寝太郎ブログ

書き言葉は落ち着く  


動画公開したんですけどね、ふう、書き言葉は落ち着くなあ。



結構長い間体調崩して臥せってました。その間、なんでこんなに調子悪いんだろうと、かなり健康に関する本を読み漁って、公園に行って土の上を裸足でペタペタ歩くとか、謎の健康法に夢中になったりしているうちに、小屋での暮らしって実はすごく健康に良かったのではと思い始めて。でまあ、一度大掃除とか思ってるうちにいつの間にか解体する流れになりました。旧小屋を解体する直前まで、いや解体している最中も、解体する必要あるのかなと思ってたのですが、まあ結果的には、解体する必要なかったかもしれません。後から増築したトイレなんかで直接雨にあたるような場所は一部腐ってたけど、他は拍子抜けするくらい何事もありませんでした。一番下の床枠が地面に触れているところですら、何事もなかったです。

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この十年間、僕の暮らしや人となりを誤解したオファーがものすごくたくさんあって、いくら言葉で「人の前に立つような人間じゃないんですよ」とか「一般受けするような暮らしじゃないんですよ」と言っても全く信じてもらえなくて。本当に信じがたいことなんだけど、エネルギッシュでアクティヴでクレバーな人間だと思われている節がある。編集者さんにさえそう言われたことがある。テレビや講演・登壇の話は数知れず、ひどい時には「日本スモールハウス協会を作るので長になってほしい」とかですね。そういうのって、知らないけど、名前を挙げて連絡を取るだけでも大変でしょうから、いちいち断るのも申し訳ないし。もう何年も何もしてないのに、未だにあるんです。原因の一つはおそらく学歴が悪いほうに作用したのと、もう一つは、これは自分の責任なんだけど、少しマジョリティに対して色気を出した(出さなければならないと思った)時期があったのと。ぜひ動画を見て目を覚ましていただきたく・・・。

もうひっそりやりたいんですよね。ひっそりというのはつまり、一般社会に向けて何かを言ったり、理解を求めたりなどという分不相応なことはしないということ。世間で受け入れられる「マイノリティ」は、「毎日忙しく働いてたくさん物を買ってというような生活ではない「けれども」」で、この「けれども」の部分が必要なんです。この「けれども」の部分で、なんとか「生」の物語へと引きずり込もうとします。でも、「生」をブレずにまっすぐに見つめるだけじゃない部分って、あるじゃないですか。あるじゃないですか、って、他人の事はよくわからないけれど、あるんですよ。もちろん、自分の中に「生」の物語が全くないと言っているわけではないけど(そうだとしたら生きてゆけないから)、もしも、「生」の物語に還元できない部分が削ぎ落とされて、お仕着せの物語をあてがわれるとしたら、そんな地獄はないわけです。でもその物語の暴力って本当に強いんです(だから抗うために何か書かなければならない、書かなければ人格は否定されたままだ、と強迫的に思う節が未だにある)。結局自分の暮らしは、一般世間で言う「マイノリティ」以上にマイノリティで、ごく少数の共感者しか得られないし、それでいいんです。ごく少数の共感者がいることも、この十年間でわかったことだし。

「自分の暮らしは」と書いたけれども、東京に住所を移している現在、小屋での暮らしにフルタイムの生活者としての矜持はありません。それが、一番大切なものだと思います。それがなければただのアウトドアです。今は、イチ小屋愛好者として気楽にやっています。まあ、言葉を換えれば別荘持ち無職という優雅な身分ではあるけど。もしもこれが、家賃を払うために毎週何曜日に何時から何時まで働かなければならない、みたいな状況だったら、またアパート出て小屋だけで暮らすみたいな選択肢もあったのかもしれないけど、東京にはウーバーがあるから。

目下の問題は、解体8日間・建築13日間、計21日間の動画素材が、適当にスマホを置いて撮ったせいで音量が小さく、お蔵入りになりそうだということです・・・。あとは、今回の解体と大掃除で出た大量の廃材やゴミを、薪にしたり、燃やしたり、どうしようもないものはお金を払って捨てたり、いろいろやらなければなりません。

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category: セルフビルド、DIY

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