人生の余裕 
2020/10/24 Sat. 14:38
新しい小屋は生活環境も含め大体整ってきた。しかし、部屋を暖める方法が思っていたより難しく、適当にやれば命にかかわる。それで、ブログやYouTubeで温水暖房や外気導入の方法、小型の薪ストーブなどあれやこれや調べていたのだが、突然、「いやいや、こういうことがしたいんじゃない」という思いが鎌首をもたげてくる。複雑なことはしたくない。物はなるべく作りたくない。調べたくもない、学びたくもない。本当は今頃、ちゃっちゃと小屋を建てて、薪ストーブだけ設えて、自分の身体を包むような2畳の小屋で静かに過ごしているはずだった。
自分はだいたい、インターネットで調べものをするのがあまり好きではない。集合知の中から正解を探し出す作業が好きではない。「最も賢い方法」を探しているわけではないのだ。むかし家の庭で段ボールハウスを作っていた時のように、自分の思い付きで、適当にやりたい。それ以上のことは、失敗してから考えたい。いわば、僕は小屋において、安心して愚か者でいたいのだ。
そういうやり方しかできないので、今回のように、いざ「命にかかわること」に取り組もうとすると突然思考停止状態に陥ってしまう。思い付きでは駄目なのだ。失敗が許されない。なんでも適当にやる僕が苦手なことは、「命にかかわること」と「他人に迷惑をかけるかもしれないこと」である。だから、誰もいない山の中で好き勝手やるのが一番性に合っているし、他人の畑を借りたのは失敗だった。
さらに。YouTubeを見ていると、いろんなものを作ったり、嬉々として説明したり、エコやDIYで盛り上がっている動画の背後に、「人生の余裕」が映る。ああ、こういう余裕のある人たちがやることなのだ、と。僕にはない。人生の余裕なんて、これっぽっちもない。あれをやっていないとか、これをやらなければとかいうことではなく、人生は端的に、狭く、息が詰まる。自分の人生には余裕というより、呆けたような空白の時間があって、そして思い出したように不安と焦燥感に襲われる。
前に、ライフスタイルのマイノリティの「けれども」について書いた。マイノリティは、「立派な家に住んで、たくさんの物に囲まれて、という生活ではないけれども」の「けれども」の部分で、「あれもない、これもない、自分には何もないけれど、毎日明るい気持ちで、穏やかに、のほほんとやっています」みたいな「人生の余裕」が主張されると相場が決まっている。それがなければ、マイノリティとしてすら受け入れられないのだ。
僕は小屋が、「生の物語」に還元しようのない人格、世間では居場所のない人格の救済の場となればいいなと思っている。しかし、小屋のようなライフスタイルにおいてすら、最終的には判で押したような物語、判で押したような人格を以てしか受け入れられないのだろう。だから、物語の欠如を伝えるためであっても、物語の仮面を被らなければならないのだと思う。
category: ライフスタイル
« 薪ストーブを外に出して煙突貫通による暖房
二畳庵の生活・レイアウトと問題点 »
コメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
# |
2021/02/24 21:44 | edit
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
# |
2020/12/25 20:50 | edit
受け入れられることを期待せずに
寝太郎さんの書籍「Bライフ」に影響を受け、小屋暮らしを始め、間もなく5年になります。
久しぶりに本ブログを拝見しましたが、「受け入れられないマイノリティの救済としての小屋」という視点には、実際にここまで小屋暮らししてきた者として、大いに共感するところがありました。
自分にとっての小屋とは、ただの「生き延びるための手段」に過ぎません。余裕どころか、人並み以上に欠乏しているが故に行き着いた場所です。
しかし人々は、そこに何かと高尚な付加価値を見出したがるようです。寝太郎さんの仰る「エコ」や「DIY」といったものがまさにそれですが。
自分の小屋暮らしは、世間の求める「それ」ではありません。彼らが求めるのは底辺者のルポではなく、耳触りの良い物語であり、そこに自分のスタイルが受け入れられる余地はなさそうです。
とは言え、生活している本人にとってはどうでも良いことです。そもそも人に認められるために小屋暮らしをしているわけではありませんので。
自分の小屋は快適で落ち着きますし、精神的にも金銭的にも救われています。これに勝るものはありません。
寝太郎さんの提唱されたBライフにより、救済された人間は確かに存在します。ありがとうございました。
小泉 #- | URL
2020/11/13 04:03 | edit
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
# |
2020/10/30 22:33 | edit
そこまで赤裸々になのだ
寝太郎さんしんどそうなのだ…
あらいさん #- | URL
2020/10/28 23:14 | edit
こんばんは
寝太郎様、お元気ですか?
書き直されたとの御話しなので、再び拝読いたしました。
「人生の余裕」を主張できないと、世間にマイノリティとしてすら受け入れられない、
という解釈で宜しいのでしょうか?
「『生の物語』に還元しようのない人格」「世間では居場所のない人格」=マイノリティですね?
そうしたマイノリティの「救済の場」=「小屋のようなライフスタイル」であるのですよね?
しかし、マイノリティの救済であるばすの小屋のようなライフスタイルにおいてさえも、
「判で押したような物語、判で押したような人格」=マジョリティであることでしか、
結局は世間に受け入れられないものである。…そうおっしゃりたいのですね?
マジョリティを喜ばせるための、マイノリティによる「物語」を望むのが世間です。
世間に受け入れられる=マイノリティではなくマジョリティになる、ということだと思います。
エム #- | URL
2020/10/28 21:00 | edit
「生の物語」には還元されないはずであった小屋暮らしですら、「生の物語」に否応なく還元されてしまうということですね。つくづく思いますが、人は物語抜きで現象を感受できないようです。「それ」を語る語法は存在せず、語るなら「物語る」しかない。もしくは黙って死んでゆくのか。なかなか困難な問題です。
No Name #- | URL
2020/10/28 18:25 | edit
寝太郎さんの言う物語の欠如ってどういうことだろう?
共同体の物語から逃げられる人はいないでしょうね
アウトキャスト #- | URL
2020/10/27 19:09 | edit
こんにちは、
フィランドとかだと、石を温めて、金属の入れ物にいれて、耐熱布にくるみ
寝室においたりするそうです。
ぽんたちゃん #p5NU5ekw | URL
2020/10/25 12:54 | edit
子供の頃、椎名誠の本を読んでアウトドアや貧乏生活のようなものになぜか憧憬を覚えていました。でも今思うとそれは生活の余裕に裏打ちされたものだったんだなと思います。
今はなにするでもなく、ネットをふわふわと眺めていることが多いです。(もちろんウーバーもやりますが。)大昔の人間の生活ってどうっだったろう?と想像することがよくあります。
人はおおむかし海で生まれ、酸素や食物を獲得するようになり、陸に上がり火を使うこと覚え言葉を獲得しました。
他人の文章を読むと、その人の世界にトリップし疑似体験したような気分になることがあります。それと同時に、そのあまりの模大さと多様さに畏怖のようなものを感じることもあります。
私もアウトドアとかやってみたいんですが、なにぶんものぐさなうえに温度変化に弱いっていう・・・グーグルのストリートビューとかYOUTUBEなんかを見るのも好きですねぇ
No Name #- | URL
2020/10/25 12:51 | edit
未読でしたら申し訳ないのですが、ふとコンビニ人間を思い出しました。
弱い人は自信がなく、資産を持たず、交友関係を持ちません。
でも一応プライドだけはあって、あるとき他人とぶつかります。
そんな文章に思いました。
他人の動画に「人生の余裕」が映るのは、劣等感かもしれませんよ。
なぜ自分はこの程度の家も作れないのかと、寝太郎さんの本やブログや動画を見ている人はたくさんいますよ。
tpop #- | URL
2020/10/25 05:25 | edit
安心して愚か者でいられる場所、わたしもそんな場所が欲しいです。
何を求めるでも求められるでもない、デクノボウでいられるところ。
応援しています。
No Name #- | URL
2020/10/24 21:06 | edit
狭い部屋の暖房
どこまで、効果があるか、どこまで、換気が必要化わかりませんが。
キャンドルヒーター、灯油ランタン等でも、狭い部屋なら暖房効果があるようです。
灯油ランタンは、キャンプ等テント泊のときには、暖房効果があるようです。
キャンドルヒーターは、暖房効果、検証された方がいましたので、urlアドレス貼っておきます。
http://neclab.net/archives/2571
サイゾウ #- | URL
2020/10/24 19:10 | edit
こんにちは
寝太郎様、お元気ですか?
「エコやDIYで盛り上がっている動画の背後」にある「人生の余裕」というのが、解り易いです。
今でこそ「DIY」なんて気取った(?)言い方をしますが、私の曽祖父母たちの時代まで、
家屋は自力で工具を使って修繕するのが当然で、自力で家を建てた人たちもいました。
自力での修繕や建築が当たり前だった人たちには、余裕もヘッタクレも無かったと思います。
ヒトという動物が生存するために巣を作って直していたに過ぎませんから。
「エコ」だって、似たようなものでしょう。
ヒトが生存するための活動が、自然界のサイクルに沿っていただけですから。
盛り上がるようなことでも何でもありませんよね。
生き物が、生きるため=死なないため にしていた当然のことに過ぎません。
冬に向かいますので、どうぞ御体に御気を付けください。
エム #- | URL
2020/10/24 17:15 | edit
心の余裕
安全地帯はシンプルでメンテナンスフリーがよろしい。
分るような気がします。
野散人 #- | URL
2020/10/24 16:28 | edit
記事の中に、命の危機とか失敗とか不安とか焦燥とか出てくるけど、ブロガー自身もコメンター陣も誰ひとり「なんとかしたい」「なんとかしなきゃ」って思ってないのがいい。
No Name #- | URL
2020/10/24 16:19 | edit
ぼーっとしてても生きてけるための安全基地に複雑な構造とかメンテナンスがあると面倒ですもんねえ。でもかといって単純化しすぎると自然の猛威にやられちまうというジレンマ……。
取捨選択は難しいとは思いますが、まずは本当に優先したいものを見つけられるといいんじゃないでしょうか。まずライフライン、単純に生きること。その次に来るものは、恐らく寝太郎さん固有の価値観に基づくものなのかもしれませんが、とにもかくにも、優先順位は心の中にはっきり刻み込んでおく必要がある気がします。
最近また動きが見えてきて嬉しい反面、なんとなくかつてのあり方との違いも感じていたので、ひとまず一旦は落ち着いて越冬できる環境構築に目を向けてみればよいのではないでしょうか。いやまあ、そういう事を言っている記事なのかもしれませんが……;
いちファン #- | URL
2020/10/24 15:51 | edit
人生の余裕か。そりゃ持ってる人は持ってるんだろうけど、じゃあそれが欲しいかって聞かれたら別に要らないでしょ?
小屋は「救済」か。昔つむじつまさきさんが小屋に何を求めるかというテーマの記事で「僕はホテルの一室に入ったら全裸になってくつろぐ。そんな小屋にしたい」なんて言ってたな。
ある人たちにとって小屋ってそういうもんなのかな。
小屋じゃなくても一戸建てや賃貸、あるいは人間関係や肩書などがそういう役割を果たすのか。
No Name #- | URL
2020/10/24 15:09 | edit
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
# |
2020/10/24 14:55 | edit
| h o m e |