寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

過去  


そういえば今年は「あけましておめでとう」のメッセージが完全にひとつもなかった。当然郵便物は届かないのだが、メールも何も。

他人や社会との繋がりの無さ。あまり繋がりが無いと、外界と内界という概念すら意味を為さなくなってくる。

このこと自体は何ら苦ではない。ただ単に一人の人間でいたい。これはむしろ昔から望んでいたことのように思う。

中学校の頃描いた絵を思い出す。どこかの星で一人で釣りをしている絵である。背景は宇宙で、遠くに地球が見えていた。下手くそな絵だったのに、校長室に飾られていた。

現在の境遇を起点に過去を振り返ると、記憶が一本の因果の鎖のようにするする伸びていく。あの時も一人でいたかった、自分の頭の中の世界に閉じ籠っていたかった、あれは孤独に対する渇望の発露であった…などと。

同時に、これが唯一の自己物語ではないこともよくわかっている。描く物語によっては、現在が必然的、自然的に思えたり、逆に、過去とは断絶した、信じ難い、自分の人生ではないようにも思える。実際僕は、自閉的だった一方で、とても寂しがりやだった。

僕は自分自身が救い難く分裂していることを知っているから、よく自己同一性にこだわる。自分の自己同一性を本質的に破壊しているのが死の観念であることも知っている。しかし、その分裂が人間にとって原理的なものであるのかどうか、これがよくわからない。

人間はただ生きているだけでなく、自分が死ぬこと即ち自分が今生きていることを知っている。だから一方の極に愛着があり、もう一方の極に孤独があることは原理的なようにも思う。それにしては、どうして僕は僕で一つの存在としていられるのだろうか。




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category: 彼岸

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