寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

「小屋暮らし」と「Bライフ」の関係  


「Bライフ」という言葉には一応の責任があると思っています。

他人に対する責任ではありません。他人の人生なんて知ったこっちゃありません。他人は他人でそれぞれの動機と文脈に基づいて生活しています。他人に対して責任があると思うのは傲慢です。

そうではなくて、言葉、概念に対する責任です。

僕が「Bライフ」と称しているライフスタイルは基本的には私的なものであり、誰一人として同じ人間がいない以上、一般性を考え始めればキリがありません。

ただ、それでも生活形式として切り取れる部分はあると思っていて、その核となっている原点は「自分の土地さえあれば」という思いです。僕は27才の頃、いろいろな理由から強くこのように思いました。

上物はテントでも段ボールハウスでもなんでもいいんです。肝心なのは自分の所有している土地があって、自分の住所があるということ。

僕はこんな立派な小屋を建てるつもりはありませんでした。僕がたまに「小屋セレブ」と言っているのは冗談でも何でもありません。「小屋暮らし」というのはBライフの貴族階級のようなものです。

「土地なんて誰のものでもないんだ」というラディカルな主張はありますが、これは実際「言うだけなら簡単」の類の空論であって、実践的には役に立つものではありません。

ですから「Bライフ」は、それよりもう少しだけ上の、ギリギリ社会の枠組みの範囲内の順法的な中で、素人がハンドメイドでなんとかそれらしいものを作る、ある程度脱社会化された自由な暮らし、そのあたり一帯を示す言葉ということになると思います。

ではどこまでがBライフか、何をやったらBライフじゃないのか、という境界線はあまり意味がありませんし、土地を借りたらBライフではないなどと、定義を厳密にする理由もありません。

言葉を使う使わないというのは特定の個人が決めることではないと承知の上ですが、僕個人としては、言葉としての「Bライフ」は、「土地さえあれば」という根本の思いに共感してくれる人がいれば使ってもらえれば嬉しいという気持ちです。

少なくとも、一般向けのメディアには「Bライフ」は適切な言葉ではなく、一般社会に向けて言葉を発するときには「小屋暮らし」がニュートラルでいいような気がします。




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category: ライフスタイル

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