寝太郎ブログ

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在留邦人問題とか、台湾問題とか  


ネイティヴ英語スピーカーとの「ハロー」「ハーイ」以上の会話は面倒なので、「どのくらい滞在するの?」とか「○○は行った?」とか聞かれたら、耳のあたりで人差し指をクルクルやって(何のジェスチャーなのか自分でもよくわかってない)「ソーリー、ノーイングリッシュ」で済ませます。

あと、日本人に「日本人?」と聞かれたらだいたい、「ノー、チャイナ~」です。これ、日本語わかってることがバレバレだと最近気付きました。

唯一話すとしたら、日本人以外のアジア人、特に東アジア系の人たちです。旅先で会う東アジア人は、日本人に対して本当に友好的です。中国人も韓国人もそうですし、とりわけ台湾人は友好的です。

僕の行動圏では、日本人は見るからにバックパッカーというか、どちらかというと貧困層(あるいは大学生)がフラフラしていることが多いですが、日本以外の東アジア人は数十年前の日本みたいに今まさに旅行ブーム真っ盛りという感じで、富裕層の特権として旅行している人が多く、日本にも行ったことあるよって人も多いです。

ちなみに日本の観光ビザを取るのは未だに相当大変らしいです。一番人気は京都で、二番人気は北海道です。北海道のことを「ベイハイタオ」と発音すると喜んでくれます。

ただ、中国人と台湾人がすごく仲悪くてヒヤヒヤします。中国人が帰ってくると台湾人は布団を被って寝てしまったり(中国人はグループ、台湾人は一人旅が多いというのもあるかもしれない)、中国人に中国語で話しかけられてもあえて英語で答えたり(大陸の言葉と台湾の言葉は結構違うらしい)、台湾の独立問題について熱く語ってくれたりします。

しかし、なんでしょうね、「ヤー」とか「ホー」とか言いながら聞いてるんですが、僕ほんと興味ないんですよね。台湾が中国だろうと中国じゃなかろうとどうでもいいです。

他国のことだからじゃないです。今日も、中国の在留邦人の孫だという人に会って、おじいさんは在留邦人だったことを苦にして自殺してしまったとかいう話をするのですが、どうでもいいです。なんか、一億年くらい前の、銀河系の外で起こった出来事のように感じます。

みんな政治や歴史についてすごく詳しいんですが、僕は自分自身と半径5メートルくらいが平穏であればそれでよく、どうして赤の他人にそういう話をするのかもよくわかりません。だから「僕はそれについて全然知らないし、興味も無い」とはっきり言います。

でも、興味が無いなら放っておけばよいのに、どうしてこういうところで「興味が無いです」といちいち書くかというと、別に、それより考えるべき重要なことがあるだろう、と言いたいわけではありません。各々の興味に優劣をつけるつもりはないです。それぞれにそれぞれの興味があるのに、特定の対象に関して「興味があって当然だ」「興味があるべきだ」「知るべきだ」というような「べき」の気配を感じるわけです。それが鬱陶しいんです。僕はとても弱いので、そういう目に見えない圧力に対してこうしてせっせと防御壁を築いています。

そんな圧力は無いと言う人もいるかもしれません。しかし、そうして話題に出すこと自体が、「興味があって当然でしょう」という暗黙の了解を含んでいるような気がするのです。僕は特定の個人に対して自分の興味に関していきなり話したりしません。

それで、どうして「べき」が鬱陶しいかというと、「べき」というのは自分で操れないのです。「あれこれをするべきだ」と言われて、どうして「するべき」ことをしなければならないかと考えると、答えが出てこないのです。「するべき」とされていることに従う「べき」だから、というわけで、矛盾撞着に陥ってしまいます。つまり、理性で操れるようなものではありません。人から言われてそれに従えるようなことではないのです。

だからと言って「べき」というのは、完全に感情の次元で機能しているのでもありません。むしろ、個人的な感情の赴くままに任せないように、それを制御するような場面で出てくるのが「べき」です。

理性でもない、感情でもない、だとしたら「べき」って何なのでしょうか。多くの人は、外部から言葉によって与えられた「べき」をうまく感情の次元に転化させて、自分がその「べき」と一体化して、そうして使っているように見えます。

よくわからないのは、まさにそこのところ、言葉が感情に転化するその瞬間です。具体的な「べき」は確かに外部から与えられます。しかし、そうして与えられるいろいろな「べき」を自分のものとするためのもう一つ上の階層のメタ機能を最初から自分自身が所有していなければ、諸々の「べき」を受け取れないはずなのです。

自分の中に無い新しい「べき」を与えられると、どうすればいいのかわからなくて、思考が無限ループに陥ってショートして震えます。だからこそ、他人に従うのはとても難しいです。

まあ僕も、多かれ少なかれ「知るべき」とされてきたことに関して無理して勉強したりしてきましたが、だいたい三日で忘れたり、断片的な知識で頭の中を散らかしてしまったりして、すぐに嫌になります。「べき」でやったことは一切身に付きません。やらないほうがマシです。




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category: タイ

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