『糧は野に在り 現代に息づく縄文的生活技術』かくまつとむ 
2016/01/16 Sat. 22:06
六人の子供を一人前に育ててからすぐに奥さんと別れ、奄美に建てた小屋にひとりで住んでいる元武光さん(1941年生まれ)。村で一番貧しい家の長男に生まれた元さんは、子供の頃から毎日、兄弟を食わすために野山を駆け巡り、それが仕事であり、遊びであったという。
今でも、森や川、海で採れる自然の幸で自給生活している。シイの実、若芽、タケノコ、木の実、キノコ、カニ、魚、ウナギ、ハブ、イノシシ、etc...。河口では、4mの竹竿と現地調達のエサで、クロダイまで釣ってしまう。
裸足で歩きまわり、グミやタラの木を煎じて飲む元さんは、薬知らず、医者知らず、病気知らずだという。
畑で野菜と果物も作っているが、いわく、畑無しでも充分に生きてゆけるらしい。著者のかくまつとむさんは「縄文を感じた」と記している。
米や調味料などは物々交換で得る。
さらに興味深いことは、その場で交換されるわけではなく、事前に、あるいは後日あらためて持ってくる形であることだ。交換経済というよりも贈与経済に近い。(p.37)
欲しいという人に気前よく分けると、コメや調味料になって返ってくる。元さんが嗜まないビールや焼酎を持ってくる人もいるが、それを人に回せば、いつかまた別なものとなって到来する。ウナギの代金だといってお金を持ってくる人もいる。元さんは素直に受け取るが、自分から額を示すことはない。(p.93)
写真も豊富で300ページ、楽しめた。こういうのを読んでしまうと、憧憬が膨らむどころか、自分は一生こういうふうにはなれないだろうな、自分とは違う人間、自分とは違う世界だなと、何か清々した気持ちになる。
category: 食
cm: --
『人間は脳で食べている』 
2014/05/12 Mon. 13:19
「おいしさ」の研究家である著者によれば、「おいしさ」には四つの構成要素がある。
1.生理的なおいしさ
動物や人間は生理的に欠乏している栄養素や物質がわかり、それらを含む食物をおいしいと感じる。
2.中毒的なおいしさ
油脂、甘味、塩分など、快感によって脳の報酬系が強化され、中毒症状を示すおいしさ。高度の嗜好性食品などを含む。肉体的な欠乏や充足とは無関係に食べてしまう。
3.文化的なおいしさ
国、民族、地域、家庭などの集団の中で継承されている味付け、食べ慣れた味をおいしいと感じる。周囲を模倣することによる安心感や、記憶の反復に由来する。
4.情報的なおいしさ
テレビCM、ネットや雑誌の広告、口コミ、店頭表示、価格、ランキング、キャッチフレーズ、解説、産地、「天然モノ」表示、他人の感想、ブランド、賞味期限、調理師、JASマーク・トクホマーク、パッケージ、健康増進・ダイエット機能、行列、接客、etc・・・
1と2が動物的な「おいしさ」であり、3と4が人間に特有の「おいしさ」である。
本書はこのうち「4.情報的なおいしさ」に関する本だということだが、特に4に関して深く掘り下げているという印象はなく、どちらかというと「2.中毒的なおいしさ」に関する解説の比率が大きかった。
いずれにしても、こうした分類によって、日本をはじめ現代先進国の人間の食事は「2.中毒的なおいしさ」と「4.情報的なおいしさ」に比重が偏りすぎているということを再確認することができる。
いずれの「おいしさ」も、元来は安全対策・栄養判断のための合理的なシステムであるが、2や4は商業的な観点から簡単に利用され、「スカスカ」の食事ができあがりやすい。
ちなみに内容とは関係ないが、この本は鍵括弧の使い方が非常に独特で、おそらく「世間の声」や「読者の反論」、「どうでもいい野次」のような意味で唐突に使われる。個人的にはかなり邪魔だった。文体に拘りのある人は要注意。

category: 食
『ドングリと文明』W.B.ローガン 
2013/12/25 Wed. 07:46

狩猟採集の移動生活から、農耕牧畜の定住生活へ、というのがこれまで定説とされてきた大まかな人類史であった。
著者ローガンの仮説によれば、この二つの生活形態の間隙を埋めるのが「ドングリ文化」であるという。
大型哺乳類を追いかけていた人々の足を止めたのは、米や麦の栽培ではなく、ドングリを雨のように降らすオークの森であった。ドングリ文化こそが、家を建てて定住し、安定的な主食を摂って、文明や技術を拓き、そして人間らしい思索を可能にした。
ドングリは、栄養豊富で、手に入れやすく、貯蔵も簡単であった。面倒なのはアク抜きだけだが、どこのドングリ文化でも優れたアク抜きの手法が伝えられてきた。ドングリを拾う労働量は、麦を収穫して同じカロリーを摂取するのに要する労働量の十分の一であるという試算もある。
また樹木は家屋を始めとするあらゆる家具や乗り物、建造物の材料となった。そうして、オークの森を中心として文明を展開して後、その周辺で羊を飼ったり、麦を育てたりし始めた。いわゆる農耕牧畜生活のはじまりである。
以上が、ローガンの仮説である。なお、これは学術書ではない。あくまで一作家の仮説である。
日本は縄文時代からはじまって、世界でも最も近年までドングリ文化、あるいはもう少し広い意味での「雑木林文化」が存続してきた地域である。しかし日本らしいカシ・ナラ文化も、石炭と石油との産業革命によって、いわば木製品の模造品の文化へと変わり果てた。
とは言え、カシ・ナラ・クヌギは生え続けているし、ドングリはほとんど放置されていて、拾っても誰も文句を言わない。こっそり一人で「ドングリ文化」を復活させれば、日本全土が自分の定住地みたいなものである。
category: 食