寝太郎ブログ

2018年12月6日雑誌発売→『kotoba(コトバ) 2019年 冬号』特集・孤独のレッスン

「資本主義との闘い方」より  


たまにツイッター等を拝見させてもらっているばたおさん(@BATAO_Hetare)の「資本主義との闘い方――自給自足と農的コミューンの建設」(『あじーる!』第3号、参照1参照2)という小論を(掲載誌を買いには行けなかったので個人的にお願いして)読ませてもらった。

ちなみにばたおさんのことは全く知らない。生き仏かもしれないし、極悪人かもしれない。ただ、「元エホバの証人」という経歴がとても気になる。その気になり方は「脱北者」に対する興味と似ているかもしれない。つまり「元・被洗脳者(良いものであれ悪いものであれ)かつ現・自立的思考者」に対する興味である。


以下、ダイジェスト。

第一章は「資本主義の何が悪いのか」

「商品」というものは、生産や流通過程の問題には口をつぐみ、消費者は記号と化した「モノ」が形成する「見世物的社会」―シミュラークル社会―に埋没する。その抹消された過程にこそ矛盾や問題が存在するにもかかわらず、それは外部に皺寄せされ「不可視化」される。

資本主義社会における豊かさとは、他者から奪ってくることで実現されるものだからだ。そしてそのために、矛盾をより周辺に――国内の富裕層が底辺層に、先進国が途上国に、現役世代が将来世代に――送り出し、問題を空間的にも時間的にも不可視化させるのが資本主義というシステムなのである。

第二章は「資本主義とどう闘うのか」

市場と商品への依存は、商品に頼らない生き方や楽しみ方を忘れさせ、私たちを資本主義を守らざるを得ない状況へと追い込み、結果、資本主義は再生産される。したがって、闘い方は「賃労働をやめて、自身の仕事を」に集約される。広い意味での「自給自足」であるが、著者は(たとえばガンジーのように)原理主義的にならずに、今ある便利なものは使ってゆこうというスタンスである。

第三章は「農的コミューンの建設に向けて」

未来的な理想として、自給的な農業を社会の根幹に据えた「農本主義的アナキズム」が先例の紹介と共に主張され、その礎となる自給自足に向けての著者自身の実践の第一歩について触れられている。


***

個人的な感想であるが、「資本主義が悪い」ことと「資本主義と闘う」こととは簡単には繋がらないのであって、結局どうして「闘う」のかよくわからなかった。

僕個人としては、与えられたルールの中で如何にうまく立ち回ってゆくか考えるだけである。どう生きるにしても、資本主義(というかそれによって局所的にもたらされている富)は倒すのではなく、うまく利用したほうがいいと思っている。

いずれにしても、「不服従」と一口に言っても、社会全体の流れに反するようなことを実際やるとなると、理不尽なこと、うまくいかないこと、面倒くさいこと、効率悪いことが重なって、ダークサイドに陥ることがある。ぼちぼちやっていこう。





category: 社会・経済

『自立社会への道-収奪の五〇〇年を超えて』筧次郎(後半)  


自立社会への道―収奪の五〇〇年を超えて
本書の前半では、一般に「豊かさ」と呼ばれているものが、文明・文化の発展ではなく、ひとえに「収奪」によるものであるという理解のもとで、欧米諸国の収奪の歴史が語られた。後半では、そのような近代世界史の文脈における「日本」の再解釈が試みられる。

日本の大東亜戦争は、軍国主義が起こした「愚かな戦い」ではなく、帝国主義・植民地主義を終わらせる解放者としての戦いであった。近代世界の文脈を紐解けば、日本が戦っていなければもっと酷いことになっていたであろうことがわかる。

一方、日本は解放者であると同時に、白人以外で唯一の支配者としての顔も持っていた。この二面性が近代日本を貫いている。しかし、支配者としての振る舞いとて、「強制的な収奪の時代」において不平等な貿易を強要された日本の苦渋の決断であった。

少なくとも、戦前の軍国主義と戦後の民主主義、「戦争の悲惨」と「平和の繁栄」を対置して、自ら「戦前」を裁くのは間違いである。この間違いは、戦後GHQに強制された歴史教育のせいのみならず、「構造的な収奪の時代」における経済戦争の支配者の一員となった日本人が、己の収奪行為に目を瞑るのに都合が良いからであった。

日本は戦争に敗れながら、豊かになった。なぜか。「勤勉で努力家の日本人」だったからだろうか。そういう側面もあるかもしれない。しかし、筆者が指摘するのはもっと外的な要因である。第一に、GHQが日本を無力化しようとする当初の政策から一転して「防共の砦」にしようとしたこと。第二に、東西陣営間の戦争における特需があったこと。第三に、アメリカの軍事力の傘のもと経済発展のみに尽力できたこと。

背後に控えている強大な軍事力のおかげで繁栄していることを知りながら、日本人は平和憲法を楯にして安全地帯におり、平和を自慢している。その代償として自立性の無い国になってしまった。筆者はこれを「偽善」と形容している。

敗戦後、アメリカの武力の傘の下で高度成長を成し遂げ、ヨーロッパ人とともに支配者の一員となった現代日本人は、戦前の日本人を批判し、現在の収奪に目をつぶり、平和と繁栄を自慢してきた。これは恥ずかしいことではないのか。(p.219)

収奪が常態化すると、大量消費が当たり前になり、昔の質素な暮らしを「不幸」と感じるようになる。また、人口は増え、社会システムも収奪した富を前提として、それに依存した形になる。そして、経済成長なしでは維持できなくなる。

今日では、自由競争の名のもとに、収奪は企業の手に委ねられている。そこでは、企業間の競争に勝たなければ没落するために、気違いじみた競争が行われている。コストを下げるためには手段を問わない。欲望を商品化することで無限の市場を開拓する。原発が必要なのも、収奪経済において物やエネルギーを回してゆかなければならないからである。

国も、社会も、企業も、個人の生活も、奪い続けなければ破綻する。これが支配者になるということである。筆者は本書の前半で、「これは独立的であると言えるのだろうか」と疑問を投げかけている。

変革のために最も難しいのは、社会システムと相互依存的に成立している個人の心性の反発が予想される点である。だからこそ、収奪経済から自立経済へ転換するためには、現在の社会についての冷徹な認識を通じて、各個人が自己変革しなければならない。つまり、勉強しよう、ということである。




category: 社会・経済

『自立社会への道-収奪の五〇〇年を超えて』筧次郎 (前半)  


自立社会への道―収奪の五〇〇年を超えて
この本は、「工業社会の繁栄・豊かさは、科学技術文明の発展の結果である」という考え方を、近代の歴史を被支配者の側から再解釈することで覆そうとする。いわく、

近代とは、西洋の白人たちが世界を侵略して、富と労働を収奪し、繁栄している時代である。(p.7)

工業社会の豊かさはひとえにこの「収奪」ゆえであり、非工業国の貧しさも文化・文明の発展の遅れではなくひとえにこの「収奪」ゆえである、という論旨である。

第一章では、その「収奪」がいかに為されたかという観点から、「近代」が「直接的な収奪の時代」「強制的な収奪の時代」「構造的な収奪の時代」に区分される。

「直接的な収奪の時代」は、武力によって金品を強奪し、土地を奪い、奴隷を酷使した時代である。産業革命はこの膨大な富の流入なしには起こり得なかった。

「強制的な収奪の時代」は、不公平な商取引を強制する、いわゆる植民地の時代である。武力の代わりに工業製品が収奪のための武器となった。

「構造的な収奪の時代」は、非工業国の政治的な独立を認めつつ、世界経済の仕組みによって収奪を巧妙に隠蔽しながら、依然として資源や労働を奪い続ける時代である。

また、こうした一連の再解釈の過程で「生産」の意味が問い直される。現代工業社会の「農業の生産性」が表面的に高いのは、工業によって収奪した富を農業にまわすことでのみ可能になる。それは地球規模の全体的な収支を見れば極めて低い生産性であり、エネルギーの無駄遣いでしかない。

機械は富を生み出すのではなく、富を集める、つまり収奪することしかできない。農機とて例外ではない。これがいくら機械が普及しても全体が豊かになることはない理由である。

第二章から第四章までは、この再解釈された「近代」の各区分の詳細である。アメリカ、インド、フィリピン、あるいはアフリカの各国における「収奪」の歴史が語られる。

欧米の植民地主義による世界侵略、すなわち「強制的な収奪」は、中南米、アジア、アフリカに至るまでほぼ完了し、最後に残ったのが中国、朝鮮、日本である。

本書後半では、こうしたグローバルな歴史観を元に、日本の近代の再解釈に進む。このような歴史解釈の元では、確かに、日露戦争における「非白人の勝利」が世界を驚かせたことは想像に難くない。しかし、現代が近代の延長線上にあるとすれば、現代日本における平凡な人々の一挙手一投足が「収奪の構造」において何を意味するかもまた明確である。

私たちはみな時代の子であって、時代を超えた普遍的な真実に到達するのは難しい。私たちはとりわけ自分の経済的な立場を正当化する視座を、無意識に選んでしまう。(p.121)

本文内に散見されるこうした理知的で相対主義的な態度も筆者の特徴であり、これは、感覚的で独断的な物言いをする(それはそれで味のある)福岡正信の『わら一本の革命』とは本の趣を異にするところである。

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この川縁も一応、僕の土地。風がないと今の季節でも暖かい。




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