寝太郎ブログ

2018年12月6日雑誌発売→『kotoba(コトバ) 2019年 冬号』特集・孤独のレッスン

dosさんの焼き芋を食べてきた  


歩きまくった12月、1月であった。

昨日も歩いて、散歩がてらdosさん(黙認!This is dosB69)の石焼き芋屋に立ち寄った。散歩がてら、というような短い距離でもないが。

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・・・こんな焼き芋食べたことがない・・・。と思ったのは僕が自分で焼いた焼き芋しか食べたことがないからかもしれないが、柔らかいし、下から蜜が滴り落ちてるし、途中で何を食べてるのかわからなくなってきた。カスタードシュークリームに似ている何かを食べていた気がする。

自作小屋暮らしをしつつブログを書いている人が何人もいる中で、dosさんについて特筆すべきはもみあげ彼女の存在。話題は必然的に、カップルでの小屋暮らしの話に。

男一人で作るとどうしても機能的な事ばかり考えてしまい、「誰かに見られる」という観点が全く無く、殺風景でお洒落とは程遠い感じになってしまうのだが(ああ耳が痛い)、その点カップルでやると違ってくるようである。

小屋暮らしいいなぁと思っても踏み出せない理由の一つはやはり結婚というか、家族や子供の問題だろうと思われるので、その点非常にシリアスな話題なのだが、まあ男二人で話したところでどうなるわけでもなく、壁をピンク色にしとけば女性からの評判も良いのではないかと、そんなことを言っていたらあっという間に一時間過ぎた。

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お母さまからお茶もいただきまして、ごちそうさまでした。





category: 東京の日常
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ゲストハウスのひとこま  


薪拾いも水汲みもなく、エアコンの効いた部屋で半額弁当を食べる毎日。大殺界が明けるまであと5日。

もし僕が、全く知らない相手のことを知るために十の質問を作るとしたら、やはり「神(ないしはそれに相当する存在や概念)を信じるか否か」は必ず入るだろうと思う。けれども、神は、信じるか信じないか、それだけでいいと思うのだ。ロジックを以って誰かに納得させようとするようなものではない。

今いるゲストハウス、外国人のゲストがほとんどで、特に多いのがマレーシア人とオーストラリア人。理由はよくわからない。

夜明け前に僕が寝ようとすると、家族で来ていたマレーシア人のパパのアラームが鳴って、暗がりでよく見えなかったのだが、彼は体を起こして、そのままベッドの上で座っていた。翌日僕が、「朝は瞑想でもしているんですか」と聞くと、例のムスリムの一日五回のお祈りだという。たとえドミトリーでも欠かさないらしい。そうか、なぜ思いつかなかったのだろう。

それで、「あなたは何か特定の宗教を信仰してる?」「いや、何も。日本人はだいたいそうだよ」というようなお決まりの展開になって、まあボーっと話していたところ、「テーブルやパソコンは人間が作ったでしょう。じゃあ人間は誰が作ったの?」と一歩踏み込まれた。

率直、嫌だなあ、と思った。

もちろん彼は「神」という答えを持っているし、おそらく僕以前にも多くの人に投げかけてきたクエスチョンを軽い気持ちで繰り返しているだけなのだろうが、そこにほんの少し、「自分はただ信じているだけじゃない、ロジックを携えているんだ」という自負のようなものを感じた。実際はロジックなんてものとは程遠いのだが。そしてそれを目の前で披露されるということは、多かれ少なかれ論争を仕掛けられているに等しい。

僕だって人間や生命が物理化学の偶然的な反応から生まれたとは思っていない。それはどうしても無理がある。だからと言って、「この世に作れないものがあったら、どうして神が作ったことになるの」とか「そもそも神ってなんなの」とかいうような、不毛な、哲学や宗教学を一からなぞるような論争は誰も望んでいない。旅行者同士の会話において、踏み込んではいけない一歩だと思う。

こういうときは一体、どうすればいいのだろうか。そんなこと考えたこともないよというような顔で「I don't know.」と言うのが大人なのだろうか。





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ビッグイシューを読む  


ビッグイシュー読みました。


10万円で家を建てて生活する寝太郎のブログ

140円で仕入れて、300円で売って、160円が販売員の利益。

これをなぜか「1冊売って20円の儲け」と勘違いして一人でショックを受けてた。

1冊160円の儲けだった。


でも、売れなかったらどうなるんだろう、と思って電話してみたら、なんと返本が効かないらしい。

担当者の話では、一応、バックナンバー同士を交換することはできるという。最新号には交換できない。

やっぱり、基本的に返本不可の買取制度。つまり、売れなかったら、140円の損。


販売員のかたの記事もあって「(自分の立ってる場所は)いい場所だよ。1日15冊くらい売れる」と書いてあったから、普通だと10冊くらいなんだろうか。


日がな一日立っていて、1600円。売れなかったら自己責任。

やっぱり、世界が違いすぎて萎える。


で、思いついたんだけど、30ページくらいだから、買って、汚さないようにその辺で読んで、そのまま販売員のかたに返せばいい。
雑誌は中古流通しないし、ずっと持っていても仕方が無いし。直接販売員に返すのであれば、かなり効率がいいと思う。


あぁ、でも、ビッグイシューを出している発行元は良く思わないよね。難しいなあ。でも個人的には、これからおもしろそうな記事を見かけたらそうしようと思う。


販売場所→http://www.bigissue.jp/sell/index.html



内容は、最初、元プロ野球選手が「人生を味わい尽くしてきたという実感がありますね。これからも日々を堪能しながら生きていきたいです。」と言ってて、普通の雑誌と同じ路線で対抗してるのかとびっくりしたけど、あとは、それらしい記事が続いた。

浜矩子さんが、「グローバルがだめなら切り刻んでローカルという発想は暗黒」、「敗北主義は今の時代を穏やかに生きていくための適応」などと語っていたり、インディアンの土地問題だったり。


もうちょっと生の声があったらいい気もした。それこそダンボールハウスの作り方とか、路上・ネカフェ生活の小話とか大話とか、ビッグイシュー以外でみんなどういうふうに収入を得ているのかとか、都会に生えている雑草特集とか、今日の雲の形とか、ホームレスの方々のネットワークに繋がっているからこそ聞ける話なんか作るわけにはいかないのだろうか。話したくない人もいるだろうけど、意外と話したい人もいるんじゃないだろうか。


坂口恭平さんの記事もあったけど、『独立国家』を読んでないので不明な点だらけ。
『独立国家』はどこの図書館でも予約多数で読めないんだよな・・・。
ある程度新刊を買えるお金が欲しい。





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続・都会と田舎。  


10万円で家を建てて生活する寝太郎のブログ

4月はこんなような都会にいた。

都会にいていつも思うのは、ビルの屋上が何にも使われてないってこと。

日本は三角屋根だったから、屋上を使うって発想がないのかしら?

どのビルも、平米ウン万円で一ミリたりとも無駄にしないように活用しているくせに、屋上はどこもすっからかん。

だいたい、冷暖房の室外機と、水道やエレベーターの管理室みたいなのがあるくらい。

一月1000円で貸してくれれば、軽く小屋建てて、ソーラーパネル1枚つけて、太陽は独り占めだからプランターで野菜育てて、風力発電もおもしろそうだし、、、お礼に布団干しくらいする。



ここから本題。

都会のいいところ、田舎のいいところ、それぞれあると思う。
それらのメリット・デメリットは、個々バラバラに絶対的に存在するんじゃなくて、有機的に繋がってる。


たとえば、私はコーラが好きなんだけど、山小屋にいるときは、コーラは一切飲まない。特に飲みたいとも思わない。どうも、コーラは、都会の外食生活、空調の効いたモダンなマンションという条件下でのみ、おいしいらしい。


小屋にいると、おいしい水が一番おいしいと感じる。水のうまさ知らない人は、1週間くらい米と味噌と野菜だけの食事にして、喉が渇いたときに水をごくごく飲んだらわかる。できれば山とかで。私も知らなかった。


都会にいると、なんとなく、毎日シャワーを浴びたくなる。心なしか、一日経てば特に何もしてなくとも肌がベタついてくる気がする。

ところが、小屋にいると、毎日シャワーというのは、過剰に体を洗っている気がして、浴びたくない日の方が多くなる。


だから、単純に、毎日冷たいコーラが飲めて、熱いシャワーを浴びれて、都会の方がいい、とは言えない。都会はそれらを可能にしているだけではなく、必要にもさせているから。


こういういろんな違いが、時間の流れ方という背景によって繋がってて、要は、都会ってのは回転が速い。

毎日シャワーを浴びたくなるのは、皮膚の代謝を助長する行為だと思うし、刺激的な食事や飲み物も、脳のテンポを上げるガソリンみたいな役割を担ってる気がする。


シャワーを浴びればコーラが飲みたくなるし、コーラを飲めば作業がまた捗るし、作業が捗れば熱いシャワーを浴びたくなる。


田舎の方が健康的だ人間的だと一刀両断もできなくて、たとえば、調べ物をして、情報を的確に整理する作業なんかは、都会にいたほうが圧倒的に捗る。資料が手に入りやすいってのもあるけど、頭のテンポの問題が大きい。でも、テンポの早い頭で考えられる種類のことと、考えにくい種類のこととある。


よく田舎のキャッチフレーズで「ゆったりとした時間の流れ」とか書いてあって、レトリカルで恥ずかしくなることがあるけど、あれ本当かも。今度ストップウォッチで測ってみる。


「自分の家で育てた野菜がうまい」とかっていう一見怪しげな意見も、あれは時間ごと食ってるわけで、目隠しして食べ比べてもわかんないんだよね。


何が言いたいかっていうと、たとえば都会の生活者が、田舎の生活を想像して、退屈なんじゃないだろうかとか、不便・不快なんじゃないだろうかとか、いろいろ考えるわけだけど、そもそも時間の流れが変わってしまうので、都会にいながらの脳内シミュレーションはあまり参考にならない。逆も然り。


なんの論拠もない、気がする気がするのぐちゃぐちゃな文章になっちゃったけど、まぁそういうことです。

そろそろ畑の季節。何植えようかなぁ。





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