寝太郎ブログ

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中村文則、実存  


夜の散歩とラジオが楽しみの最近です。

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ラジオとは違うのですが、KIQMAGAというインタビューマガジンの、中村文則さんのゲストの回を聞きました。

「生きる意味」というものを考えていって、欲望の追求、幸福の実現、承認の獲得などを空虚に感じ、「生きる意味」が「存在の意味」へと変貌してくるとき、一つの答えとしていわゆる実存主義へと導かれることはありうることだと思います。実存主義というのは広い意味をもっている語ですが、とりあえず「今、現に、ここに存在している私」に何らかの仕方で立ち戻ってくる、そうした考え方です。

中村文則がインタビューの中で、

存在の意味というものを考えた時に、お客さんみたいな感じでこの世界に居る感覚が昔からある。

と述べていました。これはまさに、実存の欠如の感覚であり、裏を返せば実存主義的な問いの素朴な表現だと思います。

エゴイズムで自分の幸福を構築していくっていうのがだいたい人生の進み方だと思うんだけど、なんかそういうものにあまり魅力を感じなくて・・・

というわけで、普通の人が普通に獲得する「意味の根源としての私」というものを彼は得ることができないわけです。ところが彼はそれでも、というかそうであるがゆえに一層、自分の存在意義の欠如に思い悩まされることになって、道を歩いていて後ろから来た自転車にベルを鳴らされただけで「おまえはもうこの世界に要らないから邪魔」というふうに聞こえキレそうになるくらい追いつめられたと語っています。

その後、彼は小説家としての成功という非常にわかりやすい承認を経て、最近ではもう「生きているだけで素晴らしい」と言っています。

生きてるだけですごいんですよ、これは。脳の仕組みであるとか、素粒子のメカニズムであるとか・・・。そういう圧倒的な身体メカニズムを持つ自分、個人というのはそれだけですごいので、認められなくても、こうやっているってことだけで充分。

『教団X』もそういう本だそうです。

ここで少し自分との相違を感じるのは、この「生きているすごさ」の意味内容です。脳や素粒子といった構造上のすごさというのは、まだ理解可能なすごさ、理解可能な複雑さであって、奇跡ではないわけです。養老猛なんかも『死の壁』で命について同じようなことを言っていました。養老猛いわく、なぜ命が尊いかというと、「複雑だから」「再現できないから」だそうです。

これはインタビューの中にあった中村文則の飛行機恐怖症の克服の仕方にも表れているのですが、彼は「飛行機というのは物理的に正しい現象なので落ちないのだ」という納得の仕方をしたそうです。つまり、自分には理解の届かない自然現象が勝手に働いてくれているという安心の得方です。

もちろん確かに、到底理解しきれないメカニズムが勝手に働いてくれている、それによって生かされているということはひとつの気づきではあると思うのですが、僕はやはり、もっと存在論的なレベルで次元の違うすごさ、つまりいかに複雑な構造であろうとも到達することができない意識存在というものの奇跡(たとえば、人間とまったく同じ構造を持ったロボットを作ったとして、そのロボットには必然的に意識が伴うだろうか。否である)こそが、「今、ここ、私」という実存の根幹にあるのではないかと思っています。

ただ、どちらが存在の意味をもたらしてくれるか、ひいては、どちらが「安心」をもたらしてくれるか、ということに関して言えば、自然科学の秩序からはみ出した奇跡が生じているのだと考えるよりは、自分も宇宙や自然の秩序の上に乗っているのだと考えたほうがよほど有用だとは思いますが・・・。

彼の話には、「批判をおそれずに自分をさらけだすためのヒント」が詰まっていました。SNSやブログ、本などを通して、何かを発信したいと考えている方にとっては、たくさんの気づきがあると思います。

ということなので、何か発信している人は聞いてみたらいいかもしれません。




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category: 書評その他
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