寝太郎ブログ

インターネットがない  


インターネットがない。山梨に入ってから、甲府以外ほとんどの場所で繋がらない。どうやら自分の使っているスマホが古すぎて、楽天のパートナーエリアで電波をつかめないようだ。当然、小屋のあたりは完全にオフラインである。

初日の夜はどうしようかと思った。一瞬、甲府まで出てネットカフェでも使おうかとさえ思った(ちょうど次の日に甲府でフードデリバリーをやってみようと思っていたし)。

自分がオフラインだったからと言って誰も何も困ることはないのだが、ネットがないと少し不安なのだ。そもそも僕が東京に居を構えた理由の一つが、救急車を呼んだらすぐに来てくれるだろうと思ったからである。冗談みたいな話だが、僕がアパートを契約した頃はそのくらい精神的に不安定だった。

しかし、多少、変な夢をみたりしたものの、なにごともなく小屋の夜は明けた。眩しい朝日を浴びながら間抜けなあくびをした。

僕はもう、大丈夫なのかもしれない。多分もう、東京にいる必要もないのかもしれない。

それで、しばらくオフラインで生活してみたら、これがまた快適である。

誇張無しで言うなら、世界が美しく見える。

インターネット的な視点の特徴は、超越性である。超越というのは、物事から一歩退いて俯瞰して見ることである。あらゆる知識や情報、体験を一挙並列に並べて、その前に座って、全てのものがone of them、簡単に超越的な視点を取れる。超越性は、集合知にはもってこいである。

しかし、超越性に埋もれてしまうと、実存的な視点や感性は失われる。実存は、乱暴に言うなら、「わたし」が「いま」「ここ」に現に生きていることを出発点とする。「わたし」以外の人、「いま」以外の時、「ここ」以外の場所と比べられることが無い。実存は、「わたし」が「わたし」の人生で出会ってきたもの、出会ってきた場所がすべてである。「わたし」が「わたし」の文脈で美しいと感じたものは、美しい。

僕は僕の見ている美しい雑木林が、何の変哲もない平凡な雑木林であることを知っている。僕の小屋から見渡せる雑木林が実存的に言って美しいという事実は、インターネットには似つかわしくない。

だから僕はいつも、ブログをはじめコンテンツの発信は「実存のお裾分け」だと言っている。明確に役に立つ情報以外の発信は、お裾分けに過ぎない。野菜が採れすぎたら、色形の良いものをいくつか見繕って、ざるに載せて他の人に持っていくのだ。

もちろんこのことは、インターネットだけの問題ではない。その人の持って生まれた性格や、年齢(悲しい哉、これが最も重要)、生きてきた過程、他の趣味嗜好なども大いに関係してくる。

実存と超越、僕はどちらが重要だとか、どちらが人間の本質だとか、○○主義だとか、そういうことは思わない。実存の極限には生があって、超越の極限には死がある。その二極で全く分裂して矛盾しているのが人間だと思う。

小屋は相変わらず静かで、何もなくて、ホッとする。「これだけお金のかかる贅沢な部屋に住んでるのだから、その代わりに何か生産的なことをしろよ」という圧がない。

今回、緊急事態宣言があって、一応県を跨いでの移動は避けるということで、約三か月ぶりの山梨行となった。律儀に守りすぎたかもしれない。一回目の延長はまだしも、二回目の延長はきつかった。小屋に帰れないとなると、なぜか自転車でフードデリバリーすることが増える。なにか同じものを発散させているような気がする。

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フードデリバリー戦国時代(配達員目線から)  


今フードデリバリーでコンスタントに時給3000円を得るのは難しくない。稼働日や時間帯を選べば瞬間的には時給5000円も出る。配達に慣れた人や体力オバケみたいな人は月100万を稼ぐ。

つい一年ほど前は、フリー(業務委託)の配達員にとってはウーバーの存在感が圧倒的で、出前館は時給制で1000~1200円だったし、Chompyなんかも出てきたけれど差別化もよくわからず、依然としてウーバー一択だった。「来年の今頃は配達員も飽和して、報酬も絞られて、それでもやるという人だけ残るような世界になっているだろう」と、みんな多かれ少なかれ思っていたのではないか。

それが、コロナ禍の宅配需要スパークを経て、気が付いてみればフードデリバリー戦国時代。以前精力的にウーバーをやっていた配達員たちは出前館(業務委託)やFOODNEKO、menuに比重を移しているか、少なくとも掛け持ちしている。ウーバーイーツの売り上げランキングを見ていても、東京勢をめっきり見なくなった。複数のサービスを掛け持ちしているからである(他にも理由はあるが)。掛け持ちの理由は単純で、他社のほうが儲かるからだ。

出前館は配達員報酬を公表していないが、配達員募集広告には「一件1000円も」と出ており、実際にそうである。FOODNEKOも一件1200円など。注文数は未だにウーバーが群を抜いているので、同時オンラインにして、出前館やFOODNEKOの注文が入らない時間をウーバーの配達で埋める。

ウーバーの配達員報酬は、いろいろ加味すると一件600円程度である。600円を配達員に払ってどうやって利益を出しているのか不思議だったが、他社の1000円、1200円というのはもうよくわからない世界である。

Shared Researchのレポートに依れば、出前館の注文単価は平均2800円程度(2020年8月)。お店が払う手数料が売り上げの35%であるから、送料無料のお店でちょうど配達員に払う1000円とトントン。もちろんサービスの維持に必要なお金は配達員報酬だけではないから、業務委託が運べば運ぶほど出前館は赤字になる。

それでも、業務委託は必要とされている。業務委託配達員はいくらいても全く固定費がかからない。なんなら都民全員が委託配達員でも問題ない。注文の多い時間帯や、少ないはずの時間帯にポコッと湧いて出た注文に隙間時間で対応してくれる業務委託配達員が街に散らばっていてくれれば、その案件単体で利益を生まなくても、サービスを回していくためには便利な存在である。

もちろん、シェアを競って投資中ということもある。前述のレポートには「2021年8月期に「出前館事業拡大のための大規模な投資実行」を行い、2022年8月期にはシェアリングデリバリーによる赤字を除く「出前館サイトの収益化」を目指す」「そのうえで、2023年8月期にはシェアリングデリバリーの通期黒字化を目指す」とある。「シェアリングデリバリーを除く」というのは、出前館はそもそも配達代行というより、注文のプラットフォームのような役割が大きく、お店による自社配達が多かったからだ。とにかく、2021年の8月までに集中投資して、2023年の8月までには安定的に黒字にする算段らしい。

配達員以外の人にはあまり知られていないが、どのサービスでも運んでいる人は同じである(出前館は業務委託以外にも時給制のアルバイトさんがいるが)。複数のドライバーアプリを起動して、入った注文を受ける。ウーバーの注文が入ればウーバー配達員、出前館の注文が入ればその瞬間から出前館の配達員である。

「あの自転車なに?」の時代からフードデリバリーが認知されたのもウーバーのおかげだし、お店がフードデリバリーに慣れてきたのもウーバーのおかげだし、少なからぬフリーの配達員が、ウーバーによって育てられた。ところが配達員は、少しでも条件が良いデリバリーサービスが出てくれば、あっという間に鞍替えしてしまう。そこには法的な結びつきも、心の結びつきもない。実際、どの会社もウーバー配達員を堂々と引き抜こうとしている(ツイッターにDMがくる、拠点で勧誘される、etc)。しかも、世間的には、ウーバーには素人業の悪いイメージが、出前館には日本的なサービスの良いイメージが定着しているようにすら思える。ちょっと、ウーバーがかわいそうな気もする。

他社の勃興が理由かどうかは分からないが、最近は少しでも天候が悪化するとウーバーがブラックアウトすることが多くなった。つまり、配達員不足で注文不可能になる。基本的に寒い日や雨の日は注文が多く、配達員も稼ぎ時なのだが、あまりに需給バランスが崩れるとサービス自体が停止してしまい、逆に全く注文が入らなくて配達員の売り上げもゼロということになる。配達員もそれを恐れて雨の日は出なくなる。負のスパイラルである。

現状、フードデリバリーは富裕層のためのサービスである。お店で買うより商品も高いし、配達料もかかる。庶民は日常的にウーバーイーツなど使わない。買いに行く数十分の時間と労力に1000円払える人たちのためのサービスである。配達員も届け先のお宅を探すときにまず綺麗なマンションから探す。

富裕層の富に直接的にアクセスできるのは、高級レストランとか、水商売とか、限られていたが、それが自転車に乗った普通の人ができるようになった、だからこその時給3000円、そんな風にも理解している。

フードデリバリー界隈では良くも悪くも毎日のように何か変化が起こっていて、一か月後、何がどうなっているかわからない。もしかしたら何社かは撤退しているかもしれない。冬が終わり、緊急事態宣言も明けて、もしかしたらいったんは落ち着くかもしれない。けれどもまだ何年というスパンで覇権争いが続くのは確実で、配達員としては大歓迎である。




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小屋とアパートの違い  


小屋にいるときとアパートにいるときの違いでひとつ顕著なことがあって、元々喉が弱い体質で特にここ半年くらいおかしかったのだが、小屋へ行くと治る。喉だけではなくて、体調が全体的にいい。

まず食べ物が変わって、小屋にいるときはほとんど玄米と簡単な野菜くらいしか食べない。たまにそばやうどんを食べるくらい。粗食を楽しみに行くようなところもある。体も必然的に動かすようになる。土や有機物に囲まれている。あと、デジタル機器に触れることが極端に減る。とまあいろいろ違いはあるが、結局のところ、因果関係は不明。

おそらく一番の違いは、小屋にいるときはほんの少しだけ気持ちが引き締まるというか、たとえば室温もそんなに厳密にコントロールできないので身体の体温調節のスイッチを入れておく必要があるし、気候の変化に敏感になったりとか、心地良い緊張感が持続している。緊張しすぎて疲れるとか、弛緩しすぎてだらけるとかなく、神経の張り方がちょうど心地良い。人間休んだりリラックスできる時間は必要だが、四六時中リラックスしていると、それはそれで自律神経が変になる。小屋にいると程よく自律神経が整うような気がする。

ちなみに喉に関して言えば、緊張状態のとき(交感神経が働いているとき)開き、弛緩状態のとき(副交感神経が働いているとき)閉塞するそうで、喘息持ちの人なんかは弛緩状態になる夜のほうが大変らしい(僕は喘息ではないけど)。なので、やはりだらけるのは良くないらしい。


2016年頃から小屋を離れ、途中畑を借りたことで少し小屋にいた時期もあったが、畑をやらなくなってまたご無沙汰になり、今年小屋を建て替えて、またぼちぼち小屋暮らしを楽しんでいる。建て替えのついでに不要なものを捨てたり燃やしたりした。あんなに小さな小屋でも知らないうちにいろんなものを貯め込んでいるもので。

畑も12月で返却して、肩の荷が下りた。3年半借りてたのだが、後半は結局、畑の草刈りをするためだけに頻繁に山梨へ帰るという苦行になって、特に今年の前半は体調を崩していたせいで雑草を伸ばしてしまい、とにかくいろんな人に迷惑をかけた。自分自身も苦労したし、なんとなくやるもんじゃない。

東京のアパートのほうは、借りてから3年が経った。共益費水道代込みで月35000円、ウーバーにも便利な都心だし、気に入っている。給湯器があるので自作シャワーでずっとやっていたのだが、最近さらに風呂桶を買って自作風呂になった。無趣味な自分だが、シャワー無し物件に工夫して住むとか、半額食品を買い込むとか、小屋建てて住むのも含めて、そういうことが唯一の趣味かなと思う。でも今は昔みたいに節約の鬼ではなく、いくら使っていくら稼いでいるのか、あまり気にしていない。相当低消費なのは確かだけれど。

諸々のことが整理されて、だいぶサッパリした一年。





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