寝太郎ブログ

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虚しさ、意味の欠如、自分の存在が偶然であるという感覚 ―『日本社会がオウムを生んだ』を読んで  


新著を書き終えた後、たまたま目に入って一番最初に読んだ本。とても古い本である(1999年発行)。作家の宮内勝典とオウム真理教元信者の高橋英利の対談という形式だが、事実上は宮内が聞き手となって高橋の話を聞くということになっている。

若者が多くオウムに惹きつけられた理由として、ありきたりではあるが「意味の欠如」が挙げられている。

意味のないものには我慢できないから、意味をもたせたいんでしょうね。(p.222)

「自分の存在が必然ではなく偶然でしかないという感覚(p.13)」と言い換えてもいい。何かの物語や文脈の中に、自分が在るべきものとして在らぬことに対する不安感、不快感、虚無感。

世の中、「虚しい」とこぼす人は多いが、僕はいつも、どんな種類の「意味の欠如」であるかに注意している。

第一に、その欠如が、原理的に充足可能なものなのかどうかという点で大きく分かれる。虚しい、虚しい、と言う人は、渇望の裏返しであって、つまり意味に対する希望を大なり小なり持っているということである。「意味なんて無いんだ」と心の底から思っていたら、「虚しい」などと言わないだろう。

さらに、充足可能な意味の欠如もその規模によって異なる。つまり、何が得られれば満たされる欠如なのかということである。

たとえば、この本の中で高橋が主として言っているのは、宇宙規模の意味の欠如である。

宇宙に対する関心がものすごく強かったのです。これは存在の感覚と似ているんですけれども、自分を定位する場所というのをすごく探し求める。そして同時に、現在もそうですが、自分の基準座標がまったく見えてこないんです。・・・これは宇宙を見つめる視点につながっていまして、ある意味で自分を見ていることなんですね。(p.13)

ぼくの関心というのは、宇宙の秩序に自分の生命がのっかっているんだということを実感することだったんですよね。はっきり言いまして、ぼくはその実感が薄いんです。(p.21)

この欠如を満たそうとすると、

宇宙的な感覚をもちながら人と接して、そして人間として生きていくのはむずかしいですね。人間の生活というのもすごく複雑で、もっと単純な生き方がしたいという願望がすごく潜在的にある。(p.145)

ということになる。その具体的な答えの一つとして、宇宙規模の物語を提供してくれて、なおかつ日常的にその物語と共にあることができるような環境、空間、集団をも提供してくれる、つまり宗教というものがあったのだと思う。

一方、宮内が主として(全てではない)言っているのは、社会規模の意味の欠如である。たとえば、

いまぼくは地上一一階の部屋に住んでいて、机の上にはパソコンがあって、窓の向こうはゴミ焼却場の煙突がそびえている。・・・あとは見渡すかぎりコンクリートだらけ。意識の居場所なんかどこにもない。(p.155)

我々の社会にはオウムにかわる受け皿がなかった。精神や意識の営みに意味をあらしめようとする若者たちを受け入れる受け皿がなかった。(p.173)

ぼくたちの生きている世界はコンクリートと電気ばかりで、意味がないからね。(p.222)

高度資本主義の波頭に打ち上げられて浮遊している意識は、自分らしさが希薄で、実存の実感もなく、世界とのはっきりした輪郭を求めて、いらだっている。(p.244)

この欠如を満たそうとすると、たとえば意味のない都市を脱して意味のある自然へというようなことになる。これくらいなら健全であり、希望のある、現実味のある話である。

規模の問題は、『日本社会がオウムを生んだ』というタイトルと直接的にかかわっている。「オウムは日本社会の闇であった(p.253)」「オウムは、先進国の意味の不在という問いを残した(p.253)」と繰り返しているのは、あくまで宮内の解釈であって、高橋の実感ではないと読み取れた。であるから、タイトルの『日本社会がオウムを生んだ』という括り方は強引と感じた。たとえ原始的な生活をしていようとも、宇宙規模の意味を感じられるか否かはわからない。逆に、如何に健全な社会だろうと、身近な人間に必要とされなければ自分の生に意味を感ずることができない人もいるかもしれない。

意味は原理的に充足可能かという問いに戻れば、思うに、意味の喪失というのは、あれがない、これがない、というようなものではなく、人間の特性上、なんのきっかけもなくても生ずるものである。なぜなら、人間はただ生きているだけではなく、生きていることを知ることができるゆえに、いかなる意味の外にも―宇宙だろうと―出ることができる、というか、出てしまう生き物だからだ。だから、意味というのは、ある日突然、蛇が丸呑みして運び去ってしまうようなものだ、という形容が一番適切だと思う。




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category: 宗教
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