寝太郎ブログ

2018年12月6日雑誌発売→『kotoba(コトバ) 2019年 冬号』特集・孤独のレッスン

『2100年の科学ライフ』 ミチオ・カク(前半)  



本書はいわゆる「未来予測本」である。著者はニューヨーク市立大学の理論物理学者ミチオ・カク。

未来予測はこれまでも古今東西の作家や研究者によって為されてきた。見当違いのものもあれば、ヴェルヌやダヴィンチのように100年後の世界を驚くほど正確に見通していたケースもあった。

本書の未来予測が信頼に足るものであると著者自身が主張する理由はいくつかあり、その最たるものは「最前線の科学者300人以上に対する聴取」であろう。

また、一昔前の未来予測と決定的に異なるのは、自然界の基本的な力について(法則で言うなら相対性理論と量子論について)よく分かってきており、少なくとも当分の間大きな変化は無いだろうという点である。これ自体が一つの予測であるが、本書の中ではその理由は明言されていない。

本書前半のうち、コンピュータ、人工知能、ロボットなどの「機械を如何に機能的に人間に近づけられるか」というようなテーマや、バーチャルリアリティやホログラムなどの「仮想世界を如何に現実に近づけられるか」というようなテーマに対しては、僕はあまり関心を持てない。労多くして実り少なしというか、そもそも何のためにそんなことをしているのか、何が面白いのか、よくわからない。機械は機械らしくあればいいと思うのだが・・・。


本書前半の中で僕が興味があったのは、医療や寿命の未来と、エネルギーについてである。

医療については、数万年続いた迷信や魔術の時代(平均寿命20才程度)、細菌論と抗生物質の時代(平均寿命70才程度)を経て、医療が原子分子や遺伝子に還元される分子医療の時代が今まさに始まろうとしている。

2050年までには幹細胞医療や遺伝子治療によって老化のプロセスを遅らせることで寿命は150年ほどに、そして2100年までには生物学的年齢を本人が望むところで一定に保つことができるようになる。少し言い過ぎだが、冒頭にジェラルド・サスマンの以下の言葉が引用されている。

あいにく私は、死を経験する最後の世代ではないかと思う。

世の中に不公平は多くあれど、死ぬ世代と死なない世代があったとしたら、そんな不公平は聞いたことがない。


エネルギーについては、現在が石油産出量のピークであり、今後石油価格は上昇し続ける。安価な化石燃料(とムーアの法則)に駆り立てられて発展してきた文明であるが、石油に代わるものが何であるか明確な答えは存在しない。短期的には複数のエネルギーを組み合わせて使うしかない。

しかし、有望なのは太陽光、風力、水力、水素などの再生可能エネルギーである。太陽電池や水素発電のコストは下がり続け、化石燃料のコストは上がり続ける。あと十年か十五年ほどで、この二本の曲線は交わる。

現在のところ原子力発電(核分裂)の未来は定かでない。一方、今世紀中ごろまでには核融合発電が実現し、エネルギー量の問題と環境問題と安全性の問題とを全て同時に解決する「水素の時代」を迎える。

今世紀後半には、常温超伝導体によって電気の時代から磁気の時代へと移行する。現在、地上の移動に必要なエネルギーのほとんどが摩擦に打ち勝つために使われているが、磁気によって移動のためにあまりエネルギーを必要としない時代がやってくる。

今世紀末までには、人工衛星が太陽放射を吸収し、そのエネルギーをマイクロ波放射として地球へ送ることができるようになる(宇宙太陽光発電)。物理学者マーティン・ホファートによれば、

宇宙太陽光発電は、真に持続可能で、地球規模で、排出物の出ない電力源となる

本書の中にも書かれているとおり、辿り辿ってゆけば全てのエネルギーは太陽に由来している。太陽は地球にとって「外部」であるし、未だ健在であるのだから、地球にとって本来の意味でエネルギー問題など存在しないはずで、あとは石油に依存して急発展してきた文明と人口をどうやって石油なしで維持するのかという話。

単に原始生活に戻って太陽のエネルギーを緩やかに使って生きてゆくのはある意味最も簡単な解決策だが、本書に例示されているような手段を使って、文明の問題を文明で解決したら人類はなかなかかっこいいかも知れない。





category: 科学
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病気は無くならない  


抗生物質の発明により、アメリカの公衆衛生局が「感染症に関する本を閉じてもよいとき」と宣言したのが1969年。その後も、細菌たちは着々と抗生物質に対する耐性を進化させてきた。
1994年の時点で、二種類以上の抗生物質に耐性のある結核菌に感染した場合の致死率は50%。これは抗生物質が発明される前の結核の致死率と同じである。

細菌の「耐性」は実に様々な方法で獲得される。
敵の攻撃装置の中に隠れたり、無害な細胞に擬態したり、宿主の攻撃を逆に利用したり、もう何でもアリである。
一時代を局所的に見れば、勝った負けたというビッグニュースに聞こえるが、巨視的に見れば、それは「終わりなき軍拡競争」の一幕でしかない。

人間よりも圧倒的に早い細菌の繁殖サイクルがもたらす進化に対抗するため、人間は「薬」を発明してきたが、皮肉にもそれは競争を激化させた。
本来数百年先にあったかもしれない人間そのものの進化による結核への対応を、薬の発明により一足早く手に入れ、それに伴って細菌の耐性進化も早まった。全てが早まっただけである。ただ、薬が発明された直後の人間には幸福がもたらされた。

進化のメカニズムからの帰結として、病気は無くならない。
進化とは、突然変異の中からたまたま適応できた遺伝子が繁殖して残り広まる、ということの繰り返しである。
このメカニズム自体には、健康、調和、安定といった方向性や計画性は全く無く、いわば盲目である。遺伝子はただひたすら自分のコピーが広まることを望むが、いくら画一的になっても変異は無くならず、生物界は永遠に凪ぐことはなく、荒波であり続ける。
僕ら個体の病気は、その荒波の水しぶきであって、波全体から見たらあってもなくてもよい副産物に過ぎない。
自然淘汰は、私たちの幸福にはみじんも関心が無く、遺伝子の利益になるときだけ健康を促進するものである。もし、不安、心臓病、近視、通風や癌が、繁殖成功度を高めることになんらかのかたちで関与しているならば(実際にそうである)、それらは自然淘汰によって残され、私たちは純粋に進化的な意味では「成功」するにもかかわらず、それらの病気で苦しむことになるだろう。―『病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解』
その極めつけが、単細胞生物から多細胞生物へと進化するのとほぼ同時期に獲得された、老化や死である。
老化や死という個体にとっての絶対的な不幸は、遺伝子にとって「とるにたらないもの」、あるいは、より大きな利益を得るための「妥協の産物」にすぎないという、たったそれだけの理由によって、高等生物のメカニズムとして残されている。





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『病気はなぜ、あるのか』  


病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解発熱は体温を上げて免疫力を高めるため。下痢は腸内の異物を早く体外に排出するため。だから、発熱も下痢も、必ずしも薬などで抑えるべきではない。
昨今、病気の症状を一概に異常や悪と捉えず、むやみに抑制すべきではないという考え方は、広く聞かれるようになった。
しかし、こうした考え方の歴史は意外と浅い。

『病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解』

この本は、そもそもなぜ、病気などというものが存在するのか、という問いに対して、進化生物学という視点から答えた、最初の本である。いわく、
個人としての人間が、なぜ特定の病気にかかるのかについては、ますます多くのことがわかってきているが、いったいなぜそもそも病気というものが存在するのかについては、未だにほとんどわかっていない。
タイムリーな例を挙げると、風邪やインフルエンザ。
感染すると、血中の鉄分濃度が低下する。これは異常事態だと思って鉄分を補給すると、症状は悪化する。鉄分濃度の低下は、細菌にとって希少な鉄分を摂らせないため、僕らが進化させた防御機構なんだそうな。
風邪にかかってるときは鉄分の多い卵はだめだし、健康なときだって栄養は摂ればいいってモンじゃない。

西欧医学によって、病気の「何が」「どのように」という物理化学的な因果関係(至近要因)とその対処法については詳細な研究が進んできたが、その起源や機能、つまり「なぜ」の部分はほとんど未開拓である。その「なぜ」に答えてくれるのが適応と歴史的因果関係(進化的要因)であると言う。
医者や医学研究者の教育現場では、「進化」は奇妙にも無視され続けてきた。
したがって、2013年現在において、何か劇的に新しい視点をもたらしてくれる本ではないかもしれない。にもかかわらず読むに値する価値があると思う理由は、以下の4点から。

1.発熱や下痢などのありふれた例だけでなく、医学界の広範に亘る例(実に和書400ページ)を用いて、説得的に書かれている。また、一般向けの書物としての引き際を心得ていて読みやすい。つまり、科学って面白いと思わせてくれる良質の科学啓蒙書であるということ。

2.原著が出版されたのが1994年。当時、英語圏を中心に非常に高い評価を受けた本である。つまり、1994年の時点ではこれが驚きとして語られていたのだ、という歴史的な読み方ができる。たった20年の間に、学者や学会の努力の積み重ねがあり、こうした啓蒙書の力があり、ようやく現代の常識がある。今では、洋書・和書含め、多くの進化医学の解説書がある。

3.思想的に重要な点については詳しく解説されている。「進化」の推進力になっているのは「自然淘汰」だが、僕らが日常的に思い浮かべる「自然淘汰」は曖昧で、せいぜい「個体に有利に働く」「適者生存」くらいのイメージである。黒幕は「遺伝子」の存在であって、遺伝子に働く自然淘汰を考えることで初めて説明される病気も多い。もちろん、個体に有利であれば、遺伝子にも有利であることが多いが、その限りではない。

4.「個体に不利だが、遺伝子には有利」の極めつけが、老化とそれがもたらす自然死である。簡単ではあるが、本書では老化と死についても触れられている。つまり、僕らは、進化によって「死を獲得した」のである。


熱が出たとき、下痢をしたとき、吐き気を催したとき、「嫌だなぁ」じゃなくて、「おお、がんばっとるな、ワシの体」と思えるようになるだけでも、全然病気に対する心構えが違ってくるんじゃないだろうか。




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