寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

健康で文化的な生活よりも低空飛行したい  


もしも、路上や公園や河川敷や空き地で寝袋にくるまって夜を明かすことが色々な意味で認められていたとしたら、自分は小屋も建てなかったし、河川敷に土地を買うこともなかったし、旅に出ることもなかったんじゃないかなと思う。

自分が欲しいものは低空飛行、これに尽きる。体温の保存、すなわち最低限の水と食料、および寝袋、これだけ確保して、あとはあらゆるスイッチを切って、気の済むまで放心していたい。

たったそれだけのことが一体どうしてこんなにも難しいのか僕には本当に理解できない。世の中では、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとかしないとか言われてるけれども、僕が欲しいのはそんな仰々しいものじゃなくて、ただ生きているだけの地面すれすれの低空飛行。

もちろん、一生そうしているのがいいとは思わないし、放心しているうちにいずれ何かをしたくなるかもしれないけれど、スイッチを切りたいときに切れないというのは、病気になった時に病院へ行けないのと同じくらい恐ろしいことで、僕には考えられない。

タイでは結構その辺に人が転がってたりして、水と食料はお寺経由で恵んでもらえたりして、最近は乾季で雨も降らないし、タイのトイレはウォシュレット用の水道が付いていて排水溝もトイレ内にあるので、例えばパーキングエリアのトイレで普通に水シャワーが浴びれてしまう。実際に外国人の僕がやるのは安全上の問題があるが、そういう人たちがなんとなく存在を認められている状況は端的に羨ましいと思う。

自分の生活のテーマは小屋暮らしでもないし、田舎暮らしでもないし、貧乏暮らしでもないし、最近「ミニマリスト」という言葉が近いのかなと思ったけれど、やはり少し違う。自分が欲しいのはスイッチを切って低空飛行できる場所であって、でも日本では公園で夜を明かすことは認められていないので、次善策として、あるいは順法闘争的な手段として、小屋が出てきたり、テントが出てきたり、海外放浪が出てきたり、お寺籠りが出てきたりする。どれも一長一短あって完璧なものはない。

スイッチを入れるのならともかく、スイッチを切るための場所をわざわざ自分で能動的に作らなければならないのは、宇宙全体としては自然法則に反するように思えるけれど、地球ないしは日本という局所的にはビンビン電気が流れているから仕方ないのだと思う。その電気は経済活動だけじゃなくて、なんというか、生きようとする欲動のようなもの全て。




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category: ライフスタイル

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