寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

存在感ない  


存在感、ってあるじゃないですか。存在感ある人、存在感ない人、とか。

あれは声が大きいとか、体が大きいとかそういうんじゃなくて、なんか、自分の周囲の人間の意識の中に自分を存在させようとするパワーの違いというか、近づいて物理的に出会うだけでなく、人と人とが出会うという現象を成立させようとするパワーの違いというか、とにかく命あるものだけが持っている超自然的な能力だと思うんです。

僕なんて、なにかの料理屋で座っても気付いてもらえないどころか、オーダーしても忘れられてます。牛丼屋は食券式の所しか行きません。最近では異なるカオソイ屋さんで二度、忘れられました。別にそんなに混んでるわけでもないのに。そういうときはどうするかと言うと、確認したりするのは恐ろしくてできないので、気付かれないようにそっと店を出ます。

瞑想センターから帰るときも、世話役の女性の人にソンテウ(乗り合いタクシー)を呼んでもらうよう頼んだんですが、完全に忘れられてました。頼み事をするときに、なるべく相手の意識の中に存在しないように、一瞬そよ風が吹いたくらいの感じで接触します。ヨーロピアン女性が頼んだ反対方向行き(メーホーソン行き)のソンテウは呼ばれていたのに、僕が頼んだパーイ行きのソンテウだけ忘れられていました。仕方がないからヒッチハイクで帰りました。

いやほんとに平均的な存在感がある人間様の中で生きていくのはすごく大変で、猿や犬なんかの存在感にも全然負けてます。多くの人は、通りで犬が歩いていたことは覚えていても、僕とすれ違ったことは覚えてないと思うんですよね。存在のレベルとしては、中身があるんだかないんだかわからない、だいたいジャンボタニシくらいだと思います。

他人とは物理的に出会っても、精神的には出会わない。しかもそれに慣れちゃうと必要なときに「存在の力」を使えなくなる。人と話すのって、完全に用件だけを伝えるんじゃなくて、「出会う」ということが九割だと思うんです。用件もないのに「出会う」ためだけに人と会う人もいますし。存在の力だけで生きているような人もいますし。

こちらがちゃんと存在を示そうとしないと不機嫌になる人も多いです。「無視されている」とか「興味を持たれていない」とか思うのかもしれません。でも、存在を示すのってすごく疲れます。基礎代謝が普段の二倍くらい必要な感じです。ヘトヘトになります。面倒くさいです。




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