寝太郎ブログ

何も興味なくなっちゃったな。ミニマリストとか、脱資本主義とか、タイニーハウスとか。  


拙著が何度か参照されているということで『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神』を読んだ。この本はいい意味でも悪い意味でも辞書的な本で、教科書的なヴェーバーの解説から、直近の日本のミニマリスト関連の一般書までよく網羅されており(なにしろ僕の本が入っているくらいだから)、ミニマリスト界隈の概観を知るには最終形と言いうるような本だが、読んでいて面白いかというとそうでもなく、ミニマリストマニア以外の普通の人にはお薦めできない。

拙著が出てくるのは、一つはタイニーハウス運動の勃興についてであり、もう一つはphaさんや大原さんらと共に「自己との和解」という括りで、消費ミニマリストになった契機について個人のエピソードとして触れられている。

僕は確かにミニマリストと言いうるだろうし、タイニーハウスに住んでるし、脱資本主義的傾向はないかもしれないが、とても資本主義的社会の陽の当たる道を歩いているとは言えず、事実としてはその通りで、そういう文脈でものを言ったこともあった。僕は他人に称賛されたり肯定されたりするような生き方をしたことはないと思うが、自分が勝手にやっていたことについて社会の大きな流れの中で何か意味を見出されるのは決して不快なことではなかった。

けれど、どうも、なんにも興味が無くなっちゃったな。

そういった、現代のメインストリームから外れるような生活形態、行動志向をまとめてなんと呼んだらいいのかわからないが、「オルタナティヴ(代替)」と呼ぶとして、オルタナティヴは結局、誰の、何のためにやるのか。自分のため?みんなのため?仕事のため?

純粋に自分の幸せのためだとしたら、別に普通の次元で仕事をして、普通の次元で物を買って溜め込んで、幸せに暮らしている人は大勢いるというか、それがほとんどだと思う。それと逆のことをして、結局のところ「どう」なりたいのか、それがわからない。だいたい本なんかでは、そこのところはぼやかされていて、「幸せ」「精神的満足」「本当にやりたいこと」「本当に好きなこと」といったぼんやりとした概念が終着点になっている(断っておくと、僕は自分について記述するときにそうした曖昧な概念で締めくくったことはない)。もちろん、したくもない仕事をして、その反動で物を買い漁って、というような状況が「幸せ」かというとそんなことはないはずだが、それは現社会においても「異常」「極端」な状態であり、そこを出発点として語られても、ずいぶんハードルを下げたなという印象しかない。

純粋にみんなのため(あるいは地球のため)にオルタナティヴを選んでいる人というのは、僕は知らない。だいたいまあ誰でも、年齢が年齢になって、生活や人生が落ち着いてくれば、その平和状態を維持するために「地球」や「社会」を優先するような考えを持つことは一生物体として自然なことである。それは「純粋にみんなのため」とは言えないし、それを超える純粋な自己犠牲の人がいたとしたら、むしろ少しこわい感じがする。

あとは、オルタナティヴが仕事になってしまっている人。単純にオルタナティヴを提示することで物やお金が回るようになってしまった人だけでなく、もう少し広い意味で、それによって人間関係が広がったり、あるいはそれが自分のアイデンティティになったりして、オルタナティヴそれ自体よりもそのことが楽しい人たち。さらには、仕事だけでなく、研究分野(学生も含めて)としてオルタナティヴに関心がある人たち。

いずれのケースも、僕は全く批判もしてないし、とても健全な人たちであると思うが、別にそれならオルタナティヴでなくてもよかったのではと思うことがしばしば、そうすると結局、オルタナティヴって、誰の、何のためだっけ、という最初の問いに戻ってしまう。

だいたい、そのゴールが曖昧であるために、先述した「幸福」や「精神的豊かさ」などの「曖昧な終着点」というものが誇張されがちで、誇張されるだけならまだしも、オルタナティヴに対する、「物質的に質素な暮らしでは、精神的に豊かであらねばならない」「物はないが、時間的余裕と幸せはある」「のほほんと、楽しく、無欲に暮らしている」というような世間ないしはメディアの独特な偏見や期待のようなものを醸成している気がする。で、やはりそういうストーリーが流行る。これに対してはずっと違和感を感じていた。そんなわけがない。

僕はまあ、自分としては普通に生きていたら今みたいなことになっているけれど、「おかしなことになってんな」と自覚することもあるし、「自分にはこれしかできなかった」と思うこともあって、いずれにしても無欲でもなければ余裕もないし、自分一人のことでいっぱいいっぱいで、「ミニマリズム」や「脱資本主義」は Far from it. という感じである。浪費家だろうと資本家だろうと、安穏に暮らしてゆければなんでもいい。その方法がわからないのだが。




category: ライフスタイル

コメント


新しい動画を見ました。
動画だけ見ていると素敵でワイルドで経済的で合理的な暮らしで憧れます。(でも大変な一面もあるんだろうなあ。)

僕は、いよいよ年金爺になりました。国民年金部分は350ヶ月しか支払ってないけど満額に、厚生年金部分は、200ヶ月しか支払いないのだけど300ヶ月にしてもらいました。

六ヶ月後は増額してもらう予定です。

資産ゼロの生活困窮者でしたが奇跡的にコロナで、お金が国からもらえて、それで、しのいだので死なずに済みました。

寝太郎さんのように緻密には生きられませんが、僕には偶発的に奇跡が起きて助かりました。

ロマンスドール #- | URL
2022/01/25 05:22 | edit



v-238

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2022/01/24 17:41 | edit



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# | 
2022/01/23 00:26 | edit



タイの中ではチェンマイが一番落ち着きますね。

僕はタイに行ったら、チェンマイ、チェンライ、メーサイ、ミャンマーのタチレク、チェントン、
ウドンターニー、ノーンカーイ、ナコーンパノム、
ラオスのバンビエンに行きたいです。

どこも落ち着きます。

静寂に飽きたらパタヤに行って女の子たちの裸踊り観て、それが飽きたら、また静寂な田舎の町、
うーん、考えただけで、たまらないです。

ロマンスドール #- | URL
2022/01/13 16:47 | edit



寝太郎式トイレに移動式の囲いを作れば、郵便屋さんに見られないと思います。

僕の家の庭は丸見えなので、ぶどう畑のツルが這わせる
立方体の柱を利用してヨシズで、
トイレを囲おうと思ってます。
ついでにヨシズで屋根も作りたいです。

寝太郎さんのようにDIYができないからヨシズで全部やろうと思います。

ヨシズは簡単に解体したり囲いを変更できるので便利です。

屋根を作ると空が見えないので不便かもしれないです。
青空や星降る夜空を見ながら、用を足すのは最高ですよね。

ロマンスドール #- | URL
2022/01/12 06:41 | edit



幸福の実態は脳内物質バランスです。(脳科学や精神医学に言わせれば)
与えられたことをやる、結果を出すと褒められる。
勉強も仕事もコミュニケーションも同じ。
その短い脳刺激サイクルを効率よく永く楽に回す方法がメインストリームの生き方ってだけですよ。


あ #- | URL
2022/01/10 17:38 | edit



新動画を見ました。
トレッキングが好きで、チェンマイ、チェンライ、チェントンの
山の中にガイド付きで入っていきました。

ミャンマーのチェントンでのトレッキングが
一番インパクトが強いです。
ミャンマーのチェントンにはタイの国境付近まで
行ったり来たりで、一年通いました。

寝太郎さんの家はチェントンやチェンマイ、
チェンライで見た山岳民族の高床の家に似てます。
山岳民族の家の中には囲炉裏のようなものも
ありましたが、
囲炉裏がないとタイ・ミャンマーでも
今の時期は山の中は寒いです。
(というか、一日の温度差が大きいので、
夜は凄く寒く感じる。)

山の中は、
物音一つせず
静寂で良いですね。

ロマンスドール #- | URL
2022/01/10 14:18 | edit



寝太郎さんの以前の動画を見直していたら、
トイレはウオシュレットだって言ってました。
やっぱり、そうだよね。あれが一番だよね。

タイのチェンマイに初めて行ってトレッキングしたとき、
リス族の村でシャワーを案内してもらったら
小川だった。
男女で時間帯が違うんだって。

川の近くに住むと、恩恵あるんですよね。
トイレも小川があると楽なんだけどなあ。

小屋作りの12日間も見ました。
あの2畳小屋を12日間で作っちゃうのだから凄いと思う。
手の握力がなくなったって大変な力の量だと思います。

隠遁生活者・哲学者・ルートヴィッヒ・ウイットゲンシュタインは哲学者であり建築家でもあったから、哲学者・寝太郎さんも建築家なんですね。

ロマンスドール #- | URL
2022/01/10 07:55 | edit



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# | 
2022/01/09 22:56 | edit



何でもOK!

寝太郎様、お元気そうで何よりです。
寝太郎様が何をされても、余計な期待はしませんし、全然 失望もしません。
生きたいように生きてください。読者としては、それで十分 楽しめます。

エム #- | URL
2022/01/09 16:51 | edit



死ぬことへの恐怖は最期に諦めが解決する

死にたいのではありません。
死の直前には何もかも諦めができます。苦痛や無念さもひっくるめて諦めることができます。私の経験ですが、日中突然、脳溢血と思われる症状になり病院へ行きました。結果三半規管の異常で半日で治りました。
脳神経外科に向かうタクシーの中で、自分の鞄に吐き気で顔を埋めながら感じたこと。「嗚呼、脳溢血か!半身不随か、寝たきりか、あるいは死ぬのか」

「仕方ないな」という気分でした。

だるい・吐き気の中で、乳飲み子を抱えた母親であっても、最期はこの諦めがつくのだろうな、と思いながらの車中でした。
今日は、老人施設でボケた人たちの中で暮らす、ボケていない人の気持ちが解りました。ボケが近くなると腑抜けたボケ老人一緒に暮らす自分に諦めがつくのですたぶん。
死への恐怖は、安楽な死を選ばないために生き物にインストールされたソフトです。苦痛の感覚も現実ではなく、覚醒の反対の出来事です、たぶん。
誤解であるとしても、今の私は最期は諦めがつくから、天国へ向かう気分で死ぬ、の、確信があります。死を自覚できないボケになったらそれこそ、現世が天国です。

勘太郎 #- | URL
2022/01/09 14:20 | edit



go for it!

ゆず #- | URL
2022/01/09 13:51 | edit



2つのテーブルに挟まれた椅子には、そんな裏技があったのですね。
なんて合理的なんだ。(動画での説明ではわからず、ツイッターの説明で初めてわかりました)

ロマンスドール #- | URL
2022/01/08 18:50 | edit



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# | 
2022/01/08 12:57 | edit



生活に余裕が持てれば、それなりの生活が自分の標準になってくると自分を省みて、そう思います。

寝太郎さんのブログには生活の工夫があって、それを全部真似しているわけではないけど、大いに参考になります。

寝太郎さんの生活への考え方が僕の固定していた生活習慣を少しづつ変えていってくれました。
とても感謝してます。

ロマンスドール #- | URL
2022/01/08 05:32 | edit



コメント失礼します。
恐れや不安から開放されたいからではないでしょうか。
やっぱり自分のためだと思います。

多くは恐れや不安が経済社会を回しているので、
そのスパイラルから抜け出したい人はけっこういると思います。

No Name #- | URL
2022/01/08 01:22 | edit



最初は自分のためですよね。
それで満たされたら人に教えたいとか思うかも。
寝太郎さんの発信がとても幸せそうで私も試してみたいと思いました。

No Name #- | URL
2022/01/08 00:58 | edit



人類史で安穏に暮らせた人っているんですかね。

No Name #- | URL
2022/01/08 00:44 | edit



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