寝太郎ブログ

2月10日文庫本発売→『自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)』

置かれた場所で咲けない  


都市的な生き方であれ、自然的な生き方であれ、頭脳労働であれ、肉体労働であれ、研究であれ、芸術であれ、自分の過去に根を張って、それを土台に生きることができる人、置かれた場所で咲ける人は羨ましい。

僕は自分に見えないものしか見えない。自分が知らないものしか知らない。自分ならぬものにしかなれない。


自分に無いもの、ここに無いもの、目の前に無いもの、心に映る意識世界に無いもの、その最たるものが「死」だった。だから昔から気になって仕方がなかった。どこまでいってもまとわりついてくる「生」というものが鬱陶しかった。

しかし、ずっと「死」について考えていて、まるで現前しているかの如く考え続けていたら怖くなってしまった。昔から怖かったが、それでも必ず五分五分以上で「生」が勝り続けてきた。そうでなければならないのだ。

「生きる」ということは最終的には局所的な営為であって「置かれた場所」でしかできない。目の前にある食べ物しか食べられないのだ。

そうして今度は必死に、自分が生きた証、あるいは自分が生きている証を探し求める。今はようやく本が読める程度まで回復した。言葉というものは想像の世界への入り口である。一時は「想像すること」自体がこわかった。目の前にある現実世界にしがみつこうとしていた。

あっちに行ったり、こっちに行ったり、自然科学を勉強していれば自然科学では理解できないことばかりが気になり、生きていれば死が気になり、金があれば無い者に嫉妬し、そんなことばかりをしていて、結果、自分には何もない。




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category: 彼岸
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