異なる次元に意識を持っていく体験です。
focus10が体が眠っているのに意識がさえざえとする次元、
同12が物質の領域を超えて意識が働き出す次元、同15が
時空を超えた次元、過去生なんかここで見れたり、未来の
ビジョンなんかも見れたりするそうです。 同21があの世とこの世
の架け橋。 日本的な言い方をすると三途の川という奴です。
ここで故人に合えたりすると。  同23がとらわれ領域。
死後物質界にとらわれて幽霊のような存在になったりするのは
この世界にいるそう。 同24~26は信念体系領域。 生前の
生き方や性格の似た者が集まるとのこと。  戦争の好きな者は
ここで延々と殺し殺されを繰り返し、宗教の好きな者はここで
延々と賛美歌を歌ったり、とにかう本質が死後もつかめないまま、
ただ習慣的に生前の行いを繰り返す世界で、殆どの人間は死後
この領域に行くそうです。  同27が輪廻の中継点。 前人生を
ふまえ次の人生に踏み出すまでの準備期間だそうです。
転生までのwaiting listに加えられ誕生まで待つということです。

その上のfocus35は、人間を卒業し人生の輪廻の鎖から
解き放たれた上級者ということだそうですが、ヘミシンクの
創始者によると、35はI there領域とも言い、「自分がそこにいる」
領域です。  つまり過去の転生の過程で自分はいくつにも分裂
しており、同じ自分でも落第生の自分と上級者の自分がいると。  
しかし全体として足りない部分を補う経験をするために転生&分裂
するわけで、実は上も下もなく、35の領域の上級者自分は、
物質界にとらわれてしまって日々悪戦苦闘している落第生自分に
常に手を差し伸べようとしているそうです。 そして瞑想とは
そうしたI there領域に繋がろうとする行為に他ならず、
これは何か他者依存で幸せ行きの特急列車に乗ることではなく
自分自身から智恵を拝借することです。  
物質世界は弱肉強食、金がものを言う世界、あと科学技術とかも
含め、霊界の視点からはそうした"程度の低い"ものに多くの人間が
とらわれてしまっていると。  太古の世界では物質界と霊界の世界
に強い繋がりがあったのに、今は殆ど喪失されてしまい、僅かに
瞑想だの最近開発されたヘミシンクだので、I there領域の自分と
つながることができるいうことです。  繰り返し、瞑想は他者依存
でも何でもなく、まさに自分のtotal selfとつながることだという
認識が重要ではないでしょうか。  自己にとらわれた苦しみ
というのは、物質世界の人生の尺度からのみ物を考えることから
生じる苦しみであって、そのハンドルを手放し、本来のTotalな
自分と繋がること、そこに人生いかに生きるべきかのヒントが
あるということだと思います。

そしてfocus35の領域にいる上級者自分は、人生の卒業者では
ありますが、全体としてはまだまだ初級の段階で、focus42の
領域にいけばI there clusterというのがあり、更に上級の自分の
集団がある。 focus49の領域にいくと、I there super cluster 
更に更に進化段階が上の自分達がいて、どこまでも無限に
つながっていると。 この段階までくると人間からは神のように
見えるそうですが。
ヘミシンクを極めたBruce moenによると、自身が霊的に進化
してなくともヘミシンク技術によって、focus100近くまでいける
そうで、「無限に続く大海のようなI there superxsuper cluster
のつらなり」と表現しています。

その段階まで行けたBruce moenによると、
宇宙創成はこのように説明されるそうです。
「その昔ある光の塊があった。  光は自分が何者であるのか、
そして他の世界に何があるのか興味があり、自分の中から
多くの小さな光を分裂させ、宇宙の探求に向かわせた。 
しかし戻ってきた光は一つもなかった。  そこでもう一度
探求に向かわせた。  やがてたった一つの光だけが
戻って来れた。 どうやって戻って来れたのか聞いてみると、
愛という感情を心に抱き、たぐってきたら戻ってこれたと。
つまり他の光は元の源に戻る手がかりを失って永遠に放浪をする
羽目になってしまったが、唯一愛を感じることができた光はそれを
辿っていく作業を繰り返すことで、帰還することができたと。  そこで
今度は源の光と各小さな光との間に愛という絆を強くし、探求に
向かわせた。 今度はしっかり戻ってこれた。 これに自信を深め、
今度は分裂した光も更に分裂して探求を繰り返した。 こうやって
未知の領域は次第に既知のものとなり、元の欲求は正しく
満たされていくことになった。  分裂とはビッグバンのことで、
人生の唯一の目標が結局は愛に行き着くのも、そのように自分達が
創成されているからであると。  かたや自分は特別などと
思い上がって、自分独自のやり方で人生を追求してみると早々に
壁にぶちあたってしまうのもこのためで、早めにtotal selfである
ところの智恵の集合体にアクセスし、人生の方向性に関する
お伺いをたてることが賢明な生き方であるし、何も恥ずべきこと
ではないと言えます。  瞑想なんかしなくとも、愛に生きている人は
自然とそうした領域につながっているのだろうし、現代ではヘミシンク
という実に有用な手段があるので、これを寝たろうさんに是非体験
して頂きたいと思う次第でした。  したっ!  



   #- | URL
2014/08/03 20:15 | edit



ヴィパッサナーの本を春に読んだきり、すっかり忘れてたのを思い出しました

ありがとうございました

kaz #- | URL
2014/08/03 20:13 | edit



管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

# | 
2014/08/03 18:49 | edit



苦しみたきゃ勝手に苦しんでろってのが釈迦のスタンスですよ。
瞑想を習うのが他律的だというなら、ほとんど何もできないね。

へ #- | URL
2014/08/03 18:42 | edit



哲学者の永井均がヴィパッサナー瞑想をやっていて仏教誌に体験を書いていたので
寝太郎さんもそんな日がくるのかも

No Name #- | URL
2014/08/03 16:15 | edit



↓とんでもないですよー^^(あるある)

もち #- | URL
2014/08/03 15:15 | edit



もちさんへ
大変申し訳ありません
自分がもちさんのコメントの丁度すぐ下に、瞑想の事を書いていたので、自分あてのコメントかな?と勘違いしてしまいました
寝太郎さん宛に決まっていましたね
ほんと恥ずかしいです自分のバカさ加減に
本当にすいませんでした

No Name #- | URL
2014/08/03 14:49 | edit



>哲学とか、「よく考える」ことが好きな人が、ある意味正反対の、ヴィパッサナーのような「考えを離れる」メソッドに興味を持つケースが少なくないように感じます。面白いですよね。

確かに
これは一体どういうことなんだろう
正反対の様にも見えるのにね…

No Name #- | URL
2014/08/03 14:44 | edit



うーん
想像していた寝太郎さん像と違っているような気がしてきています。

み #- | URL
2014/08/03 14:43 | edit



ありゃ、らしくないな
どうしちゃたの
今回の内容はビックリです

>>>>>>>>>
来週後半から、タイのお寺で瞑想をしながら滞在する。瞑想というものを自分なりにアレンジ・解釈して、これからも付き合ってゆきたい。
>>>>>>>>>

ヨガとか瞑想は強力だからな
気をつけて下さい
寝太郎、だいじょぶか ちょっと変だぞ

群馬とおりがかり #- | URL
2014/08/03 14:27 | edit



↓コメントに返信された方へ。
いろいろ言葉が足りなかったようですみません

・どんなに立派な偉人であっても完璧な人はなかなかいなくて、寝太郎さんから見て「全部素晴らしい」「この人の下に付きたい」とは思わないかもしれない。でも参考になることはあったりこれは違うと思う自分に気づくこともあるでしょう。

・好き嫌いが大きいというのは普段の様子から見て、普通の人より繊細だったりこだわりがあったり、少々偏屈だったりするかなと思ったからです。

ちなみに私は寝太郎さんではないし、瞑想には詳しくないですゴメンナサイ^^
瞑想のことは寝太郎さんに聞いてちょ

もち #- | URL
2014/08/03 14:21 | edit



ヴィパッサナーと寝太郎さんはどこかで接点がありそうと思っていたので、今回の読んでちょっと盛り上がってしまいました。あまり肌に合わなかった部分もあるようですが…。
それにしても、僕もそうですが、哲学とか、「よく考える」ことが好きな人が、ある意味正反対の、ヴィパッサナーのような「考えを離れる」メソッドに興味を持つケースが少なくないように感じます。面白いですよね。

ashibi #aH54ur02 | URL
2014/08/03 14:08 | edit



記事とは直接関係ない話ですが、
去年母親が亡くなり、喪主として様々メンドクサイ仏教にまつわる経験をしました。
日本における仏教って何なんでしょうかね。
あ、もうすぐ初盆がきます。先程までネットで初盆・法事のお布施金額を調べておりました。

自分が死んだら火葬場で焼いてもらい海か山にでも骨を撒いてもらいたいと思っています。
葬儀も戒名も墓もいりません。

みみ #- | URL
2014/08/03 14:02 | edit



タイの寺はホモが多いらしいので寺ではおしりの穴を狙われないように気をつけて、

yasu #- | URL
2014/08/03 13:38 | edit



いきなり6月の話なん!

過去体験を南の島で思い出しているって訳ですか?
めちゃくちゃ混乱しています。

と言うかですね、三回読み直したけど意味が分からんかった。

宗教と哲学は似ているらしくて、
それはつまり理解するのが難しいって事が似てるという意味だと
今理解しました。

★かもめスタジオのかなも #NZD5K3i. | URL
2014/08/03 13:31 | edit



瞑想の進み具合などはどうだったのかしらん。

No Name #- | URL
2014/08/03 13:19 | edit



>立派な先人であっても全部に納得・共感できるわけではない

これは先人がそうして来たって話?
それとも先人の話を聞いてってこと?
後者ならそう思うよ
ただし瞑想以外ね

>(特にあなたは好き嫌いが大きいかもしれない)

なんでそう思ったの?

>惹かれるものに触れつつ自分に反映させて、洗練して、自分だけの道を作っていくしかありません。

自分のやり方と好みはあるもんね

寝たろうさんに、瞑想は独自解釈して良いんでしたっけ?って聞きたかったんだけど
もしかしたらあなたは寝たろうさん?
もしくは瞑想の話に詳しい?

No Name #- | URL
2014/08/03 12:19 | edit



たびにでたのはせいかいだな
しかし、たびにでたからといってなにかがかいしょうされることはない

No Name #- | URL
2014/08/03 12:14 | edit



最近はコメント返さないんかね

No Name #- | URL
2014/08/03 12:13 | edit



どんなに立派な先人であっても全部に納得・共感できるわけではないから
(特にあなたは好き嫌いが大きいかもしれない)
惹かれるものに触れつつ自分に反映させて、洗練して、自分だけの道を作っていくしかありません。

どんな分野でも極めようとする人はみんな自然とそうしていると思います

もち #- | URL
2014/08/03 11:37 | edit



すっげー浅はかな知識で質問するけどごめんね
瞑想って独自に解釈、アレンジしちゃダメなんじゃなかったっけ?

No Name #- | URL
2014/08/03 10:06 | edit



たしかに

そうですね(^^)

ゆき #- | URL
2014/08/03 09:57 | edit



タイのお寺か~。
日本のお寺と違って、
かんりされてるかんじがなさそう。
居心地よさそうですね。

No Name #- | URL
2014/08/03 09:41 | edit



動くしかない

 不快や快の感覚を鍛えることは大切ですが、反応しなければ石になってしまいます。赤ちゃんのように泣いて反応するわけにはいきませんが、不快を快に近づけようと頭と体を持続的に使うことで、生きている実感を得られると思います。
 寝ていては石になるだけですから、最近の記事はおもしろいですよ。

usamit02 #- | URL
2014/08/03 09:08 | edit



人間苦悩するのが当たり前。
金持ちでも貧乏人でも暇人でも忙しい人でも
同じように苦悩する。
苦悩をなくするなんて無理。

苦悩があるから人は進歩する。

曽野綾子が書いていたが
「自分がどう思うかをはっきり知って入れさえすれば、
世間や人の意見にさして動かされずに済む
自分が偉いから動かされないのではない
人間と言うモノは、自分らしく生きる以外には
生きようがない。
その地点を見つけられれば楽なのである」

妙に腑に落ちたわ。

バッタモン #- | URL
2014/08/03 08:47 | edit



まぁ他人のことをすぐ馬鹿呼ばわりする奴が馬鹿ってのは決定してるけどな。そんな馬鹿は工房、厨房で卒業するべきだが、公務員や自称社会人に多い気がするわ。いつまでも大人になれない餓鬼がそういう奴は瞑想してブーメランを肌で実感した方が身のためじゃないのか?寝太郎先生に見習ってなお前らもタイで瞑想してこいや。

No Name #- | URL
2014/08/03 06:46 | edit



韓氏意挙

はじめまして。
日記を拝読いたしました。
「韓氏意挙」というものは、ご存知でしょうか。
もしかすると面白いと思われるかもしれません。

井上真花 #- | URL
2014/08/03 06:11 | edit



迷故三界城

悟故十方空

本来無東西

何処有南北

あなたは何処へ行きたいのでしょう?

No Name #- | URL
2014/08/03 02:08 | edit



西田幾多郎って京都学派の哲学者がいましたけどねたろうさんてきにはどうですか?
日本で唯一オリジナルな哲学者だと言われてましたけど。
彼は禅をやっていて記憶や概念を通さず認識することを純粋経験と呼んでいますがヴィパッサナにも近いものがあるような

No Name #- | URL
2014/08/03 01:53 | edit



金と権力あればそれで何もかも解決で幸せだよ。国や性別、人種問わず共通な項目でしょ。あと健康であれば他に何かいるの?

No Name #- | URL
2014/08/03 01:44 | edit



>難しすぎ、3行にまとめてくれ
迷走

No Name #- | URL
2014/08/03 01:20 | edit



釈迦の悟り

はじめまして 
釈迦を尊敬しているかと言われれば全くしていません。
面白い事をを言って、実践している人なので興味をもったのです。
寝太郎さんに興味をもったのも同じ理由です。

仏教に話を戻すと、私は釈迦の云う悟りは厭世観の究極形であると考えています。

仏教に話を戻すと幸福や利他行、他者の救済とかは釈迦の死後数百年を待って後代の大衆化された仏教徒(と称する人達)が考えだしたもので本来の釈迦の教えとは異なるものです。

本来釈迦の提唱した暮らしは、外形的には家を捨て、何も所有せず、執着しないで生きることでした。食い物は托鉢でなんとかなるから、それで上手いことやっていけば良いという態度でした。
心身を慎み、いついかなる時も心穏やかに過ごすというのが釈迦の云う悟りでした。

寝太郎さんは悟りを目指していないかもしれませんが、寝太郎さんの暮らしとよく似ている様に見えます。

jiro #- | URL
2014/08/03 01:15 | edit



難しすぎ、3行にまとめてくれ

No Name #- | URL
2014/08/03 00:48 | edit



なるほどわからん。
Bライフには憧れることもあるけどどっちみち心的ストレスが消えることはないのかな。
ストレスの種類は違うのかもしれないけど。
ストレスが最も少ない楽で楽しい生き方って何ライフなんだろう。
誰にも文句は言われない生活でも唯一自分の内面からの文句からは逃れられない。
うーん、これから逃れる方法が瞑想なのかな。
わからん。お腹空いた。

bu #- | URL
2014/08/03 00:26 | edit



瞑想。

禅を組むのとは少しちがうのでしょうか。

中西悟堂という人が木の下で禅を組むうちに人の気配を消し、そこへ鳥がやってくるーそんな話を遺こされています。

鳥が人を人だとは感じずにやってきて、つつかれ、肩にでも乗られた場合、その人は解脱してるっぽいです。幸福感も得られてそうです。不浄心の主に鳥は近寄らないそうです。

No Name #- | URL
2014/08/02 23:23 | edit



なるべく安全で、静かで、お金がかからなくて、人が少なくて、地域全体が旅行者慣れしていなくて、宿がちゃんとあって、ご飯の美味しい場所で、、、あとちょっとこう、なんか、理由はよくわからないけどホッとできるみたいなところがあれば、もうずっとそこにいたい。

コレはあなたの言葉ですがこんな世界はありません。あなたが望むあなたにだけ都合にいい世界などどこにもありません。欲望まみれで苦しくないですか こ
の欲があるかぎり苦しみ続けることになるから 欲を捨てて楽になれと仏陀は言ってるんだけど あなたは苦悩することが好きなマゾみたいだからどうでもいいか

馬鹿 #- | URL
2014/08/02 23:16 | edit



知人が、定期的にヴィパッサナー瞑想に行ってます。
非常に薄っぺらい人で、言動不一致とずれた小さい正義感が特徴です。
従って、すぐに環境に左右され、ずれた行動を繰り返してます。
彼を見ていると「瞑想とは周囲に流されることなのか?」と思ってしまいます。
本来、瞑想は独りでするものではないでしょうか。

マッチポンプ #- | URL
2014/08/02 23:16 | edit



ニーチェをばっさり切ったあとは、ブッダをもばっさりと切り捨てる
さすが寝太郎さん、神仏恐れず我が道を行くですね。
ちなみに自分は哲学者としては、パスカルが一番好きですね。

無無 #AIlHpmOk | URL
2014/08/02 23:01 | edit



ネタロウさんは今どこにいるのでしょうか?

CJ #z8Ev11P6 | URL
2014/08/02 22:50 | edit



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