寝太郎ブログ

オリンピックをやめない理由、三つ。犠牲者の未決定性、スポーツの謎の権威、慣性の法則  


どうしてオリンピックをやめないのか、僕にはよくわからない。やめればいいのに、と思う。

利権だ金だ、と言う人もいるが、僕はお金がそんなに人を動かすとは思えない。明日食う金に困っている人ならともかく、オリンピックに直接的に関わっているような人がお金のために動くだろうか。

もちろん選手のためでもないだろう。選手はこの日のために死ぬ思いで努力してきたんだ、と訴えるスポーツ関係者もいるが、ずっとやってきたことが無駄になってしまうことなんてよくあることだ。


わからないなりに、僕が想像できる理由は三つ。

ひとつは、オリンピックのせいで必ず出るであろう感染症による犠牲者が誰なのか、未決定であるということ。

オリンピックが原因で、失われる必要のなかった命が一つでも失われるという事実については、誰に聞いても否定しないだろう。嘘をついていそうな人には、賭けを提示するといい。オリンピックが原因で最低一人の命が失われるか否か。僕なら全財産を犠牲者が出るほうに賭ける。もっとも、全員そっちに賭けるので、賭けは成立しないだろうが。

しかし、それが具体的に誰であるかは、現時点ではわからない。もしそれが明確にわかっていたら、つまり、○○病院の看護師さん、港区在住54歳女性、子供2人の4人家族、こんな人生を送ってきて、こんな顔をしています、この方の命がオリンピックのせいで失われます、ということを、生きている現在の「やめて欲しい」と懇願する動画と共に流せば、「この方には悪いが犠牲になってもらって、このままオリンピックは開催して、みんなスポーツを見て感動しましょう」ということにはならない。

誰だかわからないだけで、事実としては同じことが起こるのだ。けれども、誰だかわからないから、みんな罪悪感に蓋をすることができている。


もうひとつは、スポーツというものが持っている根拠不明の権威。

オリンピックが、スポーツの祭典ではなく、何か別の、たとえばテレビゲームか何かの祭典だと想像してみればいい。わざわざ今、全世界の代表が集まって試合をするということにはならないだろう。

同じことである。スポーツにもテレビゲームにも、意味はない。100メートルを何秒で走ろうが、ボールを転がしてゴールに蹴り入れようが、意味はない。スポーツというのは芸の一種で、およそ「芸」と名の付くものがそうであるように、幼い頃から同じ動作を繰り返して、ある特定の動作が他人より飛び抜けてうまくなった人がスポーツ選手である。それだけのことだ。

僕は自分がスポーツをやるのは好きだ。体を動かして汗をかいたり、そこにルールやゲーム性があって、勝った負けた、というのは好きだ。うまい人がやっているのを見るのも好きだ。でもそれ以上のものではない。なんら他人に誇るものでもなければ、偉そうにする理由もない。その瞬間自分が楽しいだけの、ただの遊びである。

遊びというものは暇な時にやるものだから、国際的な遊びの祭典も、世界が暇な時に、平和な時にやればいい。平和な時にスポーツをやるからスポーツが平和の象徴なのであって、スポーツをやったからと言って平和にはならない。因果関係は逆転しない。

けれどもどういうわけか、スポーツには権威が備わっている。子供がボールを蹴って楽しい、ということ以上の何かがある。幼い頃からスポーツをやるのはいいことだ、部活に打ち込むことは素晴らしいことだという雰囲気がある。学生も学生でその雰囲気に胡坐をかいていて、スポーツができれば誇らしげだったりする。

確かに若い人は、夢に向かって努力したり、他人と競争したり、できないことができるようになったりするという、物語の外観に影響されたり感動したりしがちで、実際に為されている内実は何でもよかったりする。でも権威を醸成しているのは、子供ではなく大人なのだ。

僕にはその権威の根拠は全くわからないのだが、それが非常時にすらそれを押し通していいのだという傲慢さに繋がっていることだけは確かである。


最後の理由は、単純。

ウーバーの配達で新国立競技場の前を通ると、とにかく大きい。どのくらいの物と人とお金を集めてきたらあんなに大きなものができるのだろう。

あの大きなもののせいで、ずいぶん遠回りをしながら自転車やバイクを走らせていて思うことは、「やめるのが面倒なのでは」ということである。

進んでいるときは止まるのにもエネルギーが必要である。つまり、慣性の法則。ただそれだけの事なのではないかと思う。


でもまあ、僕も歳を重ねてくると、スポーツ観戦みたいな無意味なことでも楽しみにしていて、それによって救われる人もいるのかな、などということも思ったりする。

平和だからスポーツをやるのであって、スポーツをやることで平和にはならない、と書いたけれども、人間の心というのはそんなに単純な因果関係でもないので、スポーツをやっているのを見れば脳が勘違いを起こして平和な気分になって、苦しい思いをしている人が実際に救われたりすることもあるのかもしれない。




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インターネットがない  


インターネットがない。山梨に入ってから、甲府以外ほとんどの場所で繋がらない。どうやら自分の使っているスマホが古すぎて、楽天のパートナーエリアで電波をつかめないようだ。当然、小屋のあたりは完全にオフラインである。

初日の夜はどうしようかと思った。一瞬、甲府まで出てネットカフェでも使おうかとさえ思った(ちょうど次の日に甲府でフードデリバリーをやってみようと思っていたし)。

自分がオフラインだったからと言って誰も何も困ることはないのだが、ネットがないと少し不安なのだ。そもそも僕が東京に居を構えた理由の一つが、救急車を呼んだらすぐに来てくれるだろうと思ったからである。冗談みたいな話だが、僕がアパートを契約した頃はそのくらい精神的に不安定だった。

しかし、多少、変な夢をみたりしたものの、なにごともなく小屋の夜は明けた。眩しい朝日を浴びながら間抜けなあくびをした。

僕はもう、大丈夫なのかもしれない。多分もう、東京にいる必要もないのかもしれない。

それで、しばらくオフラインで生活してみたら、これがまた快適である。

誇張無しで言うなら、世界が美しく見える。

インターネット的な視点の特徴は、超越性である。超越というのは、物事から一歩退いて俯瞰して見ることである。あらゆる知識や情報、体験を一挙並列に並べて、その前に座って、全てのものがone of them、簡単に超越的な視点を取れる。超越性は、集合知にはもってこいである。

しかし、超越性に埋もれてしまうと、実存的な視点や感性は失われる。実存は、乱暴に言うなら、「わたし」が「いま」「ここ」に現に生きていることを出発点とする。「わたし」以外の人、「いま」以外の時、「ここ」以外の場所と比べられることが無い。実存は、「わたし」が「わたし」の人生で出会ってきたもの、出会ってきた場所がすべてである。「わたし」が「わたし」の文脈で美しいと感じたものは、美しい。

僕は僕の見ている美しい雑木林が、何の変哲もない平凡な雑木林であることを知っている。僕の小屋から見渡せる雑木林が実存的に言って美しいという事実は、インターネットには似つかわしくない。

だから僕はいつも、ブログをはじめコンテンツの発信は「実存のお裾分け」だと言っている。明確に役に立つ情報以外の発信は、お裾分けに過ぎない。野菜が採れすぎたら、色形の良いものをいくつか見繕って、ざるに載せて他の人に持っていくのだ。

もちろんこのことは、インターネットだけの問題ではない。その人の持って生まれた性格や、年齢(悲しい哉、これが最も重要)、生きてきた過程、他の趣味嗜好なども大いに関係してくる。

実存と超越、僕はどちらが重要だとか、どちらが人間の本質だとか、○○主義だとか、そういうことは思わない。実存の極限には生があって、超越の極限には死がある。その二極で全く分裂して矛盾しているのが人間だと思う。

小屋は相変わらず静かで、何もなくて、ホッとする。「これだけお金のかかる贅沢な部屋に住んでるのだから、その代わりに何か生産的なことをしろよ」という圧がない。

今回、緊急事態宣言があって、一応県を跨いでの移動は避けるということで、約三か月ぶりの山梨行となった。律儀に守りすぎたかもしれない。一回目の延長はまだしも、二回目の延長はきつかった。小屋に帰れないとなると、なぜか自転車でフードデリバリーすることが増える。なにか同じものを発散させているような気がする。

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フードデリバリー戦国時代(配達員目線から)  


今フードデリバリーでコンスタントに時給3000円を得るのは難しくない。稼働日や時間帯を選べば瞬間的には時給5000円も出る。配達に慣れた人や体力オバケみたいな人は月100万を稼ぐ。

つい一年ほど前は、フリー(業務委託)の配達員にとってはウーバーの存在感が圧倒的で、出前館は時給制で1000~1200円だったし、Chompyなんかも出てきたけれど差別化もよくわからず、依然としてウーバー一択だった。「来年の今頃は配達員も飽和して、報酬も絞られて、それでもやるという人だけ残るような世界になっているだろう」と、みんな多かれ少なかれ思っていたのではないか。

それが、コロナ禍の宅配需要スパークを経て、気が付いてみればフードデリバリー戦国時代。以前精力的にウーバーをやっていた配達員たちは出前館(業務委託)やFOODNEKO、menuに比重を移しているか、少なくとも掛け持ちしている。ウーバーイーツの売り上げランキングを見ていても、東京勢をめっきり見なくなった。複数のサービスを掛け持ちしているからである(他にも理由はあるが)。掛け持ちの理由は単純で、他社のほうが儲かるからだ。

出前館は配達員報酬を公表していないが、配達員募集広告には「一件1000円も」と出ており、実際にそうである。FOODNEKOも一件1200円など。注文数は未だにウーバーが群を抜いているので、同時オンラインにして、出前館やFOODNEKOの注文が入らない時間をウーバーの配達で埋める。

ウーバーの配達員報酬は、いろいろ加味すると一件600円程度である。600円を配達員に払ってどうやって利益を出しているのか不思議だったが、他社の1000円、1200円というのはもうよくわからない世界である。

Shared Researchのレポートに依れば、出前館の注文単価は平均2800円程度(2020年8月)。お店が払う手数料が売り上げの35%であるから、送料無料のお店でちょうど配達員に払う1000円とトントン。もちろんサービスの維持に必要なお金は配達員報酬だけではないから、業務委託が運べば運ぶほど出前館は赤字になる。

それでも、業務委託は必要とされている。業務委託配達員はいくらいても全く固定費がかからない。なんなら都民全員が委託配達員でも問題ない。注文の多い時間帯や、少ないはずの時間帯にポコッと湧いて出た注文に隙間時間で対応してくれる業務委託配達員が街に散らばっていてくれれば、その案件単体で利益を生まなくても、サービスを回していくためには便利な存在である。

もちろん、シェアを競って投資中ということもある。前述のレポートには「2021年8月期に「出前館事業拡大のための大規模な投資実行」を行い、2022年8月期にはシェアリングデリバリーによる赤字を除く「出前館サイトの収益化」を目指す」「そのうえで、2023年8月期にはシェアリングデリバリーの通期黒字化を目指す」とある。「シェアリングデリバリーを除く」というのは、出前館はそもそも配達代行というより、注文のプラットフォームのような役割が大きく、お店による自社配達が多かったからだ。とにかく、2021年の8月までに集中投資して、2023年の8月までには安定的に黒字にする算段らしい。

配達員以外の人にはあまり知られていないが、どのサービスでも運んでいる人は同じである(出前館は業務委託以外にも時給制のアルバイトさんがいるが)。複数のドライバーアプリを起動して、入った注文を受ける。ウーバーの注文が入ればウーバー配達員、出前館の注文が入ればその瞬間から出前館の配達員である。

「あの自転車なに?」の時代からフードデリバリーが認知されたのもウーバーのおかげだし、お店がフードデリバリーに慣れてきたのもウーバーのおかげだし、少なからぬフリーの配達員が、ウーバーによって育てられた。ところが配達員は、少しでも条件が良いデリバリーサービスが出てくれば、あっという間に鞍替えしてしまう。そこには法的な結びつきも、心の結びつきもない。実際、どの会社もウーバー配達員を堂々と引き抜こうとしている(ツイッターにDMがくる、拠点で勧誘される、etc)。しかも、世間的には、ウーバーには素人業の悪いイメージが、出前館には日本的なサービスの良いイメージが定着しているようにすら思える。ちょっと、ウーバーがかわいそうな気もする。

他社の勃興が理由かどうかは分からないが、最近は少しでも天候が悪化するとウーバーがブラックアウトすることが多くなった。つまり、配達員不足で注文不可能になる。基本的に寒い日や雨の日は注文が多く、配達員も稼ぎ時なのだが、あまりに需給バランスが崩れるとサービス自体が停止してしまい、逆に全く注文が入らなくて配達員の売り上げもゼロということになる。配達員もそれを恐れて雨の日は出なくなる。負のスパイラルである。

現状、フードデリバリーは富裕層のためのサービスである。お店で買うより商品も高いし、配達料もかかる。庶民は日常的にウーバーイーツなど使わない。買いに行く数十分の時間と労力に1000円払える人たちのためのサービスである。配達員も届け先のお宅を探すときにまず綺麗なマンションから探す。

富裕層の富に直接的にアクセスできるのは、高級レストランとか、水商売とか、限られていたが、それが自転車に乗った普通の人ができるようになった、だからこその時給3000円、そんな風にも理解している。

フードデリバリー界隈では良くも悪くも毎日のように何か変化が起こっていて、一か月後、何がどうなっているかわからない。もしかしたら何社かは撤退しているかもしれない。冬が終わり、緊急事態宣言も明けて、もしかしたらいったんは落ち着くかもしれない。けれどもまだ何年というスパンで覇権争いが続くのは確実で、配達員としては大歓迎である。




category: UberEats

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